玉京の噂は、恋より早い――噂を売る双子と、真実に恋する太子
栗パン
序章 表を読む都、裏を読む太子
第0話 太子は、胡麻菓子の包み紙に恋をする
「『
その声に、
百部ずつ麻の紐で束ねられていた冊子は、紐を解かれるなり売り子たちの腕へ渡り、
――まさに、飛燕がいっせいに巣を飛び立つように。
石畳を鳴らす馬車。
「最新号だよ! 太子妃の座は一つ、医官は四人! さて、東宮へ先に入るのはどちらだ!」
朱塗りの
その表紙には、太子妃選びを告げる金の題字の下に、いささか品のない見出しが大きく躍っている。
◇ ◇ ◇
『飛燕報』第二十七号 表紙
【太子妃選び、いよいよ開幕――花嫁は一人、薬師は何人?】
今年も、顔も知らぬ男に一生を捧げる、由緒正しく、家柄以外はきわめて公平とされる太子妃選びが始まる。
候補者に求められるのは、容姿、教養、品格、そして健康。
最後の一つは、どうやら太子殿下の分まで必要らしい。
現時点で殿下のおそばに最も長くいるのは、どの候補令嬢でもなく医官である。
琴に自信のない令嬢も、どうか安心されたい。
演奏の途中で殿下がお休みになれば、多少音を外しても気づかれない。
香を焚きすぎて咳き込まれても、落選の合図とは限らない。
十中八九、いつもの咳である。
なお、初対面で殿下が倒れても、「私の美しさに目が眩んだ」と早合点してはならない。まず医官を呼ばれたい。
感想を伺うのは、殿下がお目覚めになってからでも遅くない。
本誌としては、嫁入り道具に
太子妃とは、いずれ国を支えるお方。
まずは太子殿下のお身体を、しっかり支えていただきたい。
太子殿下には、何より健康を祈る。
◇ ◇ ◇
茶楼では、客たちが表紙を卓の真ん中へ広げていた。
「殿下は、また寝込まれたのか」
「妃選びが嫌で、仮病を使っているんじゃないか?」
「それなら、ぜひ俺と代わっていただきたいね」
どっと笑いが起こり、卓上の茶が細かく揺れた。隣の卓では、書生たちが『礼記』に冊子を挟み、「いつもの咳」を見つけるたびに膝を叩いている。
ある候補令嬢の屋敷では、母親が冊子を卓へ叩きつけた。
「なんと不敬な! このような下賤な冊子、二度と屋敷へ入れてはなりません!」
侍女たちが肩を震わせながら頭を下げる。
母親はあたりを見回し、誰も笑っていないことを確かめてから、そのうちの一人をそっと呼び戻した。
「……薬研を一つ買っておいで」
「どのようなものを?」
「柄は玉にしなさい。太子妃候補の嫁入り道具なのですよ」
その傍らで、当の令嬢は慌てて香炉の蓋を閉めた。蓋の隙間から白檀の煙が一筋だけ立ちのぼり、細くほどけて消えた。
午の鐘を待たず、二千部は売り切れた。
——けれど、紙は売り切れても、噂は売り切れない。
茶楼では病弱な太子に似合う令嬢の名に銅銭が賭けられ、布屋では、広げられた赤や桃色の布を前に、候補者たちの装いが論じられている。苦い薬草の匂いが満ちる薬屋には、玉の柄をつけた
その熱気から取り残された裏表紙には、今号も小さな欄があった。
◇ ◇ ◇
『飛燕報』第二十七号 裏表紙
【灯下録】
「名もなき訴えだけでは、役所は動かせない」と、あなたは書きました。
長楽坊の人々は、名を告げて三度訴え、三度追い返されています。
今朝、また一軒の壁が裂けました。
役所が待っているのは、証ですか。
それとも、最初の死者ですか。
◇ ◇ ◇
「また難しいことが書いてあるねえ」
胡麻菓子売りの老婆は二行ほどで読むのをやめ、裏表紙だけを冊子から外した。
内側は白く、包み紙にちょうどいい。焼き上がったばかりの胡麻菓子を三つ並べて折り畳むと、薄い
――実は、『飛燕報』は、表と裏、その両方で太子を使って銅銭を稼いでいた。
表では太子の病を売り、裏では太子の反論を載せる。
ただし、その「
病弱と噂された太子・
びん、と
夜明け前の空を思わせる濃い藍色の
背は高く、身体の線はすらりと細い。薄い唇には血の色が乏しく、伏せた睫毛が頬へ落とす影さえ淡い。
静かに立てば、白磁の公子。
ひとたび動けば、抜き身の刃。
衣の下では、腕から肩、背へと続く筋が、引き絞った弦のようにしなやかに張る。
控えていた
弦の跡を赤く残した
「今号は?」
「すでに売り切れておりました。残っていた裏表紙を、菓子ごと買い取った次第です」
親指の腹で、
(……
「私の文を、都合よく一行だけ抜き出したな」
咎めながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。
「長楽坊へ人をやれ。役所の帳簿ではなく、井戸の水と壁の裂け目を見てこい」
「かしこまりました。殿下、候補者のお名前にも、本日中にお目通しを」
「あとだ」
「初選は明日でございます」
「壁が崩れるのも、明日かもしれない」
◇ ◇ ◇
問いへの答えは、証です。
死者ではありません。
壁の裂けた家の場所と、三度追い返された者の名を記してください。
あなたの言葉が正しければ、役所を動かすための証は、こちらで揃えます。
追伸。
反論するために、こちらの一文だけを抜き出すのは、議論として少々卑怯です。
◇ ◇ ◇
最後の一字を書き終え、
「これを、いつものところへ」
侍従が返書を受け取ると、
――だが、
(
***
同じころ、
「二千部、完売!」
格子窓から通りを見下ろしていた
もっとも、
「やっぱり太子殿下は売れるな。寝込んでいただいた甲斐があった」
「勝手に寝込ませたのは、あなたでしょう」
向かいで校正紙を束ねていた
同じ版木から、墨の濃さだけを変えて刷られた二つの顔。
「お前の『灯下録』も大活躍だったぞ」
「胡麻菓子を三つも包んだ」
「……見ていたんですか!」
「裏面の読者は、今日も一人だけか」
「一人しかいないんじゃありません」
「一人は、いるんです」
「表が売れるから、裏も刷れる」
「皆が表を欲しがるあいだは、好きなだけ正しいことを書けばいい」
「いつか、表より先に裏を読ませます」
「それは楽しみだ」
「ところで、お前が破り捨てた
「どうして兄上が、それを?」
「拾った」
「捨ててください」
「首席だった」
「明日、書いた本人を
「兄上が出したのでしょう。兄上が行ってください」
「俺が行けば、一問目で偽物だと露見する」
「では、なぜ出したのです?」
「お前の文章を、もう紙屑にはさせない」
そのとき、階下で扉を叩く音がした。続いて階段が軋み、使用人が朱塗りの文箱を抱えて上がってくる。蓋には金泥の鳳凰。箱が開かれるより先に、白檀と
一枚は、
「お前は学堂へ行け」
「……はい?」
笑みを消すと、鏡の中には、
金の鳳凰を揺らし、
「似合うか?」
「腹が立つほど、お似合いです」
「なら決まりだ。俺が嫁ぐ」
兄が妹の名で
「二人とも、行き先だけは合っている。完璧だ」
「中身が逆です」
「裾を踏まないでくださいね」
「お前こそ、俺の名で首席を取るな。目立つ」
ーーーーーーーーーーーーー
【『飛燕報』通信欄】
号外、号外!
このたび『飛燕報』では、カクヨムにて『玉京の噂は、恋より早い――噂を売る双子と、真実に恋する太子』の連載を開始いたしました! 明日より、毎晩20時02分に更新いたします!
もちろん、本紙初のネット掲載でございます。編集部一同、ネットが何なのかはまだよく分かっておりませんが、燕より速く届き、しかも銅銭を一枚も払わず読めるものだと聞いております。まことに結構な仕組みです。
噂を売る双子と、裏面を読んでしまった太子殿下の内情を、本人たちにはおおむね無断でお届けします。太子殿下の許可ですか? もちろん取っておりません。
応援の♡、★、コメント、ほんの一言のレビューまで、投書は何でも大歓迎です。いただけましたら、少なくとも裏面担当は銅銭より喜びます。表面担当については保証いたしかねます。
それでは皆さま、どうぞ末永く『飛燕報』をご贔屓に!
なお、ネット版の裏表紙では胡麻菓子を包めません。画面へ胡麻油を塗るのもおやめください。
『飛燕報』編集部
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玉京の噂は、恋より早い――噂を売る双子と、真実に恋する太子 栗パン @kuripumpkin
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