俺が刻まれていくということだ
カーテンの隙間から日差しが差し込む。窓の外からは小鳥の囀る声が聞こえ、朝がやってきたのだとわかった。
エルはベッドの上でのそりと上半身を起こすと、ぐっと両腕を天井に向けて伸ばす。
とても寝心地の良いベッドだった。それだけに、一睡もできなかったのが残念だ。ふう、と息を吐き出し、両手をだらりと下ろす。
いつ何時、何が起きても動けるように。クラルス王国にいたころから、眠りは常に浅かった。ましてや、ここは敵国であるアウレア王国。停戦協議を結んだとはいえ、エルに良い感情を抱いていない者は多い。命を狙われる可能性は否定できないと、目を瞑るくらいで眠りはせずに警戒していた。
が、そこへ過ぎる昨日のユリウスの言葉。あのような言葉は初めて言われた。それも関係しているのか、頭に過ぎるたびに意識がユリウスへと向いてしまい、警戒が疎かになってしまった。
エルがほしいとは、手に入れたいとは何のつもりなのか。停戦協議の条件としてやってきたエルは、既にアウレア王国の、ユリウスの手中。手に入っているも同然だなのだが、それにしてはやけに苦しそうに声を絞り出していた。別の意味が込められているのだとしても、どのようなものかエルにはまったく想像がつかない。
エルはベッドから降りると整えられる範囲でシーツを整え、ドレッサーへと向かった。真正面に立つと、鏡に映る自分自身を見る。
忌み嫌われた銀色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。だが、信じられないことにアルベルトからは「綺麗だ」と言われた。ユリウスもあれこれ褒めてくれていた気がするが、やけに生々しい言葉だったということ以外覚えていない。
視線を少し下げ、服を見る。服は普段から身につけている鎧やギャンべゾンではなく、肌触りのいいネグリジェを着させてもらっている。このような高価なもの、クラルス王国では与えられなかった。
(……何だか、調子が狂います)
不躾だと思いつつ、頼めば湯浴みもさせてもらえた。何故か城内を自由に歩く許可も出してもらえた。エルを警戒しているアルベルト達に対し、ユリウスはかなり緩い。警戒するに値しないと思われているだけなのかもしれないが。
さて、今日はどうするか。まずはネグリジェから着替えたいところだが、服がない。ひとまず昨日身につけていたギャンべゾンと鎧でも、と思ったとき、扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
「あっ、お、おは、おはよう、エル」
ユリウスの声だ。こんな朝早くにどうしたのかと、エルは慌てて扉を開けた。
視線が合うと爆発音がしそうな勢いでユリウスの顔が赤く染まり、目があちらこちらへと動かされる。
そういえば、エルの瞳が向けられるだけで死ねる自信があると言っていた。そんなことがあるのかと甚だ疑問ではあるが、あまり見ない方がいいのかもしれない。僅かに顔を俯かせ、ユリウスを見ないようにする。
「おはようございます、ユ……」
ユリウス王、と言いかけて止まり、口を噤む。
昨日、名で呼ぶよう言われていた。目だけを動かしてこっそりとユリウスを見れば、赤い瞳を輝かせてどこかそわそわとしている。
これは期待されていると見て間違いない。慣れないのだが、と思いつつ、エルは小さく口を開いた。
「……ユリウス」
「──っ!」
息を呑む様子が伝わってきたと同時に、ドン、と何かにぶつかるような音が聞こえた。
何が起きたのかと、エルは急いで顔を上げてユリウスを見る。ユリウスは両手で顔面を覆ったまま後ずさりをしたようで、壁にぶつかっていた。
「名前で呼び合えるなんて、至高の極み……」
「兄さん、朝から何してんの」
声をした方向を振り向けば、右手に服を、左手には靴を持って呆れた顔をしているアルベルトがいた。
「アルベルト様、おはようございます」
「おはよう、エル王女。朝から兄さんがごめんね。はい、これ着替えの服と靴」
差し出された服と靴を受け取り、エルは頭を下げる。
「すみません、ありがとうございます」
「礼は兄さんに言って。僕は兄さんが持って行くのを忘れたから代わりに持ってきただけ。じゃあね」
アルベルトは右手を軽く上げると、背を向けて元来た道を歩いて行く。素っ気ない態度を取るのは、まだエルを信用も信頼もしていないからだろう。気にしても仕方のないことだ、これはごくごく当たり前の話。
それにしても、この服も靴もどのようにして用意してくれたのか。店が開くにはまだ早い時間帯だ。もしかすると、顔を合わせていないだけで誰か女性がいて、その者の服を貸してくれたのかもしれない。
ユリウスを見ると、彼は顔を覆いつつ指の隙間からエルの様子を窺っている。
「……言っておくが、その服と靴は誰のものでもないし、新品だ」
エルの心を読んだかのようなユリウスの言葉に、どきりと胸が跳ねた。
「太陽が昇ってすぐ懇意にしている仕立て屋の店へと向かって購入してきた。迷惑をかけることは百も承知だが、エルに早く服と靴を用意したかった」
「え……」
国王であるユリウス自らが出向いてくれたのかという驚きはもちろんだが、ここまでしてくれることに正直戸惑う。
けれど、胸の底からあたたかい気持ちが溢れてくる。エルはアルベルトから受け取った服と靴を抱き締めた。
「あ、の……ここまでしていただけるとは、思っていませんでした。ありがとうございます。大事に着ますし、大事に履きます」
「ま、待て待て。それは間に合わせだ」
顔を覆っていた両手を外すと、ユリウスは首を横に振った。
「購入時にエルの服と靴を仕立ててほしいと依頼もしてきた。今日の午後には来る手筈になっている」
言い終えると顔を左側へと向けて、左腕を右手で押さえた。
「それらは既製品だからな。エルに似合わないものなどこの世に存在しないが、これは他の誰かも似合うものだ。俺は、それが嫌でたまらない。だから、俺が選び、俺が触れ、俺が許したものでエルのためだけに仕立てられたものを身につけてほしい」
「……そんな、わざわざ」
「わざわざではない。必然だ。こうすることでエルが身につけるものは世界に一つだけのものとなり、かつ、俺だけのエルだと刻みつけられる」
「刻みつけられる……わたしに、ですか?」
どういう意味だろうと首を傾げると、ユリウスは薄らと頬を赤らめて身をくねらせた。大の大人だが、乙女が恥じらっているようだ。
「……エルの全身は“俺の選んだもの”で纏われることになる。ということは、布が肌に触れるたびにエルは俺を思い出すだろう?」
そういうものなのかと思いつつ、ユリウスの話に耳を傾ける。
「つまりは、エルという存在そのものに俺が刻まれていくということだ」
やはり説明されても意味がよくわからないまま。しかし、ユリウスがそれでいいと思っているのであれば、エルからはもう何も言うことはない。
「さあ、ひとまずは着替えて、朝食にしよう」
着替えてくるといいと部屋に入るよう促され、エルは再び中へ戻ると扉を閉めた。足音が聞こえないため、ユリウスはエルが着替え終えて出てくるのを待っているのだろう。
本当に、調子が狂う。自分の立場を、忘れてしまいそうになるほどに。
エルはネグリジェを脱ぐと畳んでベッドの上に置き、今し方受け取った服に袖を通した。どうやらワンピースのようで、丈は膝が隠れるか隠れないかといったところ。腰辺りで焦茶色のベルトを締め、純白の長靴下を履いて黒色のショートブーツに足を通すと、エルはドレッサーの前に立った。
間に合わせのものだとユリウスは言っていたが、なんて綺麗な蒼穹の色だろう。肌触りも良く、靴下もショートブーツも履き心地が良い。
気になるのは、どうしてこんなにもサイズが合っているのかだが、今は置いておこう。
(……このような格好も初めてです)
その場でぎこちなく回ってみる。裾がふわりと舞い、何だがこそばゆい。
何より、見慣れない格好。これは、似合っているのだろうか。エルはコツコツと靴音を鳴らしながら扉へと近づいてそっと開けると、壁にもたれかかって腕を組むユリウスと視線が交じった。
赤い瞳が大きく開かれ、組んでいた腕が外れる。
「あ、あの、ユリウス。似合って、いますか」
ユリウスに問いかけると、彼は一言も発さない。
「ユリウス?」
「……っ、あ、ああ。よく、似合っている。とても、綺麗だ」
両手で口元を押さえ、目を瞑った。よく見ると、目尻からは涙が流れている。
「生まれてきてくれて、ありがとう……」
「……は、はあ」
用意してくれたものに着替えただけなのだが、こんなにも感動されるとは。
ただ、綺麗だと言われた瞬間、理由もなく鼓動が速くなった。
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戦乙女は冷酷非道の王のうぶで重たい愛に困惑中。 神山れい @ko-yama0
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