いつもお世話になっております。
先日、新しい短編というか中編というかを投稿させていただきました。
「りゅうせいぐん」、ハイコンテクスト俳句、シンギュラ小説〜生成AIは愛の奇跡を書くか〜
https://kakuyomu.jp/works/822139840258600741
最近話題の生成AIについて、じゃあ俳句や小説といった文学はAIでどうなるのか!? という話を二人の女子大生が語る、という体裁のセカイ系百合SFメタミステリー小説……なのですが。
その中で提唱しているのが「ハイコンテクスト俳句」という、俳句一つのために世界観や背景設定をマシマシの盛り盛りに捏造することで凄いのができるのでは! という案なんですが、せっかくなのでちょっと試しに現行のAIに実作してもらいました。
その作品が思いの外良かったのでご紹介します、というのがこの近況ノートの趣旨になります。
私は俳句についてはズブの素人でして、下記の作品も本当に良いやら悪いやら、季語がないとか定型になってないとかもあるし、そもそも写実主義を愚弄している等の説もあるのですが、どうかご寛恕頂ければ幸いです……。
ということで、ご笑納ください。
解説文もAI生成のママとなっております。
「三円で 夕焼けを買う 秋の暮」(Gemini)
【コンテクスト】
「感情」がデジタル資産として取引される社会。美しい風景を見て「感動」するためには、その感情のライセンスを購入しなければならない。「夕焼け」の感動レートは秋の夕暮れ時に高騰するが、型落ちの「10年前の夕焼け」なら3円(感情単位)で安売りされている。
【解説】
「秋の暮」という情緒的な季語が、ここでは「ライセンスの有効期限切れ」という即物的な意味に反転しています。
「あいうえお かきくけこまで 言い切れず」(Gemini)
【コンテクスト】
国家によって「使用可能な文字数」が一人一日10文字までに制限されたディストピア。11文字目を発した瞬間に声帯が電気ショックを受ける。「愛している」と言うためには6文字を消費するため、日常の挨拶(あいうえお……)を完遂することすら命がけの博打となる。
【解説】
50音順を唱えるだけの幼児のような句ですが、背景を知ると「日常の言葉を奪われた者の、極限の沈黙」が浮かび上がります。
「枯野ゆく最後の船の煙かな」(Claude)
「最後の船」とは北の海洋民族オーセンが語り継ぐ伝説の船で、死者が乗り込み、生者の見える最後の水平線を越えていくとされる。ただしオーセンの宇宙観では海と野は連続しており、枯野の果ても水平線と同じ場所に繋がっている。煙は別れではなく到着の合図だ。季語は「枯野」で冬。この句は文字面だけ読めば寂しい冬景色だが、オーセンの文脈では船が無事に着いたという、静かな祝福の句になる。
「春暁や鏡の裏に名を刻む」(Claude)
鏡職人の組合「銀面会」には、引退する職人が生涯最後に作った鏡の裏面に自分の名を刻む慣習がある。表には決して名を入れない。その鏡は誰かの家に渡り、毎朝誰かの顔を映すが、裏の名を確認する者はほとんどいない。春暁、夜明けの光が初めて差し込む瞬間に鏡を完成させることが、最上の仕事とされる。季語は「春暁」で春。この句は、見られることのない場所に刻まれた、一人の職人の全生涯だ。
「曼珠沙華セヴの二声目に散る」(Claude)
セヴとは発声ではなく、二者の沈黙が完全に一致した瞬間に生まれる現象を指すロトゥア語の語彙だ。一声目は偶然の一致、二声目は意志の確認、三声目は永続の契約とされるが、三声目に至った記録は現存しない。曼珠沙華がセヴの二声目に散るということは、確認はされたが、契約には至らなかったということだ。季語は「曼珠沙華」で秋。この句には題名がない。題名をつけることがセヴの三声目に相当するとロトゥア語圏では考えられているからだ。
「初雪や贖罪暦の余白の日」(Claude)
贖罪暦とはネイア修道会が独自に用いる暦で、通常の暦と完全に対応しているが、一点だけ異なる。ネイア暦には年に一日、どの季節のどの日にあたるかが毎年変動する「余白の日」が存在し、その日は暦に何も記されない。信徒はその日が来ても気づかないまま過ごすことになっている。気づいてしまった者は修道会に申告する義務があるが、申告した者が何をされるかは外部に漏れていない。初雪が降った日が余白の日だったとしたら、この句を詠んだ者は今どこにいるか。季語は「初雪」で冬。
「春泥や鳥よ正しい方の翼で」(Claude)
この句だけ世界設定がない。「正しい方の翼」が何を意味するかを説明する文書は存在しない。この句が最初に記録されたのは、ある図書館の廃棄リストの余白で、作者名も日付もなかった。研究者たちはこの句を、特定の文化圏の文脈を持つハイコンテクスト俳句として分類しようとしたが、対応する文化圏が見つからなかった。現在この句は「文脈不明」として保管されている。季語は「春泥」で春。読者がこの句に感じた何かが、おそらくこの句の本当の文脈だ。
それぞれの句の背景設定も、小説としてしっかり書いたら普通に面白そうで焦りました。
私は最後の「春泥や~」が特に好きですね。
意味がわからないのに何か良い気がします。
「意味がわからないのに何か良い」を狙い撃ててるのはだいぶ脅威なんですが……。
生成AI恐るべし……。私も頑張ろうと思いました。
長文をここまでお読みいただきありがとうございました!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。