龍の鱗を剥ぐ(カクヨムコン11お題フェス「未知」)

D野佐浦錠

龍の鱗を剥ぐ

 近くに龍の棲まうという、荒涼としたアーシェ渓谷の風景に似つかわしくない馬車の姿があった。

 麗しい毛並みの白馬が、金細工をあしらった幌をここまで引いてきたのだった。


 馬車の中から、一人の少年が降り立つ。

 シュミセル様、足元にご注意ください――馬車を引いていた執事の声を聞き流して、艷やかな黒色の革靴を地につける。


 空には雲一つないというのに、空気は冷たかった。

 この冷涼さ。少年の生まれ育った地域の空気とは幾分違っていた。

 仕立ての良いジャケットと純白のシャツ。誉れ高き格子模様をあしらったズボン。名高い職人の手になる革靴。貴族の子として申し分のないその出で立ちは、どこか場違いであるようにも思えた。

 シュミセル・リンクス。十二才の少年は、リンクス家という貴族の一粒種であった。

 龍鱗剥りゅうりんはぎの現場を是非この目で見、体感したいというシュミセルのたっての願いは、リンクス家の財力によってたちまちのうちに手配が進められ、ここに実現されようとしていた。


 龍の鱗のスープは、貴族、王族の晩餐には欠かせない品だ。

 深く、鮮やかな青碧色を湛えたスープは見た目にも宝石のようであり、味わい奥深く、比類なき美味と称された。超自然的な力を持つ龍のエキスの入ったスープは健康、長寿にも効果があるとされ、晩餐会の一品目として絶大な人気を誇っていた。

 シュミセルもまた、幼い頃よりこのスープの虜となり、それが空を泳ぐ龍の鱗を剥いで作られていると知ってから、どうしてもそれをこの目で見てみたいとこいねがうようになったのである。


 アーシェ渓谷の高くにある、空狩人の村に入る。

 村の中には、木材と石材を組み合わせて作られた簡単な造りの家屋が点在している。シュミセルの生家の屋敷とは比べるべくもない素朴さだった。


「遠路はるばる、ようこそ来てくれました」

 男がシュミセルを迎えた。

 その男の名はレオムといった。よわいは28才。使い込んだ、襤褸布ぼろぬののような外套を羽織っており、その相貌には多くの皺が刻まれている。

 龍鱗剥ぎの空狩人。精悍な顔つきは年齢以上の経験を思わせた。細く絞られた骨身は空狩人として鍛えられたのだという印象をシュミセルに与えており、事実、その肉体は外套よりも尚、厳しい狩りの中で使

 


「この度の御案内、誠にありがとうございます。どうぞよろしくお願いします、レオムさん」

 シュミセルは、レオムに案内の対価としての銀貨が入った袋を手渡した。

 それを受け取るレオムのの硬質さ。自らのそれとのあまりの違いに、シュミセルは奇妙な気持ちになる。

 

「こちらこそ、ありがとうございます。龍鱗剥ぎを見学したいだなんて、貴族様にしては変わった趣味だとは思いましたが――銀貨だけの価値はあると認められたのなら、こちらも嬉しいことです」

「そんな。ぼ、僕は――」

 シュミセルは何となく気恥ずかしさを感じていた。

 貴族の道楽趣味で、狩りの現場に踏み込んでしまうことは失礼にあたることだったのではないか、との思いが生じていた。シュミセルの貴族然とした装いはレオムと比べて、あまりにもこの場に似つかわしくなかった。

 赤面するシュミセルに、レオムは平坦な声色で告げる。

「申し訳ない。無学ゆえ、失礼がありましたのならお詫びします。……早速、行きましょうか」

 レオムは歩き出した。シュミセルへの気遣いがあることはわかった――が、それでもレオムの歩みは足早に感じられた。

 ここの空気は冷たいだけでなく、薄い。シュミセルはそう理解した。レオムについて行くだけで息が上がりそうだった。

 

 崖に近付くにつれ、風は強くなった。

 途中に立ち寄った小屋で、レオムは仕事道具を取り出した。剥いだ鱗を仕舞うための背負い式の籠、そして龍斧スケイラ――細長い槍のような形をした、穂先に鉤型の刃のついた龍鱗剥ぎ専用の武具。

 その刃は、龍になるべく痛みを与えず、迅速に鱗を剥ぎとれるように工夫されているのだという。

 書物の挿絵でしか見たことのなかった、実物だった。

 刃の厚さ。陽光を返さない鈍い黒色。想像していたよりもずっと重厚な印象のそれを、レオムはひょいと肩に担ぎ上げた。

「怪我をしてしまいますから」

 と、触らせてもらうことは叶わなかった。


 裂空鳥れっくうちょう絆場きずなばへと着く。

 屋根もなく無造作に打たれた太い木の杭に、レオムの倍以上も体長のある裂空鳥が紐で繋がれていた。目の前は崖であり、落下すれば間違いなく命はない。だが、シュミセルたちはこの後ここから飛び立つのだった。心臓が縮み上がる思いだった。


 裂空鳥。

 深紅の鶏冠とさかと強靭な脚を持ち、一度羽を広げれば風よりも速く空を駆ると言われる、龍鱗剥ぎの相棒である。

 シュミセルを見下ろす眼光は鋭く、感情が全く読み取れない。歓迎されてはいないようだ、とは思った。

 レオムは慣れた手つきで紐を外すと、裂空鳥に餌を与える。ケエエ、と高く鳴いてから、裂空鳥は無心に餌を啄みはじめた。

「仲が良いんですね」

 とシュミセルが言うと、ははは、とレオムは笑った。

「こちらが餌を与えるから、お互い殺し合わずに済んでいるだけですよ。こいつらは猛禽だ。俺たちのことだって本当は食い物に見えてるはず」

「……空に出れば、お互いに命を預けることになるのにですか」

「もちろん。命はいつでもどこかに預けられている。間違って薄い板を踏み抜けば落ちるだけだが、そんなもんでしょう。それに、龍から見れば俺たちもこいつも小虫みたいなもんだ。ごちゃごちゃ考えたって何にもなりません」


 裂空鳥の背に乗り、あぶみを付けたレオムは、シュミセルを前に乗せ、裂空鳥の身体に革の紐を巻き付けて固定した。

「命の保証はできませんが、最善は尽くします」

 シュミセルの視界が高くなる。崖の遥か下に川が流れている。自分の存在ごと、これから空の中に投げ出すのだと、この期に及んでも想像が正確にできていなかった。

「もちろん、俺だって死にたくはないし、死ぬわけにはいかない。村で妻が待っているんでね」

 シュミセルの緊張を察してか、幾分柔らかく言うレオム。

「奥様が、いるんですね」

「ええ、とびきりの美人ですよ。お腹に赤ちゃんも。だから、きっと無事に帰る」

 レオムが手綱を引く。

 裂空鳥が駆け出す。たちまちの加速。

 力強い揺れ。数歩で駿馬のような速度になる。崖下に突っ込む――と目を瞑った次の瞬間、裂空鳥は翼を広げ、シュミセルたちは空に飛び出していた。



 シュミセルは「落下」を知らない。

 だから、裂空鳥が飛び出した瞬間、落下と浮遊、飛翔の区別がつかなかった。

 全身が重力から引き離され、内臓たちが身体の中で所在をなくしたようなその感覚が、どこへ向かうものだったのかわからなかったのである。

 手塩にかけて育てられた貴族の子であるシュミセルは、どこかから落ちる、という経験をしたことがなかった。

 貴族は世界の肉感から隔てられている。それゆえにたかい。

 そのことをシュミセルは知らず、これから知ることになる。



「と、飛んでる!」

 シュミセルは叫んだ。

 風の中にいる。風圧が絶え間なく頬を叩き続けている。視線を横に向ければ、切り立った崖の模様が目で追えない程の速さで流れていく。レオムが手綱を引くと、裂空鳥がケエエエと鳴いて速度が更に上がる。

 風に乗って飛ぶ、のではなく、風を切り裂いて飛んでいる。切り裂かれた風の唸りが鼓膜を叩き続けている。ときどき、がくん、と急に高度が下がって、その度にシュミセルは落下とも浮遊ともつかないあの感覚に全身を支配される。


 やがてシュミセルたちを乗せた裂空鳥は崖の傍を離れ、龍の棲家すみかへと向かっていく。レオムの手綱で飛ぶ方向が変わるたび、傾きと受ける風の向きの変化に心臓が縮む思いだった。

 一度だけ地上の方を見たが、森の木立ちが豆粒みたいになっていることが信じられなくて、二度と見るまいと決めた。

「落ちたら死にますよ! あまり大きく動かないように!」

「は、はい!」

 落ちたら死ぬ。この高さ、絶対に死ぬ。その動かしがたい事実。それがシュミセルに未知の高揚を与えていた。

 肉体を危機に晒す。命を張って世界に対峙する。そんな風に振る舞ったことがなかった。そんな風に生きたことがなかった。シュミセルは生まれながらに貴族だった。


「この辺りが、龍の棲家です」

 山を一つ越えたところだった。

 レオムがそう言ったすぐ後に、シュミセルにもが見えた。


 龍だ。


 あの深々とした青碧色をした巨大な身体が、空をゆったりと泳いでいる。

 魔的な力で空中に浮かび上がるその体躯。長い髭を持った大きな蛇、あるいは蜥蜴とかげのような形ではあった。だが、陽光を鮮やかに照り返しながら悠然とたゆたうその姿は、それらとは比較にならない荘厳さを示しており。

 生命が空に浮かんでいるというより、まるで空そのものが生命の形を取っているかのようだった。


「側面に回り込んで鱗を取ります。決して騒がないように」

 レオムが指示を出す。

「炎の息吹でも吐かれたら終わりだ。ここで下手を打つのが最悪です」

 龍の前では自分たちは小虫のようなものだ、とレオムが言ったのは大袈裟でなかった。たとえ龍の爪の一本に掠るだけでも、シュミセルたちはたやすく墜落してしまうだろう。


 龍は微睡まどろんでいるのか、起きているのかも判然としない。

 瞳には光がなく、超然としていて、意思らしきものが読み取れない。これほど巨大な存在に意思なるものがあったとして、それは人間に理解し得るものなのだろうか。そんな感慨をシュミセルは持つ。まさに尺度スケイルが違う。


 急制動で向きを大きく変え、龍の側面に向かう。

 龍と同じ速さで真横を飛ぶのだ、とレオムは言った。そうすることで、鱗を剥ぐことができるのだと。

 遠目にはほとんど浮いているだけのように思えた龍の速度は、実際のところ裂空鳥の飛ぶ速さに近かった。慎重さと大胆さをともに駆使してレオムは手綱を操り、龍へと近付いてゆく。


 ――目の前に、煌めく龍の鱗が何百枚と並んでいた。

 一枚一枚が、シュミセルの両手を広げた程の大きさだ。ここまで近付くと、龍の鱗が一枚ごとに虹のように複雑な色彩をもって光を反射していることがわかる。裂空鳥をぎりぎりまで龍の身体に近付けると、レオムは鐙の上で立ち上がり、龍斧スケイラを構えた。

「あなたは動かないで」

 とシュミセルに釘を刺す。

 不安定な鐙の上で立ったレオムは、横殴りの風圧に晒されていた。それでも体勢を崩す気配も見せずに、龍斧スケイラを龍の鱗の一枚へと横から当てる。

 音もなく、何らの事件を起こすこともなく、レオムは鉤形の刃を振るって一枚の鱗を剥いだ。それを背中の籠へと入れる。がさり、という音がする。左官職人の日常の作業のような、何事もなさ。それが、シュミセルにはたまらなく見事なものに思えた。

 慣れた段取りで、レオムは片手に裂空鳥の手綱、片手に龍斧スケイラを持ち、位置を調整しながら次々と龍の鱗を剥いでいく。

 龍は何の反応もしていない。意に介していない、といった様子だった。

 レオムは龍の鱗を剥ぐ間、一切の言葉を発しなかった。その額に汗。レオムは拭こうともしない。シュミセルは、それを固唾を呑んで見守っていた。


 背中の籠が一杯になったところで、レオムは鱗剥ぎを止め、裂空鳥を操って龍の身体から離脱した。

 龍の目に留まらぬよう、尻尾の側から離れていく。

 あくまで慎重に、けれども可能な限り迅速に。

 アーシェ渓谷の民の間で「龍の尾を踏む」は最悪の事態を招くことを意味する慣用句なのだとレオムは教えた。


 龍の棲家を離れ、山を越えたところで、ようやくレオムは一つ大きな息をついた。

「ここまで来れば、まあ一安心です。無事で良かった」

 レオムはシュミセルの肩を優しく叩いた。

「龍は、まるでぼくたちのことを気にしていないみたいでした。いつもああなのですか?」

「まあ、大体は。ただ、龍は気まぐれですから。空や大地がそうであるように」

 そこで、シュミセルは一つの疑問を口にした。

龍斧スケイラの刃は、龍になるべく痛みを与えないように工夫されていると聞きました。それは、僕たちが空や大地を敬うのと同じように、龍に対して敬意を払っているということなのでしょうか」

 あはは、とレオムは快活に笑った。

「そんな立派なものではありませんよ。単に、龍に暴れられたらこちらの身がたないからというだけです。もっとも、龍は俺たちのことなんか最初から気にしちゃいないことの方がずっと多いですが。でも、敬意、敬意か。その考え方は俺は嫌いじゃないですよ。敬意が飯の種になってくれればもっと良いんですがね」

 

 裂空鳥の背に乗って、絆場へと帰る。

 崖の上に辿り着いて、裂空鳥の脚が確かに地面を踏んだとき、シュミセルは心からほっとした。「地面」がこんなにもありがたいものだったなんて。足元に地面が存在する、という事実。たったそれだけのことが安心の根拠になるということ自体、シュミセルの想像の外だった。

 レオムが先に降り、シュミセルを持ち上げて、抱きかかえるような形で裂空鳥から降ろす。

 骨ばったレオムの手で持ち上げられる感覚は、父母に抱かれるそれとは異なっていた。 

 しかし、レオムは自分のことを大切に扱ってくれている、ということは理解できた。レオムは龍ではない。裂空鳥でもない。自分と同じ人間なのだ――シュミセルはそう思った。

 そして、着地。待望の、とも言える瞬間だった。

 やっと、自分の足が地面に着いたのだ。

 まだ、身体のそこかしこが空に取り残されているような感覚があって、立ち方がふらふらとして定まらない。地に足が着いている、という実感はしばし遅れてやってきた。


 落下の恐怖から解放され、生命の安全が保証されたシュミセルの胸に、にわかに興奮が込み上げてきた。

 裂空鳥に餌をやってねぎらっていたレオムに、シュミセルは昂った気持ちのままに言葉を紡ぐ。

「す、すごかったです。レオムさん。僕は今まで、龍の鱗のスープを味わうばかりで、龍のことも、空狩人のことも何もわかってはいませんでした。こんなにも卓越した技術で、命を懸けて龍の鱗剥ぎが行われていたなんて」

「そう言ってもらえると、俺もあなたを案内した甲斐がありますよ。無事に帰れて良かった」

 レオムは、裂空鳥を撫でていた手で、今度はシュミセルの頭を撫でた。

 こそばゆいような、暖かいような、不思議な気持ちになる。

「僕は、レオムさんが羨ましいです。僕は貴族の子だからって皆に大切にしてもらっているばかりで、自分だけの力で積み上げた技術も、命を懸けて空に出たり、龍と対峙する度胸もない。本当に、格好良かったです」

「……羨ましい、ね……」

 レオムがシュミセルを撫でる手の動きが、僅かに止まった。

 シュミセルの送った賛辞は、無論世辞ではない。しかし、その稚気がレオムにどう響くかをシュミセルは知らない。

「村に帰ったら、龍の鱗のスープを存分に味わってくださいね。奥様にも、どうか。もちろんご存知とは思いますが、龍の鱗は滋味に溢れ、お腹の赤ちゃんにも良いはずです」

 レオムは、慈しむような笑みをシュミセルに浴びせると、軽く手を挙げて一歩下がった。

「シュミセル。俺は龍の鱗のスープの味を知らない。一度も飲んだことがないんだ」

「えっ……」

 シュミセルは絶句した。

 そんなことが、あるはずがない。

 現に、龍の鱗は今まさに、レオムの背負う籠の中にあるではないか。

「龍の鱗は最高級品だ。俺なんかの手が届く食材じゃないんだよ。これは全部売り物にして、それで生活が精一杯だ」

「そんな……。では、では僕は、あなたに大変に失礼なことを……レオムさん!」

 良いんだ、とレオムはシュミセルの背中を叩いた。

「あなたに悪気はないのはわかってる。気にするな。……ほら、お迎えが来たみたいだぞ」

 執事が馬車を引いて、絆場の前まで迎えに来ていた。

 屋敷への帰路に就かなければならない時刻だという。


「お元気で、シュミセル」

 とレオムが握手を求める。

 シュミセルは小さく柔らかい右手で、精一杯に応じた。

「レオムさん! 僕……手紙を書きます! どうか、どうかまた――」

「ああ、待っているよ」

 馬車が動き出す。

 レオムの姿が、裂空鳥の絆場が遠ざかっていく。

 馬車の幌の中は快適で、渓谷の風の冷たさからも防護されていた。眠気を誘う、穏やかな揺れと速度。その中で一刻も経つと、シュミセルは今日起きたことの全てが現実ではなかったかのような気さえしていた。



 屋敷に帰ったシュミセルは、レオムに宛てて手紙をしたためた。

 龍鱗剥ぎを実際に見たいという願いを叶えてくれたことへの礼。レオムの素晴らしい技量への惜しみない賛辞。そして、自分のことを大切に扱ってくれたことへの感謝の気持ちを、少年らしい素直な筆致で。身に付けつつあった貴族としての品格を込めて。


 それから、シュミセルはレオムからの返事を心待ちにしていた。

 だが、レオムからの返事はすぐには返って来なかった。

 レオムの身に何かあったのでは、それとも単に嫌われてしまったのか――シュミセルはそのように案じ、気を揉んでいた。

 返事の手紙が届いたのは、季節が一つ巡った頃だった。

 シュミセルはそれを心から喜び、貴族の子息としては無作法な仕方で急いで手紙を開封し、すぐに読んだ。

 そこには、こう書かれていた。



――――――――――――――――――

 親愛なるシュミセル・リンクス様へ


 お返事が遅くなり申し訳ありません。

 アーシェ渓谷のレオムです。

 手紙を送っていただいたこと、大変嬉しく思います。

 

 実を申せば、私は文字の読み書きができません。

 私だけでなく、村の誰も読み書きができないのです。

 それゆえ、頂いた手紙を読み、返事を書くために、町に降りて代筆屋に頼まなければなりませんでした。

 そうしたことで、お返事が遅くなってしまったのです。どうかお許しください。


 貴方に会えたことは、私にとって幸運なことでありました。

 貴方は私に、敬意を払う、ということを教えてくれました。

 私が貴族というものに対して持っていた印象を、変えてくれたと思っています。

 貴方という人間は私にとって、とても眩しかった。

 


 告白すれば、私は貴族というものを憎んでいました。

 貴方のことを、空中で突き落としてやりたいという衝動に駆られた瞬間もありました。

 何も知らない貴族の息子が龍鱗剥ぎを見に来たいと言っている、と村の長に聞かされたとき、私のうちに最初に生じた気持ちは、憎しみだったのです。


 貴族は、長寿のため、健康のためといって龍の鱗のスープを好んで食する。金を積むだけ積んで、自分たちは安全な場所にいながら龍の鱗を求める。そのために空狩人は命を懸け、ときに命を落とす。それは実際に起こっていることです。


 私には兄弟がいました。

 私は、もともと四人兄弟のうちの三男でした。

 弟は貴方の年齢になる前に、訓練中に裂空鳥に振り落とされて死にました。

 一番上の兄は、裂空鳥ごと龍の炎の息吹を受けて亡くなりました。灰も残りませんでした。

 二番目の兄は、強い気流に巻き込まれて龍の身体にぶつかってしまった際、それを疎んだ龍の爪から放たれたいかづちに撃たれて果てました。

 いずれも、ここ十年の間に起きたことです。


 私の妻は、もともと長兄の妻でした。

 妻のお腹の中にいる子は、私の子です。

 私たちは、これから沢山の子を作らなければなりません。

 龍鱗剥ぎの空狩人の子は、どうしたってそのうちの何人かが若くして死ぬ。これから生まれる子らも、間違いなく。

 それを前提にして多くの子を為さなければ、一族が途絶えてしまうからです。


 こんな仕組みは、どうかしている。

 龍の鱗が何だというのか。

 貴族の長寿のために、どうして私たちが命を散らさなければならないというのか。

 そんな風に思うことは一度や二度ではありませんでした。


 しかし、この渓谷に生まれ育った私たちは他の生き方も知らないのです。一人として文字の読み書きもできず、町での暮らし方を知らないような私たち空狩人の一族が、今さら町に降りて他の方法で金を稼ぐことができるとは思えない。

 そして、他の死に方もまた知らない。空狩人の職にあって天寿を全うしたと言える者は、私たちの村全体の歴史を見渡してもほとんどおりません。


 貴方が私たちの村に宛てて、龍鱗剥ぎを実際に見てみたいという願いを送られたとき、村の意見は割れました。応じるべきとした意見と、断るべきとした意見が争うこととなったのです。

 結局のところ、報酬として提示された額が良かったので、私たちの村は貴方の道楽に応じることとなりました。そして、世継ぎが途絶えかかっている一族の者である私が、村にとって命の重さが軽い私がその案内役に選ばれました。


 貴方は驚くかもしれませんが、貴族が龍鱗剥ぎの現場を見ることで、今以上に龍の鱗が買い叩かれるようになるのではないか、というのが反対する者の意見でした。

 龍の鱗は高すぎる、もっと安く売れというのは貴族の側から度々言われていることでした。

 私たちにしてみればとんでもないことですが、貴族たちにも財布の事情というものはあるようです。

 龍の鱗は空狩人が取って終わりではありません。それは町へと運ばれ、商いの流れを経て貴族の屋敷へと辿り着きます。そしてもちろん、龍の鱗を調理できる腕の良い料理人もまた必要というわけで、スープが貴方たちの口に入る前に何度もの金の支払いがあるのです。

 そんなわけで、実のところ、貴方が私に手渡してくれたあの案内の対価としての銀貨は、あのときに取れた鱗の全てを売って私たちが得られる額よりも多いものでした。

 その銀貨の幾許かを、町への路銀と代筆屋への支払いに充て、この手紙を貴方に送っている次第です。

 

 私は、貴方に怒りをぶつけたいのではありません。

 ただ、私たちがここでこのようにして生きているということを、知ってほしかったのです。

 渓谷で私と共に空を駆けてくれた貴方には、私たちのことをもう少しだけ知って欲しいと思った、それだけのことです。


 それとも、貴方に対して私も敬意を払いたいと思ったのかもしれません。

 貴方が私の技術を褒めてくれたことは、嬉しかった。

 報われたとは申しませんが、貴方は私に、確かな敬意を払ってくれました。

 そのことは、私にとってこれからの財産となるでしょう。

 もっとも、この手紙を貴方が読む頃に私が命を落としていないという保証もありませんが。


 妻の体調は良好です。

 お腹も順調に大きくなってきています。

 あのとき、妻と赤ちゃんのことを気遣ってくれたこと、本当に嬉しく思いました。

 これから生まれてくるこの子に、どうか祝福あれと思っていただければ、これ以上のことはありません。



 親愛なる友人、シュミセル様へ。

 どうか、立派な貴族になってください。

 この手紙に、銀貨だけの価値があることを願って。


 アーシェ渓谷のレオム 

――――――――――――――――――

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