あとがき、のような話
才能や感覚について、ひいては創作論のなぜ
私の昔話をしましょう。これは技術的な話ではなく、ちょっとした蛇足で、動機の話。エンタメとして消費くださいませ。
私が初めて書いた小説はどんなものか?
ええ、皆さんはどうですか?
多分ねえ、私まで『才能』や『センス』がねえ奴は少ねえと思うんですよ。今時、この情報社会で。
①
才能とは?
これは、小説を書く上で私がこれまで語った全てを『理解』していて『言語化』しなかった甘えの言葉です。
しかし同時に、小説の書き方『5W1H』や『良い文章』とか、何故か書けるだけの基礎力があった訳で。そうした方々は『感覚』と言う抽象的な言葉で書けちゃうんです。
なら、才能やセンスやないかと。
思いますよね。
いや、私も悩んだものでして。
②
『感覚』とは?
小説の基盤技術、良い文章を書く為に必要な技術、知識の取捨選択。を、一足す一は二、みたいな経路を辿らずとも無意識に実行する行為です。
それを才能と皆さんは呼ぶのでしょう。私はね、定義します。
勘は漠然としたものじゃない、センスは曖昧なものじゃない。
噛み砕いて細分化して具に解釈するなら
膨大な経験と知識を組み合わせた脊髄反射みたいな強度で行われる比類なき異常な速度の論理的且つ理論的思考回路により導かれた結論、を『感覚』と言うならば、彼等は『才能』や『センス』で書ける『感覚派』と言えるでしょう。
皆さんも持っている無意識の、感覚で書ける人達がなぜ、感覚で書けるのか?
これが事実です。
そして私には経験もなく知識もなく、技術も知らなかった。だから『感覚』で書ける人間じゃなかった。
私の初めて書いた小説では
『わ』と『は』の区別すらなかった。
文章の基本原則を知らないからです。
圧倒的に知識不足の人でした。
そして感覚がないものですから? そうした日本語の最低限の知識とか、ストーリーとか? 描写とか? まあ、全部知らんのですよ。
だから、私は分析して体系化して、論理的に『なぜ?』を突き詰めなきゃ書けない人間になりました。
1+1=2
そうした式を辿らなきゃ、書けないんです。
良いよね、感覚派。この式を計算しなくても、答えがぼんやり浮かんでくる。
感覚派には
1+1=2
じゃなくて
2
が真っ先に浮かぶ訳です。皆さんもそうだと思います、本当に。
例えばね
あなたはドアを開ける時、考えてますか?
右手を使って、ドアノブを握り、捻ってロックを解除して、その後にドアを押して開いたスペースに身体を進める為に右足と左足を交互に繰り出して、扉を抜けてスペースを確保してドアノブから手を離して。
みたいな事、考えてますか? 大概は『知識』を『感覚』で捉えて実行します。
それは私の中では『なんとなく出来る』ではなく『論理と理論を無意識に使った思考の帰結』と考えてました。
ええ。そしてその『感覚』は、誰しも持っています。壁をぶち破っている人でも、感覚の人が多いと聞きます。
態々、言語化『1+1=2』とせずとも、書けるんです。『扉を開ける』を『右足を使って〜』みたいに辿らなくても良いだけの話。
それを『才能』と呼んでるだけです、ですが、私がこの創作論で一貫して『論理や技術知識』を体系化している裏打ちでもあります。
『才能』はね、授かるものじゃない。積み上げた知識を無意識、脊髄反射にまで押し上げた思考回路なだけです。
私は感覚で殆ど書けません、非常に、その脊髄反射にまで押し上げた思考回路を使えない人間です。才能とやらがないです。
じゃあどうやって上手くなろうか?
なぜ? を繰り返して、分析して、定義するしかないな、と。
で、今の私があります。
総括
誰でも小説を書けるんだ。
私みたいに『わ』と『は』すら区別できなかった人間でも、書けるようになれたんだ。これは、そうした苦悩から導いた書き方の一つ。
1+1=2
を言語化した創作論です。
本質はですね。
誰でも小説は書ける、才能なんざ蹴飛ばそうぜっ!
飛びっきりのエールを、悩むあなたへ贈るお話でした。
まる。
基礎創作論〜壁越えしよう〜 千古不易 @33VS4
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