第5話


 ……瞳を開く。


 いや、開いたつもりだった。


 メリクの目には光が無いので、景色が変わったわけではない。

 何も見えなかったが、瞼は開いたつもりだ。


 誰かの手が、額の辺りに触れている。



「…………セス?」



 笑った声が聞こえる。


「なんだ、よく分かったなメリク」

「……はい、貴方の気配は独特なので……」

「そうなのか? 自分じゃよく分からんな」

「なんとなくです。大したことじゃありません」

「大丈夫か? 大きい傷とかはないみたいだけど……痛む所とか、折れてるとかないか?」


 メリクは言われて、両腕を動かしてみた。


「……。平気のようです」

「そうか! 良かった。状況分かるか?」

「……いえ、あまり……ここは」


「アリステア王国の地下道だ。もっとも、お前たちがバラキエルと戦ってた層からは大分落ちて来たけどな」


「落ちてきた?」

 うっすらと、思い出して来た。


「上で大暴れしたの例の【魔眼まがん】の王子だろ?」

 おかしそうにラムセスが笑っている。


「……【ウリエル】はどうなったんでしょう」


「ん? さぁ分からん。だが俺やお前がこの通りピンピンしてるということはくたばったってことはないだろうよ。あいつも相当【天界セフィラ】には警戒されてる。今回はお前たちは内輪揉めに巻き込まれたな」


「……そうですか」


 メリクは自分で、ゆっくりと身を起こした。

 それから見えない目で、自分の手を見る。


「……俺は何故消えていないんだろう」


 ラムセスは辺りを見回した。


「この地下道は見た目よりずっと特殊な魔の領域になってる。

 そのことが【ウリエル】とはぐれたお前を助けたのかもな」


「そうですか……。セスはウリエルに従属はされてなかったと思いましたが……何故ここに?」


「んー? 天宮てんきゅうで巫女たちが野蛮な地上の魔術師が特大の大穴開けたって聞いて面白そうだったから見に来た。災難だったな、メリク」


 くっくっく、と彼はおかしそうに笑ったが、メリクは思い出した。


「いえ、あの……多分あの穴を開けたのは……俺です」


 ラムセスは目を丸くする。

「え?」

「咄嗟に魔力を放ってしまったんです」

「なんだ、野蛮な魔術師ってお前のことだったのか?」


 メリクは苦笑した。

「多分……すみません。俺は自分の開けた穴に落ちてここまで落下して来たわけですね」


「そうみたいだな。でも普通に落ちてたらぺしゃんこになってたはずだから、なんか魔力を使ったんだろうな。勘がいい」

「他の方は崩落には巻き込まれなかったかな……」

「まあ一応気配は探りながら来たけど、多分平気なんじゃないか?

 誰もいない感じだったし。

 そういやお前の弟子その1とその2が天宮に駆けこんで来て、お前を助けに行かなきゃとか騒いで出て行ったけど、来てないな。迷ったのかもしれん」


「そうですか……あの、バラキエルという魔術師はウリエルが討ったのですか」


「そうみたいだな。そのことで天宮が大騒ぎだった。

【ウリエル】は以前から【熾天使してんし】に叛意は取っても、こうして天界セフィラの魔術師同士で殺し合ったことは無い。それで騒ぎになったんだろう」


「そうなのですか……では天界から彼女に対する追撃が差し向けられるかもしれないのですね」


「面倒臭い雰囲気になって来たなあ。

 戦は貴重な研究資料や材料をいっぱい燃やすから嫌いだ」


 メリクはゆっくりと立ち上がった。

 少し身体の各部位を動かして、問題がないことを確かめた。


「……貴方の言った通り、ここは魔力が一極化していますね。

 申し訳ありませんが、道しるべになっていただいても構いませんか?

 貴方の気配は追えると思うので」


「もう行くのか? 今拾って来た薬草を瓶詰してるからもうちょっと待ってくれよ」


「あ……すみませんそうでしたか、失礼しました。勿論、構いません」

 そう言われてメリクはもう一度、寝ていた所に腰掛けた。


 辺りの気配を探ったが、やはり分からない。

 外なら木や、水や、風に宿る精霊の気配を追えるのだが、この洞窟は精霊の気配が薄い。

 いや、魔力の気配が強く、それに息をひそめるように同化しているのだ。


 くす、と笑う声が聞こえた。


「メリク、やっぱりちょっと変わってるな」

「? そうですか?」

「今のは普通、そんなことしてる場合じゃないでしょ! 早く地上に戻らないと! って言う所だ」

「ああ……」

 なんとなく、曖昧な相槌を打った。

 ラムセスは振り返る。


 メリクはまるで瞑想する人のように目を閉じていた。

 彼は目が見えないので、自然と不必要な時は閉じているようになったのだろう。


「メリクの瞳ってさ。ホントは何色なんだ?」


 今は石のような灰色に沈んだ色だ。


「瞳ですか? ……緑だったと思います。確かレインが、これが一番俺の目の色に似てると【サイスの水晶】をペンダントに……」


 胸元を探って、首を傾げている。


「ああ、ごめん。上で落ちてたの俺が拾ったんだ。なんか鎖の所が壊れてる。あとで直してやるよ。預かっとくからな」

「すみません。ありがとうございます」


 ラムセスは手の中のペンダントを見下ろした。

 緑というには、青みがかっている。だが青い瞳というには晴れていた。

 深い翡翠色、そんな感じか。


「あいつがそう言うなら、相当そうなんだろうな」

「?」

「綺麗な色だな。そうか、お前は本当はこういう色の瞳をしてるのか……」


「なにか、貴重な薬草を摘まれたんですか?」


「うん。セフィラでな。お前たちが西の神域を守るバラキエルを倒してくれたから、おかげで警備が手薄になって俺は思う存分いつもは入れない所まで入って色んな薬草を採取してやった!

 思った通り貴重なものもたくさんあった。

 新しい研究に役立ちそうなんだ」


「そうでしたか」


 メリクは嬉しそうなラムセスの声にくすくすと笑った。


「そんなのんびり笑ってていいのか? メリク。

 俺はお前の弟子たちがお前を助けに行こう! って飛び出した時同行を乞われたが、薬草を摘みに行かなきゃなんねえからって断ったんだぞ」


「はは……」


 やはりメリクは微笑った。


「貴方が必死に俺を助けに来なくてはならない縁でもないでしょう。

 それに魔術師にとって薬草は大切な研究資料です。

 高名な魔術師たる貴方が研究で使うならば、

 尚更……その上、貴方はこうしてここに来て下さったのだから、

 礼を言わなければ罰が当たりますよ」


「そうなんだよ。期待しててくれ」


 草の擦れる音がする。

 なんだか懐かしいような気がした。


(薬術研究か……懐かしい気がするな)


 朧気だが生前、そのようなことをしていた気がした。



「なあ」

「はい?」

「あいつのことは聞かなくていいのか?」

「あいつ……レインですか?」

「いや。【魔眼】の王子だよ」

「……リュティス王子ですか? いえ……べつに……何故ですか?」





「だってお前、あの王子のこと好きなんだろ?」





 メリクは衝撃を受けた。

 それは生前、誰にも見透かされず指摘されたこともなかった、

 自分だけの真実だったからだ。


 ラムセスはというと、手元の薬草を判別しながら、一枚ずつ本のページに挟む作業を続けている。



「……なぜですか?」



「何故って、お前ずっとあいつの名前呼んでたぞ。うわ言で。

 お前が大穴開けたなんてびっくりだが……それで合点が行った。

 そうか。おまえ、そんな大慌てで何を魔力を放ったかと思えばウリエルじゃなく、あの王子をバラキエルから守ろうとしたんだな――うわっ⁉」


 ドン! といきなり横から衝撃を受けた。


 何事かと突き飛ばされたラムセスは、数秒後自分がメリクに馬乗りになられて、胸倉を掴まれていることに気付いた。

 メリクはというと、見えない目が見開かれ、そこに激しい感情が浮かんでいた。

 瞳は凍り付いていても、それは分かった。

 唇と指先が震える。


 それは、恋情を暴かれた照れなどというものではなく、恐ろしい秘密を暴かれた恐怖の表情にラムセスには見えた。


「えーと……アレ? お前って目が確か見えないんじゃなかったかな……」




「口にしないでください!」




 メリクは叫んだ。

 激高したと言ってもいい、そういう声だった。


「二度と同じことを口にしないで!」


「ちょ、メリク……」

「じゃないと俺は……」

 ラムセスはメリクを見上げる。

 吟遊詩人は見たことのない表情をしていた。


 勿論会って間もないのだから、そんなものがあっても不思議ではないのだが、

 これはそういう意味では無く、ラムセスから見てもメリクというこの青年が浮かべると思っていなかった、それは激しい感情、しかも情念の籠った表情に見えたのだ。


 いつも涼し気で、どこか浮世離れをしていて、のんびりと過ごしている彼らしからぬ表情である。


 


「…………俺は死ぬしかなくなる」




「え?」


 高まっていたメリクの怒りが、不意に妙な方向に歪んで折れた気がしてラムセスは目を瞬かせる。



「だから二度と口にしないでください!」



「わ、分かった! 分かった分かった分かったよ! 

 落ち着けメリク! こわいこわい!」


 ラムセスは、なんでそこが胸倉だと分かったのか知らないが、的確に自分の胸倉を掴んだメリクの手を上から押さえつけて、慌てて上半身を起こした。


「なんだよいきなり! よしよし落ち着けってば……」


 ラムセスは子供を宥めるみたいに突然激昂したメリクの背を手で撫でた。


「お前が言うなって言うなら言わないから!

 大体なんだその死ぬしかなくなるってのは! そんなわけあるか!」


「……。」


「まったく……!」


 ラムセスは自分の上からメリクをどかせると、

 あー、びっくりした! と言いながら元の薬草の前に戻った。



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