藍条さんの【三つのオルゴール】の話は本当に女性キャラがいいんですよね……。
いや違うんですよ。男性キャラも間違いなくカッコいいのですが、結構作者によって男性キャラの魅力の戦闘力と女性キャラの魅力の戦闘力の格差が甚だしい人って実はいるのです。
男キャラはいいんだけど女キャラが魅力ねえな……とか。
女キャラはいいんだけど男キャラがどうも好きな奴いないとか。
結構「利き腕」ならぬ「利き性別」ある作者っているのです。
ちなみに私は、かなり両利きの方だと思います。
男だとか女だとかで、さほど書き方に格差は出せずに書けるタイプです。
多分、あんま性別に普段から性別に拘っておらず、カッコいい人は「男だろうが女だろうがカッコいいな!!✨」という性別に拘らない人間の魅力みたいなのを感じ取ってるからだと思います。
作者の好みを男女の外見とかにあんまり出さないタイプなのもありますね。
色んなタイプの人間を書くので。
キャラ性に拘り過ぎる人は、案外人間を型にはめて見てる所があるので、知らない所で男女というものも型にはめて書いてたりして、それゆえに大量生産型キャラと化して魅力を失いキャラ性に拘れば拘るほどオリジナリティが失われ凡庸になるという悪循環になるのかもしれません。
私が思うに、
人間が人間に魅力を感じる醍醐味は「千差万別」「十人十色」です。
「今まで誰も書いたことのないようなキャラを」などと風呂敷を最初に大きく広げすぎてはいけません。
そこは一番最初は「自分の話の中で、各々個性が被らないような人にしよう」くらいで、一人一人を丁寧に書けばいいのです。
最初からキャラ性に期待し過ぎないことはとても不自然な話を作り出さないためにも大変重要だと思うのですが、案外この辺りは商業誌を抱える大手出版社などが「最初からキャラ性を爆発させてほしい!」などという流れに昨今なって来てるのは若干鬱陶しい所です。
まあプロになりたいのなら流行を鋭く捉え、自分の作品に取り入れる術は心得ておくというのはいいことですが、
何でもかんでも出版社の望むような人間になるのはいけません。
彼らもコンテストなどでは「我々の想像を超えるような作品を」と求めて来るのですから、そのあたりは「昨日言ってたことと今日違うことを言う相手だ」ということは分かっておかねばならないと思います。
魅力的なキャラというのは、
やはり究極には「自分の考えを持った人間」のことを指す気がします。
善や悪といった区別の中ではなく、一つの組織の中、或いはその世界に生きる人間としてどう生きるかを、「彼もしくは彼女」として考えていること。
その生き方の信条をはっきりとさせることで、
状況に応じてその信条を変化させたりさせなかったりすることで、
彼らの情けや内心、何に心を動かされる人なのかということが外的要因によって引き出されることで、個性となる。
個性とは作者が張り付けるものでもなく、
パッケージを付ければ出て来るものでもなく、
「言動」あってこそ浮かび上がって来るものです。
藍条さんの【三つのオルゴール】の話にはいくつかの勢力が出て来ますから、色んな立場の人間が、色んな個人の利害関係において、様々な立場を取っています。
そういう描き方が上手いので、どのキャラにも個性が見られるのですが、
私が気になるのはそれぞれのキャラが登場してから、長い長編の末に、最終的に彼らがどれほど当初の印象や考え方行動が変わるのか、中には変わらない人もいると思いますし、変わりたくなかったけど変わらざるを得なかった人とかも出て来ると思いますが……当初の立ち位置からどのように変化するか。
その「変容」の様子を楽しみに見守りたいですね。
個性すら、人間を表す成分の一つでしかありません。
人間は人間に出会ったり、
色んな出来事に出会うことにより「変化」する生物です。
最初の立場を明確に打ち出すことにより、
それがどう変わっていくのかが非常に分かりやすく捉えやすいので、
今日読んだエピソードにアルヴィルダという若い女性ですが教皇という立場の女性が出て来るのですが、言動を見る限り非常に興味深いです。
揺るぎない人だということ、
付け入る隙がないこと、
現時点では主人公にも説得は不可能だということが、
たった1話でも伝わってきました。
ああいう揺るぎない女性を描くのが藍条さんって非常に上手いのです。
前にも書きましたが世界観や設定自体は悪くなく、キャラも真面目に作られていて、深刻なシーンもあるのに「ヒロインだけがふざけた幼稚な言動をする」話があり、私はそれがダメ過ぎて読むの止めてしまったのですが、
あの話も何故、ヒロインだけあんなギャグ枠にしてしまったのか、本当に理解に苦しみます。コメディ要素も、楽しいことも、明るい雰囲気も、きっとあんなヒロインにギャグパッケージを付けずともあの人なら書けたと思う技量はそれなりに感じたのですが、なんでしょうね……劇的に女キャラを書くのが下手な、重度の「利き性別が男」の人だったのかもしれません……。
あのヒロインが藍条さんの所の女性キャラのような、芯の強さや、揺るぎなさ、少なくとも「芯のある人だ」と思えるような女性像であるだけであの話の雰囲気全く壊されなかったと思うのに……。
利き腕ならぬ 「利き性別」は、
自覚することがまず重要です。
自分は男キャラが上手いのか、女キャラが上手いのか。
大差ないのなら両利きなのでそんな意識することはないですが、
明らかに書き方に差が出てしまうほど誤差が大きすぎる場合は、意識的に苦手な「利き腕」を丁寧に使うようにし、得意な方までとは行かなくとも、上記の人のように世界観潰してしまうほど利き性別によって魅力に差が出てしまうのは修正する必要があると思います。
自覚するだけで意識の仕方が劇的に変わりますので、
結構これだけでも修正は出来ます。
まず自分の作品をちゃんと自分で読んで、自分の【利き腕(性別)】を認識、自覚すること。
スポーツ選手などにも利き腕、利き足などは当然ありますが、
意識して使うことで弱点の大きさを少なくすることは出来るそうです。
ドイツのサッカーなどは少年サッカークラブなどのジュニア育成過程では、まず「両方の足でプレーできるようにする」ようですね。
別に両利きトレーニングをしても、利き足の得意は失われないので、「弱点を矯正する」という発想なのだと思います。
作者の利き腕はどっちでも構いませんが、
【利き性別】はかなり作品作りにおいて重要です。
藍条さんは女性キャラがあまりに素敵すぎてつい女性キャラ誉めてしまいがちなんですが、男性キャラもとても魅力的なので別に【利き性別女性】というわけではない気がしますね。 あの方多分私が思うに両利きの作者さんですわ😊
ただとても女性キャラが素敵なのでついつい女性キャラいいねー!って言うてしまう✨
そう考えてみると、私が好きな小説家や漫画家は【両利き】多いな
男女どちらも魅力的。
やはり案外大成する作家さんとかは【両利き】の人多いのかもしれません。
ただそれが男女という性別に関わらず人間そのもの描き方が上手いのだ、と思えば確かに納得出来る理由だな
利き性別があること自体は全然悪いことじゃないですよ。
それを利用してその性別の方を無茶苦茶魅力的に書けばいいのですから。
ただし、利き腕との実力差があまりに大きい場合、利き腕じゃない方は弱点に成り得るので注意しなければならない、ということでしょうかね😊