第6話
メリクが無口になった。
以前から饒舌というわけではないが、一層口を開かなくなった感じだ。
目の見えない彼を地上に出すためには手を取って歩いてやらなければならなかったから、そこ気を付けてとか、そこ足元石がある、とか言えば「はい」と頷くし、貸してる肩に、手でも支えてやれば「ありがとうございます」と小さく声も返った。
しかし、心が陰に籠った気配はした。
「ああ、地上が見えて来た。
この階段で終わりだぞメリク。もう少しだ、がんばれ」
「はい」
ようやく外に出ると地上は夜だった。
「俺が【天界セフィラ】の結界から出た後、ザイウォンの近くに転移した。
多分ウリエルはその辺だろうが……お前はどうだ?
魔力を辿ってウリエルの許に戻れそうか?」
「……いえ……すみません……ダメみたいです。彼女の居場所が全く分からない」
「そうか。俺は【天界セフィラ】寄りの体になってるから、元々あいつの魔力にもうほぼ依存してないんだが、おかげであいつの場所は全く分からん。
だけど俺も全然まだまだ精神体に戻りそうもないなあ。
今の俺は普通の肉体ってことなんだよな。
実体化してる間は【
もうちょっと地上の薄い魔力に慣れんとな。
このまま久しぶりの地上にどこへでも行きたいところだが、召喚主であるウリエルと離れると、やがては精神体に強制的に変化する」
「ええ……。そしてその精神体も自らの魔力が尽きて維持できなくなると、本当に魂が消滅するようですね」
「ふーん。魔力が尽きたら、か。
なんか含んだ言い方だよな。例えばそれ、魔石とかで魔力が尽きるのを補填したらどうなるんだ?」
一人で話していたラムセスはハッとした。
「すまんすまん! お前そっちのけで」
「……あの……セス」
「ん?」
「ここまで来させてなんですが、ここから移動するとなると、また俺は時間が掛かります。
でも貴方一人ならばザイウォンくらいは地理的に馬車でも乗り継げば向かうは容易いと思います。
俺はとりあえず地上には出れたので、どうぞここに置いて行って下さい。
時間が経てば【ウリエル】の方が目覚めて……そうすれば俺を【天界セフィラ】に送って下さるかもしれませんし」
「まあなぁ……」
「もし、構わなかったらその赤蝙蝠を置いて行ってくれませんか?
その子は魔力を帯びているので、案内役として捉えやすいんです」
「こいつか? いいけど、でもこいつよく道草を食うからな……文字通り。
……まあでも言ってても仕方ないか! 分かった、そうしよう!」
ラムセスは赤蝙蝠をメリクに預けた。
「お前の弟子たちがウリエルの許にいれば、こちらに向かわせる。
精神体に戻れそうだったらすかさず【天界セフィラ】に戻るんだぞ。
そのまま地上にいたら、地上の魔力じゃ俺達は存在を維持できず消滅するんだからな」
「はい」
ラムセスは歩き出した。
足音が去っていく。
あの魔術師の独特な気配もだ。
メリクは彼とは反対側に、風の気配を辿りながらしばらく歩き、大きな樹の下に辿り着いた。
腰を下ろす。
肩に留まっていた赤蝙蝠を地に下ろしてやった。
水が近くに在る。
湖かもしれない。水の精霊の気配がしきりにざわめく。
「……ザイウォンか……」
その言葉が導くように、鐘の音を思い出した。
響く聖歌。
美しい聖歌に響く、石の巨城。
ぽつ、と羽を畳んで地に座っていた赤蝙蝠は頭の上に降って来た雫を見上げた。
メリクは両手で顔を覆った。
(もう俺は、存在していたくないんだ)
リュティスの身は確かに守った。
【天界セフィラ】に【ウリエル】が反意を向け、戦いになるのなら、自分などの力など何の足しにもなりはしない。
だがリュティスには【
彼の力は大天使バラキエルに通じていた。
ならばあそこで討たせるわけにはいかなかった。
だから守った。
それだけだ。
『お前あの王子が好きなんだろう?』
関わらないようにしようと思った。
出来るだけ遠く、
出来るだけ離れて、時をやり過ごそうと。
でも、どうしてもダメなのだ。
リュティスの魔力。
あの光、気配。
感じ取ると自分でもどうしようもなくなる。
危険が迫っているならば、全身が守る方へと駆け出して行ってしまう。
……思い出してしまった。
ずっと封じて来た想い。
サンゴール王国を離れてから、考えないようにしていたこと。
どんなにあの人を愛していたかを。
【お前の、他人に寄生してまでどこまでも生きようとする醜悪な魂は
結局死んでもなお、変わらなかったわけか。
サダルメリク。
貴様のその面を見たこの瞬間、俺は地獄に蘇ったことを実感している】
それは違う、と思った。
(死んでなお、貴方に会えたことは……)
石のように光の無い瞳から、涙が溢れる。
(俺にとって、奇跡のように嬉しいことで)
自分が何を望んでもう一度蘇ったか、メリクは分かってしまった。
彼の盾となって死ぬことじゃない。
――今度の生では、彼に愛されるものになること。
メリクは抱えた膝に顔を伏せた。
だから今、こうしてまだ生きているのだ。
(なんて浅ましいんだ)
妄執だ。
こんなもの。
愛情じゃない。
(消えよう)
メリクは手を握り締める。
(消えよう。今ここで、このまま、魂の死を迎えよう)
心に決めた。
――その時、キィ、と声がした。
握り締めていた手を取られる。
「メリク、どうした」
誰かが側に立った。
「………………、セス……」
手を取ったメリクが顔をあげると、見たこともない顔で彼は泣いていて、
その時風が吹き、森の木々が揺れ、葉の合間から月の光が差し込んだ。
こちらを見上げたメリクの、呼びかけられて驚いて見開いた瞳が照らされて、
普段は石のように沈んだ色が透き通り、その奥底に、深い悲しみを抱え込んだ雫が光のように輝いて見えた。
風に避けられた栗色の髪から白い額が覗く。
一瞬、ラムセスは息を飲んでいた。
目を奪われたのだ。
雲がまた月を覆い隠す。
暗ずんだ世界で、メリクの表情はまた陰に籠って行く。
ラムセスは両腕を広げると、メリクの背まで腕を回して抱きかかえた。
「どうした。そんなに泣くなよ……」
術衣についた帽子が後ろに落ちる。
零れた赤毛を押し付けて、彼は抱きしめて来た。
大きな手が頭を撫でる。
……優しい声が響く。
「もう泣くな」
竜の秘術を伝える大国サンゴールにおいて、
最もたる輝かしい功績を残した魔術師である。
彼が去った後の世で、サンゴールは魔術大国として栄え、
当時のエデン最高学府と言われる魔術学院も創立され、
数多くの優れた魔術師を輩出したが、
そのいずれも、賢者ラムセスの名には及ばないとされた。
何故なら、彼らの基盤となった魔術の知識は、
魔術師ラムセス・バトーの研究を許に、枝葉を伸ばして行ったものだからである。
後世の高名な魔術師たちは偉大なる父の血を引く、みな彼の『子供たち』なのだった。
彼の声が紡ぐ魔術は輝く真実を導き、
天災においては、降り注ぐ星からも国を守る秘術を識ると謳われた。
その唇に乗せる魔言は、望むべき未来を紡ぐ。
彼の望む、未来を。
「泣くな……」
そして優れた魔術師とは、
時に、
……不思議な予感に駆られて、向かうべき場所へ足を運ぶことがある。
ラムセスは去ろうとした。
事実、去ったのだ。
斜面を下る途中に月を見上げた時……どうしても戻らないといけないような気がした。
一体それは何の予感だったのか。
誰のための予感だったのか。
魔術大国サンゴールの、
創始の魔術師ラムセス。
【聖なる炎は世界の真理を見出す】
炎の紋章を所有した魔術師に、
時の王妃が贈った賛辞である。
【終】
その翡翠き彷徨い【第82話 真紅の魔術師】 七海ポルカ @reeeeeen13
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます