全部俺だけのものにしたい

 ──エルに嫌われたかもしれない。

 自室の床で四つん這いになって項垂れているユリウスは、深い息を吐き出した。

 あのあと、ちらりと様子を確認するとエルは無表情のまま首を傾げるばかりで、何も言わなかった。その後何とか部屋まで案内はしたものの、ユリウスは自室へすぐさま走って戻り、現在に至る。

 クラルス王国から停戦協議の申し出があったとアルベルトから聞いたときは、鼻で笑い飛ばした。宣戦布告もなしに仕掛けてきた側が、よくも恥ずかしげもなく言ってきたものだと。

 ユリウス自らが仕掛けることはないが、アウレア王国やその国民に危害を加える者に容赦はしない。当然、クラルス王国との停戦協議など結ぶつもりはなく、徹底的に潰すつもりでいた。報いを受けさせるために。

 このやり方は、今に始まったわけではない。ユリウスが王になってからは、攻撃を仕掛けてきた国は徹底的に潰してきた。アウレア王国に刃向かえばこうなると他国に知らしめることで、抑止力にも繋がるからだ。

 今回もそうするつもりだったのだが、アルベルトがクラルスの戦乙女を引き渡してもらえばどうかと提案をしてきた。もらうものはしっかりともらい、かつ、それがクラルスの戦乙女であれば相手に損失を与えられ、労力をかけずに潰せると。

 どちらにせよ潰すことに変わりはないため、アルベルトの好きにさせたが──まさか、心を奪われるとは思いもしなかった。

 初めてエルと視線が交じったとき、その美しさに恐ろしいほどの衝撃を受けた。

 艶やかでシルクを感じさせる銀色の髪。宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳。それらを引き立たせる白皙の美貌。

 ユリウスの心臓はかつてないほど速く動き、破裂してしまうのではないかと思った。何も考えられなくなり、呼吸の仕方もわからなくなってしまったところで、気が付けば自室にいた。兵士達曰くどうやら気絶していたらしいが、二十五年生きてきて初めてのことだ。

 正直、これからどうすればいいかわからない。エルに見られていると知ると心臓が破裂する勢いで暴れ出す。呼吸が乱れて苦しくなる。

 しかし、エルが他の男を見るのは到底許せない。弟であるアルベルトすら見てほしくない。自分だけを永遠に見ていてほしい。

 エルに見られているだけで死ぬかもしれないというのに、笑ってしまうほど矛盾している。が、実際に本気でそう思っているのだから困ったものだ。

 きっと、理性なんてものはエルを見てからどこかへ消え失せてしまったのだろう。だから、このような矛盾を抱える。何より、ある衝動が生まれてユリウスを突き動かす。

 エルがほしい。エルを手に入れたいと。

 しかも、それを本人に言ってしまったのだから最悪だ。言うつもりなどなかったはずなのに、止まらなかった。口が自然と動き、言葉として発していた。


「……嫌われた。絶対に嫌われてしまった」


 エルは、表情を変えずに首を傾げるだけだった。驚くことも、顔を赤らめることも、恥じらうことも、何もなかった。本当に何もなかったのだ。

 ユリウスは額を床にぶつけると両肘を立てて頭を抱えた。金色の髪の毛をくしゃりと握り締めると、声を絞り出す。


「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。エルに嫌われたくない。エルの瞳に俺が映らないなど、そんなことを考えるだけで頭がどうにかなりそうだ。他の男を見ないでくれ。俺だけを見ていてくれ」


 胸中を吐露すると、次から次へと溢れて止まらない。


「エルの声をもっと聞いていたい。俺の名前を呼んでほしい。俺だけを呼んでほしい。話したい。笑顔を見せてほしい。……エルに好きになってもらいたい。エルに愛してもらいたい。エルの肌を、髪を、息づかいを、全部俺だけのものにしたい」


 戦乙女と言われるくらいならば、兵士にでもして戦場に出すことも考えていた。使えなければ、処分すればいいとも。今思えば、なんてことを考えていたのか。そのときの自分を殴り飛ばしたくなる。

 こんなにもエルのことを愛していて、欲しているのだ。兵士にするものか。処分などもありえない。と、過去の言動を振り返って否定していた際にユリウスはあることに気が付いた。

 エルの処遇が、何も決まっていない。

 アウレア王国の国王としては、これはまずい。何かないだろうか。これ以上嫌われないような、むしろ好かれるような、そんな都合のいい何かが。


「……そうだ」


 ユリウスの傍に置いておく、というのはどうか。王直々に監視するという名目であれば、何もおかしくはない。そうすれば、ユリウスはエルの近くにいられる。エルを離さずにいられる。

 更に、ほとんどの時間をエルと共に過ごすということは、今回の件を払拭できる機会が増える。これがうまくいけば、エルがユリウスを好きになり、愛してくれることだってあるかもしれない。そうなれば、ゆくゆくは二人でいることが当たり前となる未来だって考えられる。

 そんな未来が訪れれば、毎日、いや、毎秒が幸せではないか。エルと二人で過ごしているところを妄想して笑っていると、扉を叩く音がした。

 一気に現実に引き戻され、心が重くなる。起き上がる気力もないため、そのままの体勢で「何だ」と答えた。こう答えれば、部屋に入ることは許可をしていないため、扉越しで話すだけで済むからだ。

 にもかかわらず、扉が開いた。ここで中に入ってくるのは、一人しかいない。


「失礼しま……な、何、やってるの?」


 やはり、アルベルトだ。ユリウスは頭だけを動かしてアルベルトを見た。目を丸くさせ、口端をひくひくとさせている。


「落ち込んでいたが、動き方によっては未来は明るいかもしれないと考えていたところにお前が来た」

「は、はあ? 言ってる意味がよくわからないんだけど、何があったの?」

「……俺は、エルに嫌われたかもしれない」


 こうして口に出すだけでも辛い。頭の位置を戻そうとしたときだった。


「エルって、エル王女? 兄さん、彼女のこと名前で呼ぶんだ」


 アルベルトが意外そうな声を出した。途端にユリウスの中で優越感が芽生え、つい口角が上がってしまう。


「そうだ。ちなみに、エルは俺のことをユリウスと呼ぶ」


 そう、名前で呼び合う仲になったのだ。これに関しては、他の男達よりも頭一つ抜けていると言っても過言ではない。

 いいだろう、羨ましいだろう、という気持ちを込めて自慢したつもりなのだが、アルベルトの反応は違った。魚のように口をはくはくとさせ、信じられないと言いたげな表情をしている。


「に、兄さん、エル王女がここに来た理由をわかってる!? 停戦協議の条件で来たんだよ!?」

「わかっているが」

「兄さんはエル王女をどうするつもりなのさ!」

「……俺が直々に監視する」

「だからって互いに名前で呼び合う理由にはならないし、兄さんが直々に監視って、何言ってるかわかってる? 寝首を掻いてくれって言ってるようなものだ」


 アルベルトがエルを良く思っていないこともあるが、言っていることは全く以って正論で何も言い返せない。ここはもう、無理に理由付けせず正直に話してしまおうか。

 エルに一目惚れし、彼女を愛していると。

 故に、エルがほしい。ほしくてたまらない。加えて、ユリウスがエルを愛しているように、エルに好きになってもらい、愛してもらいたいと強く思っていると。

 ふと、今し方まで妄想していた未来がユリウスの頭を過ぎった。ユリウスとエル、二人でいることが当たり前となる、毎秒が幸せな未来だ。よくよく考えてみれば、この未来は何を意味する。エルをどうするつもりかというアルベルトの問いに対する答えは、そこにあるのではないか。

 しばらくして、ユリウスは口を開いた。


「俺は、エルと結婚したい。夫婦になりたい」


 は、と短く声を出したあと、アルベルトは長嘆息漏らし、左手で額を押さえながら首を横に振った。


「……ま、待って待って。それ、本気で言ってる?」

「本気だ。そのために、エルを俺の傍に置いておきたい。他の男に近づかせたくない。アルベルト、お前であってもだ」

「考え直した方がいいって」

「無理だ。俺はもう、エルのいない世界を想像できない」


 ユリウスはゆっくりと立ち上がり、アルベルトと向き合う。


「それでも考え直せと言うのであれば、この心臓を止めろ」


 右手を胸元へ当てる。

 何を言われようと、考え直すつもりはない。というより、ユリウス自身がエルへの想いを止められないため、どうしようもない。アルベルトが本気で考え直してほしいと思っているのならば、この心臓を止める他ないのだ。

 アルベルトは苦悶の表情を浮かべると、くぐもった声を出しながら両手で髪の毛をぐしゃぐしゃにした。その様子を見守っていると、少しして手が離れた。肩を落とし、顔を俯ける。声をかけようか迷っていると、アルベルトが乱れた髪のまま両手を肩のところまで上げた。


「……っ、わかった、わかったよ。こうなるかもしれないというところまで考えが及ばず、エル王女をもらおうなんて提案した僕が悪い」


 そう言うとアルベルトは顔を上げ、眉を八の字にすると右側の口角を僅かに上げて笑った。


「でもさ、ちょっと重くない?」

「重たいとは何がだ。それよりもアルベルト。俺はまず、今回の失敗を払拭しなければならない」

「あー、落ち込んでたってって言ってたね。その失敗のせい?」


 ユリウスは小さく頷くと、アルベルトから目を逸らす。


「ああ……その、エルがほしいと言ってしまった。手に入れたいと」

「うわあ……」

「や、やはり、言ってはいけなかった……エルに嫌われた、嫌われてしまったんだ俺は……!」


 再び床で四つん這いになり、頭を抱えるユリウスだった。

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