2005年のあなたへ
朝吹
そのブログは2005年から始まっていた。その頃わたしは同性ストーカーからの加害に悩まされていて(現在進行形)、人格障碍について調べているうちに、そのブログに行き当たった。
その古いブログは本題の記事自体は書き終わっていた。わたしが見つけたその頃はもう、数年おきに、事務的な近況報告があがるだけになっていた。
ブログ。といっても、今の若い方はもう知らないかもしれない。
簡単にいうなら、タグの知識がなくとも、ホームページビルダーを使わなくても、誰でも簡単に書いたものを日付順にネットに上げることが出来る画期的な無料ツールで、近いところなら、カクヨムの「近況ノート」のようなものだ。
ブログに書かれてある世相はふた昔も前の感がある。
スマートフォンもない。LINEもない。mixiがようやく出てきた頃。
そしてブログの書き手が口にする歌は鬼束ちひろ。
2005年のタイムカプセルだ。
ブログの書き手は「妻」だ。
そして彼女を苦しめていたのは、配偶者である「夫」だ。
日々の粗探し、公開説教、人格否定、能力否定、
「俺がお前をしつけ直してやるから感謝せえよ」「お前もはやく俺のいる上の世界に来ることだな」
感情の一切を否定され、一切の努力を否定され、「本質が見えてない」と嘲笑されて、彼女の資質や心は片っ端から入念に、完膚なきまでに潰されて、完全にぺしゃんこにされていたその「妻」が、
「おかしいのはわたしではない。夫が人格障碍者なのだ」
そう気づくまでの過程。
そして、「お前を苦しめるためにも絶対に離婚しない」とのたまう男から離婚をもぎ取るまでの壮絶な上にも壮絶な過程を、克明に記録したものだった。
それは2025年になった現在でも、世間にはほとんど理解されることのない、人格障碍モンスターと闘った、ひとりの女性の記録だった。
ストーカーや毒親ならば当時であっても、「なんとなく」なイメージはあったかもしれない。
殺害や虐待によって被害者が死なない限り理解されることはないという哀しい但し書きがつくにしても、「なんとなく」一般的に知られている。
しかし人格障碍者からの被害、というのはブログが書かれた当時も、現在も、ほぼ知られていないのが実情なのだ。
それをそのブログは、ほとんど頼れるもののない五里霧中の手探りのうちにも、その時の自分の心の動きをそえて、書き切ってあった。
その記事は専門医が書くような無味乾燥な知識ではなく、実体験の赤裸々な告白だった。そして一種のホラーのような臨場感が、読み手をぐいぐいと引っ張った。
彼女についた関西人の女性弁護士がさらに輪をかけて賢く、誰もが情にほだされて騙される夫の口説を、
「なんていうかな、あれは演技。妻を愛してるといいながら愛してるのは自分やねん」
「相手をみて態度を変えている」
「あなたが苦しむほど、あなたが被害に傷つくほど、あっちは元気になるねん」
とずばずばと暴き立てる。
相手をみて多少態度を変えるくらいのことは社会性のある人間ならば誰でもやるが、パーソナリティー障害者は利用できるかどうか、または相手の強弱で態度を変えるのだ。分かりやすいところなら、さっきまで上司にぺこぺこしていた同じ人間が、店員に対しては横柄に振舞うとかだ。
命令と指示と人格否定。さらには、周囲の人たちへの印象操作のフルセットで妻の逃げ場を完全に絶ち、
「俺が上の立場で威張りながら指示出しして楽しく生きるためには、この女を苦しめて徹底的にコケにしてないと俺の息が出来ないやんけ」
とばかりに圧殺してくる、あの息が詰まるような脅迫感を、ブログはそのまま活写していた。
家庭内では、ミスばかりする無能な愚か者の代表として夫から
もとは同じ職場にいた夫とても、家庭という檻に妻を閉じ込める前までは、
「仕事がよく出来る人」
彼女のことを外部に褒めちぎって称賛していたはずだった。
……ミスばかり、愚痴ばかりいう、無能な愚か者の代表。とは?
これはパーソナリティー障碍者のもつ、「勝敗、強弱、損得」でしか人を評価できない、はかれないという単純な物差しによるものだ。最初褒めちぎっていたのは、仕事上の「先輩」にあたっていた頃の彼女は、その時の彼からすれば、「媚びていたほうが得」な上の存在であったからにすぎない。
それに加えて、パソ障には「理想化とこき下ろし」という特異な衝動がある。「白黒」しかないために、自分が「イノセントで、善人で、白」の存在でいる為には、捕獲したターゲットが「真っ黒な裏表のある極悪人」でないと、都合が悪く、我慢出来ないのだ。褒めちぎる時はどうなっているのかというと、「相手の能力と俺さまは同等」という感触らしい。
自分を褒めているのである。
家の中では暴君としてふるまい、外では誤解されたいたいけな被害者として振舞う、ブログの中のその夫の言動。
加害者の性別こそ違えども、それは、細かい点まで、「あの女はプライドが高く誰とも付き合おうとしないコミュ障の重大欠陥品」「被害者はこっちだ!」「あいつは挨拶も感謝もしない女だよ」「しつけ直す」「あなたもあの女に巻き込まれたのね? あの女は誰からも嫌われて憎悪されてるよ」と方々で焚きつけて回っていたわたしの加害者とぴったり同じだったのだ。
人は、自分と似た人間にシンパシーを覚えて仲良くなる。
「あの女には注意して」
「本質の分かる賢いあなたとわたしは同類よ」と調子よく肩を抱いてくる加害者に、わたしの周りの人たちは次々と取り込まれていった。
そして彼らは一様に、正論コーティングで美徳を装い、必要とあらば泣きも入れる彼女の方に、ぐっと心を傾け、わたしに対しては憎悪をこめた暴言を吐きかけ、唾を吐いて、立ち去っていった。
そのたびにわたしは「よかった」と安堵したものだ。
よかった。これで彼女にも気の合う、蔭口が大好きな、意気投合できるぴったりの友だちが出来た。
これでもう、わたしに執着することはないだろう。
違うのである。
わたしの周囲の人間を全員取り上げていくのは、彼女がわたしの友だちを取り上げて自分のものにしたかったわけではなかった。行動理由の中にはそれもあるのだろうが、ほんとうの理由は、
「この完全無欠な、俺/わたしに逆らった人間は、世界中から忌み嫌われて、その人生は徹底的に叩き潰されていなければ、整合性がつかない」
彼らの、こんな奇妙な、白黒思考と万能感に由来していたのだ。
そこに理解が及ばなかった頃は、
「この人もあの人も、あちらに取り込まれてしまった」とおもっても、人は自分と似た人と仲良くなるのだから、類は友を呼ぶ、彼らは上っ面の正義美徳を声高に叫ぶ彼女の取り巻きでいる方が、「これでわたしも賢くなり、数段上の優れた人物になったか」としっくりくるのだろうと、単純にみなしていた。
そうではなかった。
わたしの物ならなんでもパクって、フレーズでも持ち物でも何でもパクるたびに「あの女じゃなくてあたしが元祖よ!」とばかりに繰り返し繰り返し執拗にアピールしていたように、それと同じように彼女はわたしの人間関係も取り上げていく、というようなものではなかった。
取り上げた人間関係を、何年もかけて彼女は自分に忠実な「攻撃駒」として徐々に育てあげ、たいへんに口うまく、わたしへの憎悪を植え付けて、リンチ網の手下に変えていったのだ。
これも、ブログの中の妻が味わった二次被害の模様とまったく同じだった。
これは被害者ならば、「ガスライティング包囲網でしょ。やられました」と全員が頷く、典型的な被害なのだが、自分がパソ障のターゲットにされているのではないか? と人が気づく時には、その時はすでに完全に、憎悪と侮蔑のリンチ包囲網が完成している時なのだ。
わたしは拙作「人格障害者にタゲられた!」の概要欄にこう書いた。
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わたしは被害者の一人になってしまいました。防ぐことは無理でした。
今から振り返っても絶対に無理でした。
なぜならパーソナリティー障碍者は、直接ではなく、狙った獲物の周囲から徐々に洗脳して切り崩していくからです。
https://kakuyomu.jp/works/16817330650989133721
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わたしの加害者は専門用語でいうところの「クラスターB群」に該当していた。
ターゲットにした人間が自分の指示どおりに動く奴隷化していないと、正当な怒り(?)を覚えて激怒する。
絶対に謝らない(演技はする)。しかし被害者には謝罪を強要する。
被害者が属しているところに乗り込み、全員を手下にする。
勝つまで辞めない。
都合が悪くなれば、無尽蔵のエネルギーで徹底的に何時間でも苛烈な言葉や臓腑を抉るような罵声と厭味を繰り出し、ヒヒヒと興奮して笑いながら憎悪と罵倒を延々と続ける。
「犬笛」を吹いて、育成した強者の取り巻きに攻撃命令を繰り出す。
相手はこれらの特徴をもっていた。
爬虫類脳をもつ彼らにとって「否を認める」ことは生きるか死ぬか、本能的な死への恐怖と同じなのだそうだ。
だから彼らが猛烈な勢いで怒鳴り続けている時は、「死への恐怖に抗っている必死の抵抗」なのであって、話し合いなど成立しない。
彼女は他人の中に、わたしへの悪感情を移植していっては、その人たち(主に男性)にわたしを憎悪させ、怒鳴りつけさせた。そんな時の彼女は、この男たちもわたしの物よとばかりに得意げに勝ち誇った。
女性に対しては、極端な言葉でわたしを褒めちぎるという手法を使った。それにより、反感や嫉妬を植えつけた。
実際カクヨムにおいても、「あの女そんなにすごいか?」「孤高きどりで絶対に交流しないんでしょ。ムカつく」と毒々しい目を向けられている。
他人との自由な交流を割り込んで阻害する。
これは、指示出しをして管理・支配体系に持ち込みたい彼らがまず最初にやることであって、その時には「彼女とは親友」と嘘もつく。
それまで可もなく不可もなく付き合っていた他人に、いきなり憎悪をこめた暴言や毒々しい厭味を浴びせることが、あなたには出来るだろうか。
けっこう心理的なハードルが高いとおもう。
しかしパソ障害はそれを可能にする。
心と脳を操られている手下たちは、操られている自覚もないまま、加害行為に加担してしまう。
それほどに、パソ障から刷り込まれる指令【指導という加害欲】は、効力が強いのだ。
2005年のあなたへ。
顔も知らない、ブログのあなたへ。
「俺を絶対的支配者にしなかったお前を絶対に許さない」と罵声の限りを浴びせる夫からの離婚を勝ち取ったあなたの記事は、多くの被害者に、一筋の道筋をつけてくれました。
あれから二十年が経っても、まだ世間はこの障害についてほとんど知りません。
あなたは、家庭という密室で、日々、人格障碍者の夫と対面しなければならず、その恐怖と心労はいかばかりであったかとおもいます。
尊厳をズタズタに引き裂かれても、それでもあなたは、「子どもたちと笑って生きること」を夢みて、家を出ました。
それからの長い長い、夫からの執拗な執着と、対人関係破壊工作と洗脳手下を使ったたびたびの嫌がらせを乗り越え、女性弁護士と共に闘いぬき、離婚を手にしたあなたは、今は新しいパートナーと幸せに暮らしておられるとのこと。
自分らしく生きる。
しあわせの条件の少なくない要素がこれならば、パーソナリティー障碍者はそのあなたの自分らしさを、あなたの魅力を、「絶対に叩き潰す」と燃え上がるのです。
批難がましい白い目を向けさせるように仕向け、あなたの魅力や笑顔を無力化し、それらしく正論にきこえる詭弁と嘲笑で踏み潰すのです。
2025年11月。この記事を書いている来月ですね。
二十年前あなたが綴り、多くの被害者に、人格障碍者の生態を明らかにしてくれたブログ記事。
時代の流れに応じてプロバイダはブログサービスを来月、停止するそうです。
サービスを停止しても、しばらくは記事は読めるのかも知れません。ログが残るのかもしれません。
でもいつかは消えるのでしょう。いつかはカクヨムも消えるように。
顔もしらないあなたへ。
この場をかりて、わたしはあなたにお礼を云いたいのです。
どこかにいるあなたは、秋冬に向かって徐々に色づいていく樹々を眺めながら、誰からも脅されることも怒鳴られることも、否定されることも嘲笑されることもなく、独立したお子さんたちからのたまの便りによろこびながら、再婚した生涯の伴侶とともに穏やかに暮らしておられることとおもいます。
あなたはあのブログを「善意のバトン」として書いておられました。
いつか、何処かにいる、同じ立場の孤立した被害者に向けて、あの時のあなたが多くの被害者にネットの中で助けられたように、今度はわたしが助けるのだと。
人はひとりでは生きられませんが、それは「指示や命令」を受けるためではありません。日々、こと細かな駄目だしをされ、「頭をさげろ! 貴重なお時間を使って下さってありがとうございましたと云え!」とご近所中から憎しみをこめて怒鳴られるためではありません。
「この女だけは黙殺し、徹底的に叩きのめさなければならない」と憎悪の上にも憎悪を重ねられるために人は生きているのではありません。
人間は、他人の支配と操作の中では、しあわせには生きることは出来ないのです。
あなたの優しさや親切、努力を重ねたことが、「計算高く表面を取り繕っている」「慇懃無礼、しねばいい」「何の意味もないこと」と扱われ、加害者およびガスライティングに加担した人々からひたすら否定されて嘲弄されていた日々のあの記録は、多くのブログ読者に、自分の中にある本当の自分と、おのれの願望や汚点を他人になすりつけずにはいられない相手の正体に気づかせてくれました。
[了]
2005年のあなたへ 朝吹 @asabuki
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