第19話 結末

 列車が大きく揺れ、車窓から外を見ていた俺の体もぐらっと揺れた。横に傾いた体を、前から伸びてきた大きな手が支えてくれる。

「ライル、気をつけて」

「ごめんごめん」

 俺は座席に深く座り直した。向かいに座るアスターも、静かに車窓を見ていた。

 あの後、俺たちはフィン王子の手を借りてなんとか国を抜けた。今は列車でより遠くの国を目指して移動しているのだった。

 取るものも取り敢えず出てきたので、餞別のように持たされた路銀以外は何も持っていない。いつもなら余暇を惜しむように本を読むアスターも、車窓を見るくらいしかする事がないようだった。

 俺はというと、正直アスターの顔を眺めていくだけで時間が矢のように過ぎていく。離れていたほんの短い時間で酷い扱いを受けたのか、頬は汚れところどころ擦り傷ができてはいるが美貌に翳りはない。さっきまで車窓を見ていたのも、あんまり見すぎるとアスターの居心地が悪いかと思っての配慮だった。

 すると、アスターが急に俯き、手の甲で口の端を押さえてふっと息を吐くように笑った。

「ライル、あんまり見られると穴があく」

「ご、ごめん」

 やっぱり見過ぎていたらしい。

 俺は目の前で横にした手を上下に振り、もう見ませんと意思表示した。

「ただ、これから二人で生きるんだと思ったら、なんか……」

「不安?」

 首を振る。こう見えて、一人暮らしが長いのだ。仕事を選ぶようなタイプでもないので、どこでだって生きていける自信がある。

 出立前、フィン王子は彼自身はもう姿を見せなかったものの、部下に命じて俺の背中の手当までしてくれた。俺たちの旅の準備を整えてくれたのは多分、彼個人で持っている秘密の部下なのだろう。黒い衣に身を包み、顔を面で隠していかにも隠密部隊という体だった。

 俺は王子と最後に交わした言葉を思い出した。一生をかけて、アスターの運命を変える。それが、おそらくもう二度と会うことのない王子への恩返しになる。

「アスター」

 手を伸ばし、前に座るアスターの手を握る。人肌の温もり。指先にも泥がついていた。

「俺たち、頑張って生きていこう」

「うん」

「置いてきた人たちのためにも……」

 脳裏にアシュフォード家の人たちがよぎる。ママさん、パパさん、それにニール。勝手に抜け出して、さぞ心配しただろう。

 考え込んでいると、頰にカサついた手のひらが触れた。顔を上げると、アスターがこちらを静かに見つめていた。

「公爵の家が恋しい?」

「違う。ただ、申し訳なくて」

 勝手に家族として入り込み、勝手に捨てて出ていった。挨拶もせずに。利用するだけ利用したことに申し訳なさが募った。誰にも共有できない悩みだ。俺の他に知っているのは管理者だけ……、俺はハッとしてペンダントを見た。首にかけた鎖をたぐって手のひらの上に乗せる。

 白い。

 青かった石は、今は何の濁りもなく白く輝いている。運命が変わった。

 俺は思わずアスターに抱きついた。彼の背中をかき抱き、額を胸に擦りつける。

 ペンダントの白い輝きは、何より確かにアスターがもう魔王にならないことを示していた。

「アスター、俺、お前のこと大切にする。何より大切にする。この世の何より……」

「うん」

 腕の下にアスターの手が差し込まれ、体が隙間なく触れる。

「俺も、ライルのことを大切にする。誰よりも」

 アスターの服を握りしめ、俺は彼の腕の中で顔を上げた。一呼吸のあと、どちらからともなく唇が触れる。彼の腕はさらに力強く俺を抱きしめ、覆いかぶさるように体勢が変わった。俺は落ちないように彼の体にまわした腕に力を込め、目を閉じた。


 さて、これは余談だが、俺たちは辿り着いた土地で小さなパン屋を開くことになる。誰を俺をアシュフォード家の末息子だとは知らず、誰もアスターをアスターだとは知らない場所だ。

 アスターの焼いたパンの香りを嗅ぎながら、俺は「お前って本当に美人だな。パンを焼くのも上手いし」と言った。俺は店の掃除をしている。パンを焼く以外の雑用と接客が俺の仕事なのだ。アスターが人見知りだからという理由もあるが、一番は彼の顔ファンを増やさないという目的があった。アスターときたら、ちょっと店前に立つだけで老若男女をひっかけてくるのだ。俺は気苦労が絶えなかった。

「いいか? ここはパン屋なんだから、パン以外の物を売るのはやめろ。お前の愛想は俺だけに取っておけ」

「うん」

 アスターは返事をしたが、顔は納得していない様子だった。愛想を売った記憶がないのだろう。そうだろうな、お前の顔は笑わなくたって売るほど愛想が溢れているのだ。客はサービス料を払うべきだよな。

「俺のアスター、どんどん美人になっちまって。頼むから俺以外に絶対、何があっても、どこの誰でも、心を開くな」

 カウンターの中に入り、書類を置いてある机に腰かけた。帳簿をつけているアスターの頭を抱きしめる。

 パン屋の朝は早い。開店前の私的な空間で、俺の愛情表現を止められるものは何もなかった。

 アスターは相変わらず感動の薄い顔で、律儀に「うん」と返事をした。俺の猫かわいがりにも慣れっこなのだった。

「分かった。俺はライルだけのアイドルだから」

「うんうん、そうだよ、な……。え……⁉」

 驚いて目を見開く俺を見て、アスターがとびきり輝く顔で笑った。

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俺が異世界で『成功したオタク』になるまでの一連の流れについて 木村木下 @kuzikan

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