第58話  聖地開門――消す側の強襲

 千住貫森の夜は、音が薄い。


 虫の声さえ届かない。

 代わりに、靴が枯葉を踏む音だけが、妙に大きい。


 山肌に近づいた瞬間、シードが熱を持った。


 熱い、じゃない。

 指先の奥で、規則が揃っていく感覚。


 光が走る。


 岩の表面に、超幾何学の線が浮かび上がった。

 円でも四角でもない。どれにも属さない線が、互いを呼び合う。


 ニャースケが低く鳴く。


「……開くにゃ」


 風が止まった。


 森の匂いが消える。

 湿り気も、土も、全部。代わりに、乾いた金属の匂いが混じった。


 光の線が、岩から浮く。

 浮いたまま、回転する。


 ゲート。


 そう呼ぶしかない“面”が、山肌の前に現れた。

 空気が薄い膜になって、光を弾く。


 エルが一歩前に出る。

 左腕は上着の下に隠れている。ぶら下がった重さだけが、歩幅に遅れてついてくる。


「悠斗くん」


 一拍。


「近づかない……で、です」


 言い切った瞬間だった。


 ゲートの縁が、裂けた。


 光が開くんじゃない。

 “空間”が割れたみたいに、黒い隙間が生まれる。


 そこから、出てきた。


 人型。

 ただし人間の比率じゃない。


 背が高い。手足が長い。

 顔の位置が、こちらを測るように固定されている。


 そして——音がない。


 着地音も、呼吸もない。

 なのに、圧だけが増える。


 ガロウが息を呑む。


「……来たわねぇ。消す側」


 言い切りは震えていない。

 でも声の温度が下がっている。


 次の瞬間、橙の点が飛んだ。


 銃声は遅れて来る。

 乾いた連射。木の幹が跳ねて、破片が散る。


 エルが前に出た。右腕だけで構える。


 弾が地面を削る。

 土の匂いが上がって、暗い夜に生々しく刺さる。


 エルは撃たない。

 守りに回る。


 右腕で弾線を割り、体で角度を潰す。

 動きは速いのに、無駄がない。


 それでも、多い。


 左右、背後。

 森の暗がりから、さらに“静かな人型”が滲むように増えていく。


 クレアが、前へ出た。


 深く息を吸う。

 吐くとき、空気が震えた。


「……ここは、私が」


 声は落ち着いている。

 狂気はない。


 彼女の掌の周りに、赤い“圧”が集まる。

 色は見えない。けれど見え方が歪む。


 紅鬼の声。


 全開。


 空気が、殴られる。


 ドン。


 近づいていた人型が、まとめて後ろへ弾けた。

 木々が揺れて、葉が遅れて鳴る。


 クレアは暴走しない。

 足が止まらないほどの力を、止めている。


 「制御」が見える。


 ガロウが声を漏らす。


「……取り込まれずに、使うなんて」


 感嘆じゃない。確認だ。

 クレアが“戻ってきた”という事実の確認。


 みゆは前に出ない。

 呼吸が重いまま、両手を胸元に揃える。


 白い粒が、微かに舞った。

 夜の闇に、星屑みたいに散る。


 クレアが一歩踏み出すたび、敵が沈む。

 殴り飛ばすんじゃない。圧で、立つ場所を奪う。


 俺はゲートを見る。

 開いている時間は長くない。そんな気がした。


「入る!」


 俺が言うと、エルが即座に頷いた。


「行く」


 一拍。


「……です」


 クレアが後退しながら道を作る。

 みゆの白い粒が、その道を凍らせるように整える。


 俺たちはゲートへ飛び込んだ。


 重力が、まともじゃない。


 足が床に着いた瞬間、身体が半拍遅れて沈む。

 視界が、微かに回転している。


 壁がある。

 でも壁じゃない。


 炭素結晶みたいな格子が、立体のまま透けている。

 その格子を、液体みたいな光が流れている。


 音がない。

 機械音も、風もない。


 ただ、自分たちの呼吸だけが浮く。


 目の前に、人型が二体立っていた。


 同じ顔。

 同じ無表情。


 瞬きがない。

 呼吸音もない。


「案内する」


 片方が言った。声に抑揚がない。


 もう片方が、エルの左腕を見る。

 上着の下の形で分かるのか、視線がそこに固定される。


「損傷。修復対象」


 言い終える前に、床が開いた。


 ポッドがせり上がる。

 白い容器。光だけで形が保たれているみたいに見える。


 エルが動こうとする。

 左側が遅れてついてこない。


 俺は反射で、エルの右手を掴んだ。


「エル」


 エルが俺を見る。


「……大丈夫……です」


 その言い方が、嘘をつかない。

 怖いのに、怖がらない声。


 案内役が言う。


「ノア様の資産を修復する」


 その瞬間、空気が一度だけ鳴った。


 ニャースケが耳を立てる。


「……来たにゃ」


 視界の端に、白い影が立つ。


 ノア。


 声は静かだった。


「ここは、私にしか開けない領域がある」


 一拍。


「持っていかなければならない物がある」


 俺が口を開く前に、ノアが続ける。


「悠斗。エルを先に」


 命令じゃない。

 でも、拒めない調子。


 エルがポッドへ入る。

 左腕の断線が、最後に火花を散らした。


 ふたが閉まる。


 白い光が走る。

 スキャン。体温が奪われるような光。


 骨格が分解されていく“気配”だけが見える。

 見え方が揺れて、指先の感覚が薄くなる。


 俺は拳を握った。


 短い時間で。

 お願いだから。


 外の戦闘音は、もうここまで届かない。

 届かないのに、胸の奥がうるさい。


 ——二十分も経っていない。


 ふたが開いた。


 エルが起き上がる。

 左腕が、そこにある。


 見た目は同じなのに、光を拾い方が違う。

 粒子が流れているみたいに、腕の表面に微かな星屑が走る。


 エルが左腕を握る。

 火花は出ない。


 動く。

 滑らかに。


 俺の息が、やっと出た。


「……戻った」


 一拍。


「……ます」


 俺は頷いた。言葉が出ない。


 ノアが向こうを見た。


「来る」


 その一言で、施設の空気が変わった。


 合流地点は、広かった。


 床が鏡みたいに黒い。

 でも映らない。光だけ吸い取る。


 そこに、立っていた。


 人型じゃない。


 身長は二・五メートル。

 四肢が異様に長い。


 全身を、黒い鏡面の甲冑で包んでいる。

 関節の音がしない。


 ただ、立っているだけで、圧が増える。


 クレアが一歩出る。

 みゆが両手を上げる。


 白い粒が舞い、赤い圧が歪む。


 エルが前へ出る。

 新しい左腕が、光を拾って細く瞬いた。


 ニャースケが形を変える。

 剣にも銃にもなれる気配が、硬い音で噛み合う。


 武官が動いた。


 速い。

 長い腕が、距離を無視して届く。


 エルが躱す。

 新しい左腕で受ける。


 ガン。


 金属と金属の音。

 でも、地球の音より硬い。


 クレアが紅で押す。

 武官の甲冑が、微かに軋む。


 みゆの白が落ちる。

 温度が奪われ、床に霜の線が走る。


 武官は止まらない。

 止まらないまま、角度だけ変える。


 背後——。


 案内役と同じ顔の“別の人型”が、ノアの肩を掴んだ。


 ノアが抵抗する。

 白い影が揺れて、空気が鳴る。


「離せ」


 ノアの声が初めて鋭い。


 だが、人型は淡々と拘束を強める。

 感情がない。作業みたいに。


 ニャースケが叫ぶ。


「ノア!」


 俺が一歩出た瞬間、武官の長い腕が床を叩いた。


 ドン。


 衝撃で、足が浮いた。

 肺が潰れて、声が遅れる。


 エルが俺の前へ入る。


「悠斗くん……下がって……です」


 新しい左腕が、武官の腕を弾く。

 火花ではなく、白い粒子が散る。


 ノアがこちらを見る。


 時間がない。

 その目だけで分かる。


「これを!」


 ノアが何かを投げた。


 小さい。

 黒い。けれど光の縁がある。


 ニャースケが跳ぶ。

 空中で一瞬、止まったみたいに見える。


 口で、正確に受け止めた。


 ノアが言う。


「待っています」


 一拍。


「私を、助けに来てください——」


 次の瞬間、床が裂けた。


 ノアと拘束した人型が、光の割れ目へ落ちていく。

 落下じゃない。座標が書き換わるみたいに、消える。


「ノア!」


 俺の声が遅れて響く。

 届かない。


 武官が最後に一歩下がる。

 そして——ゲートが閉じた。


 光の線が折れて、消える。

 空気が元に戻る。


 戻ったのに、胸の奥だけが戻らない。


 地上へ出ると、夜空が広かった。


 森の匂いが戻る。

 でも、そこに別の匂いが混じる。


 高温の匂い。

 大気が焼ける匂い。


 見上げると、光が走っていた。


 巨大な船の航跡。

 雲を切り裂き、夜を割って、上へ上へ伸びていく。


 星に向かう光。


 クレアが唇を噛む。

 みゆが小さく息を吐く。


 ガロウが、空を見たまま笑う。


「……とうとう、そこまで行くのねぇ」


 ニャースケが、口の中の“それ”を落とした。


 黒い小片。

 触れると、冷たいのに指先が痺れる。


 俺は、エルの左手を強く握った。


 新しい左手が、握り返す。

 前より少しだけ、確かな力で。


「……行くぞ」


 言葉が短くなる。

 短くしないと、壊れそうだった。


「ノアを、連れ戻しに」


 夜空の向こうに、光が消えていく。


 俺たちは、その方向を睨みつけた。


 ——Episode 1:地球編・完





ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

本作のEpisode 1――地球編は、これにて完結となります。


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