第8話 マイルスはいつも、次の自分に追いつこうとしていた

 マイルス・デイヴィスの話をここまでしてきて、最後に何を言うべきかと考えると、やっぱり“変わり続けた男だった”という、いちばんありふれた言い方に戻ってしまう。

 ありふれているが、結局それがいちばん正しい。

 ビバップの周辺にいた若いトランペット吹き。

 クールの設計者。

 ハード・バップのリーダー。

 モードの開拓者。

 第二期クインテットの、あの時間感覚の破壊者。

 そして電化して、ロックとファンクとノイズの中へ突っ込んでいった男。

 普通なら、どこか一つで“完成”したことにして、そのまま王様でいられる。

 だが、マイルスはそれをやらなかった。

 王座に座るくらいなら、椅子ごと蹴飛ばして次の部屋へ行く。

 そういう男だった。

 若いころの俺は、それを単純に“かっこいい”と思っていた。

 いまでも、もちろんかっこいい。

 だが、年を取ると、少し別のふうにも見える。

 あれは勇気だけじゃない。

 落ち着けなさでもある。

 満足できなさ。

 昨日までの自分に、今日の自分がもう飽きてしまう感じ。

 それは天才の証拠でもあるが、同時に、本人にとってはかなりしんどい性分だったはずだ。

 マイルスは、しばしば“怒っている男”として語られる。

 たしかに怒っていた。

 白人社会にも、警察にも、批評家にも、業界にも、ミュージシャンにも、女にも、たぶん自分にも。

 だが、俺はあいつの本質を、怒りだけで説明するのは少し違うと思っている。

 あいつは怒っていたというより、遅いものに苛立っていたんじゃないか。

 社会が遅い。

 批評が遅い。

 観客の耳が遅い。

 昨日の自分さえ遅い。

 だから、待っていられない。

 次へ行く。

 その“次”に、本人の身体と周囲の理解が追いつく前に、また次へ行く。

 そういう速度の人間だった。

 ビバップの時代、あいつはバードのそばにいた。

 だが、バードにはならなかった。

 なれなかった、と言ってもいいし、ならなくてよかった、と言ってもいい。

 ディジーみたいに高く速く火を噴くこともできなかった。

 その“できなさ”が、あいつを別の道へ押し出した。

 音数じゃなく、間。

 熱量じゃなく、温度差。

 フレーズの密度じゃなく、一音の置き方。

 若いころの不足が、そのまま美学になる。

 こういうことは、あとから見ると運命みたいに見えるが、当人にとってはたぶん必死だったろう。

 周りに怪物がいるんだから。

 その中で、自分の居場所を作るしかない。

 『Birth of the Cool』のころには、もうその居場所の輪郭が見えている。

 編成も、響きも、発想も、ビバップの熱狂とは少し違う。

 もっと整理されていて、もっと色彩的で、もっと“室内楽”に近い。

 ここでもマイルスは、ただ流行に乗っているんじゃない。

 流行の熱を少し冷まして、その中に別の秩序を持ち込んでいる。

 クールって言葉は、しばしば感情の欠如みたいに誤解されるが、そうじゃない。

 熱を消すんじゃなく、熱の見せ方を変えるんだ。

 マイルスは、その見せ方を知っていた。

 そのあと、第一期クインテットでハード・バップのど真ん中へ戻る。

 これがまた面白い。

 クールの人として固定されてもおかしくないのに、あいつは平気で泥のある場所へ戻る。

 ブルースの匂い。

 ゴスペルの影。

 リズムの押し出し。

 しかも、ただ戻るんじゃない。

 戻りながら、前より洗練されている。

 つまり、マイルスは“変わる”とき、前の自分を捨てるんじゃなく、持ち運ぶんだ。

 クールの整理を持ったまま、ハード・バップへ行く。

 だから、同じ場所にいても、他の連中とは少し角度が違う。

 『Kind of Blue』で、また地平が変わる。

 コード進行の檻を少し外して、もっと長い呼吸で立つ。

 ここまで来ると、もう“新しいスタイルを作った”なんて言い方では足りない。

 あいつは、ジャズの時間の流れ方そのものを変えている。

 和声の変化に追われる時間から、ひとつの場にとどまって色を聴く時間へ。

 それは、音楽の構造の話であると同時に、精神の置き方の話でもある。

 急がない。

 だが、緩まない。

 静かだが、眠くない。

 この矛盾した状態を保てる人間は、そう多くない。

 マイルスは、それをやった。

 そして、俺がいちばん好きなのは、やっぱり第二期クインテットのころかもしれない。

 ウェイン・ショーター。

 ハービー・ハンコック。

 ロン・カーター。

 トニー・ウィリアムス。

 あのバンドは、いま聴いても少しおかしい。

 何が起きているのか、分かるようで分からない。

 テンポはあるのに、床が動く。

 フォームはあるのに、輪郭が溶ける。

 全員が同時に自由で、同時に聴きすぎている。

 あれは、ジャズのコンボというより、五人でやる高等な会話の事故現場みたいなものだ。

 しかも、その中心にいるマイルスは、若い連中をただ従えているんじゃない。

 むしろ、彼らに押されながら、自分もまた変わっている。

 ここが偉い。

 年上のスターが、若い才能を使って自分の権威を固めるんじゃない。

 若い才能に、自分の足場まで揺らさせる。

 そんなこと、普通は怖くてできない。

 トニー・ウィリアムスなんて、ほとんど災害みたいなドラマーだ。

 若くて、速くて、うるさくて、しかも頭がいい。

 ああいうのが後ろにいたら、年上のリーダーはたいてい嫌がる。

 だが、マイルスは入れた。

 入れて、使った。

 使ったというより、使われた。

 その相互作用の中で、バンド全体の時間感覚が変わっていく。

 マイルスは、そういう危険を好む。

 安全な完成より、危険な更新を選ぶ。

 だから、いつも少し先にいる。

 そして、少し先に行きすぎる。

 電化の時代になると、そこで多くの人が離れる。

 ジャズ・ファンってのは保守的だからね。

 自分が好きになったマイルスを、永遠にそのまま保存したがる。

 だが、本人はそんなこと知ったことじゃない。

 ロックを聴く。

 スライ・ストーンを聴く。

 ジミ・ヘンドリックスを聴く。

 ファンクの反復、電気の質感、スタジオの編集感覚、そういうものを平気で自分の血に混ぜる。

 『In a Silent Way』、『Bitches Brew』、その先の混沌。

 あれを裏切りだと言う人間もいる。

 だが、俺にはむしろ、いちばんマイルスらしい。

 だって、昨日までの自分を守るために音楽をやる男じゃないんだから。

 もちろん、電化以降のマイルスには、粗さもある。

 全部が成功しているわけじゃない。

 むらもある。

 自己模倣すれすれの時期もある。

 健康も崩す。

 人間関係も荒れる。

 だが、それでいいんだと思う。

 変わり続ける人間の後半生ってのは、どうしたってきれいにはまとまらない。

 むしろ、きれいにまとまったら嘘だ。

 マイルスは、最後まで少し不機嫌で、少し見栄っ張りで、少し残酷で、そして最後まで耳だけは若かった。

 そこがすごい。

 身体は老いる。

 名声は重くなる。

 過去の自分は神話になる。

 それでも、耳だけは昨日の成功に安住しない。

 これは、ほんとうに難しいことだ。

 俺は、ときどき思う。

 マイルスは、未来を作っていたというより、未来に遅れたくなかったんじゃないかって。

 未来は、どこかにある理想郷じゃない。

 若い連中の中にある。

 街の新しいノイズの中にある。

 黒人音楽の次のうねりの中にある。

 機材の変化の中にある。

 その気配を嗅ぐと、あいつはじっとしていられない。

 自分が作った様式に、他人が住みついていくのを見るくらいなら、自分はもう次の場所へ行く。

 そのせっかちさが、結果として“革新”に見える。

 だが、本人にとっては、たぶん生存本能に近かったんじゃないか。

 ここまで話してきたことを思い返すと、全部つながっている。

 ジュリアードの教室で、ブルースを安い説明に押し込めるなと立ち上がった若者。

 ブキャナンに、揺らすな、まっすぐ立てと教えられた少年。

 Birdlandの前で血を流し、パリで初めて人間として扱われ、ヘロインで崩れ、父親の家で身体を取り戻した男。

 その全部が、変化の燃料になっている。

 つまり、マイルスは単に“新しいもの好き”だったんじゃない。

 変わらないでいることが、自分を裏切ることに感じられたんだろう。

 昨日の自分に忠実でいるより、明日の自分に追いつくほうが大事だった。

 だから、あいつの音楽を時代ごとに棚へ分けるのは便利だが、少し危ない。

 ビバップ期。

 クール期。

 モード期。

 電化期。

 たしかにそう分けられる。

 でも、本当は一本の線なんだ。

 自分を固定しようとする力への抵抗。

 その線が、ずっと続いている。

 スタイルが変わっても、そこだけは変わらない。

 だから、どの時代のマイルスを聴いても、結局マイルスなんだよ。

 音色だけじゃない。

 態度が同じなんだ。

 「俺を分かったつもりになるな」

 その態度が。

 若いミュージシャンは、ときどき“自分らしさ”を早く見つけたがる。

 分かるよ。

 不安だからな。

 名刺みたいなものが欲しい。

 自分はこういう人間です、こういう音です、って言いたい。

 だが、マイルスを見ていると、自分らしさってのは、固定することじゃないと分かる。

 むしろ、変わってもなお残る癖みたいなものだ。

 音の置き方。

 間の取り方。

 怒り方。

 引き算の仕方。

 そういう深いところが同じなら、表面はいくら変わってもいい。

 マイルスは、そのことを一生かけて証明した。

 結局、あいつは完成しなかった。

 いや、完成しないことを選んだ。

 それが、あいつのいちばん偉いところだと俺は思う。

 完成ってのは、たいてい他人がくれる勲章だ。

 “これで完成です”と言われた瞬間から、人は保存される。

 マイルスは保存されるのが嫌だった。

 だから、いつも少し未完成のまま、次へ行った。

 その未完成さが、あいつを生かした。

 そして、俺たちをいまでも飽きさせない。

 マイルス・デイヴィスは、偉大なトランペット吹きだった。

 偉大なバンドリーダーだった。

 偉大な編集者でもあり、偉大な耳でもあった。

 だが、最後にいちばんしっくりくる言い方をするなら、

 あいつはたぶん、いつも次の自分に追いつこうとしていた男だったんだろう。

 追いつけたかどうかは知らない。

 たぶん、最後まで少し間に合わなかった。

 でも、その“少し間に合わなさ”こそが、マイルス・デイヴィスという音楽の正体だった気がする。

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マイルス・デイヴィス物語 はまゆう @Hamayuh

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