第2話

 もう話術の天才の姿はなかった。


 未希みきは周りにいる子たちを口で攻撃するようになった。

 彼女いわく、「私はみんなに本当のことを教えてあげているの」ということだった。


 そして、二月に一度の未希とのランチの日が来た。


 その日も、未希は私の机の前に椅子を持ってきた。

 でも、箸を動かす手は遅く、話も途切れがちだった。私が話したことにろくに相づちも打たない。


「私は未希の味方だからね」


 励ますように言った言葉に返ってきたのは、冷たい嘲笑だった。


「味方? あなたって、私との友情を特別だと思ってるでしょ」

 箸を持つ手が止まった。


「でも本当は、私がいなくなったら誰とも話す人がいなくなるから必死にしがみついてるだけ。私の取り巻きの子たちを見下してるみたいけど、結局あなたも同じことしてるじゃない。私とくっつくことで自分の価値を証明した気になってる。ほんとおかしいなあ」


 胸の奥が冷たくなった。

 未希は少し間を置き、卵焼きを口に運んでから、にやりとした。


「その証拠に私が最初に話しかけたとき、泣きそうなくらいうれしそうだったもん。あれは笑えた」


 心の奥の柔らかい部分を踏まれたような痛みが走った。

「って、お姉ちゃんが言えって」

「……」

「それと、性格の悪い人が好きそうな本ばかり読んでる。必死に背伸びして自分は特別と思おうとしてて、そこだけはかわいいよね」


 心が痛すぎると何も感じなくなるとこのときに知った。

 それから食べ終えるまで、私たちは何も話さなかった。


 弁当を片づけて立ち上がろうとしたとき、未希が明るい声で言った。

「じゃあ、私はお姉ちゃんとおしゃべりするから」

 振り返ると、未希は空いた椅子に向かって話しかけ始めていた。

「どうだったお姉ちゃん? 私、うまく言えたかなあ?」


 これが最後の二人ランチだった。


 私と同じようなことが未希の周りで起こっていたのだろう。彼女の周りからは人がどんどん離れていった。


 取り巻きが三人から二人、二人から一人になり、ついには昼休みも一人で過ごすことが多くなった。


 彼氏にも、「あの人の〇〇なところが嫌い」とお姉ちゃんが言っていたと本人に告げたそうだ。

 それは彼が誰にも言っていなかったコンプレックスで、二人はあっさり別れたと噂で聞いた。


 成績も急激に落ちていった。でも、未希は「先生が間違ってる」と平然としていた。

 宿題もいっさいやらなくなった。もちろん理由は、「お姉ちゃんがしなくていいと言ったから」だ。


 まだ自分が上手くやれていると思っているらしく、

「なんでお姉ちゃんの言うことがみんなにはわからないのかなあ」

 そんな独り言を私は何度も耳にした。


 中学三年になり、未希とは別のクラスになった。

 ある日の放課後、未希が廊下の向こうからやってきた。彼女がひとりぼっちで廊下を歩いているなんて、少し前まで考えもしなかった。でも、彼女はそんなことは少しも気にしていないようだった。


 未希とどういう顔をしてすれ違えばいいかわからなかった。

 無表情を作って通り過ぎようとする私に、未希は聞いてもいないことを一方的に言い出した。


「私、高校は○○学園に行くの。お姉ちゃんがそうしなさいって」


 ○○学園なんて聞いたこともなかった。

 とまどう私に未希は満足そうに笑い、廊下の先へと歩いていく。

 まるで、お姉ちゃんのあとを疑いもなくついていくみたいに。


 急に不安にかられて、スマホで検索した。それは怪しい宗教法人が経営する高校だった。ネットでは眉をひそめるような悪評がたくさん書かれてあった。

 しかも、電車とバスを乗り継いで片道三時間はかかりそうな僻地へきちにある。


 私はいまさらながらに確信した。

 ――お姉ちゃんは、本当は未希のことが嫌いだったんだ。


 それなら未希の豹変ひょうへんに納得がいく。


 このままでは、お姉さんによって未希の人生は取り返しのつかないことになる。

 もう彼女のことは友達とは思っていないけど、一言だけ忠告しよう。


 未希に駆け寄ろうとしたそのときだった。


 私は見た。


 スキップするような軽やかな足取りで遠ざかる未希の背後。その斜め上あたり。何かが揺らめいた。


 髪の長い女性だった。


 透き通る体を確かにそこに浮かべている。

 髪は水中にいるかのようにゆらりと広がり、指先が未希の肩にそっと触れていた。


 息が喉に詰まったかのようになり、私は一歩も動けなかった。


 彼女は振り返ってぞっとするほど静かな笑みを口元に刻んだ。


 そして、唇に人差し指を立てて見せた。



 ――了――

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死んだお姉ちゃんが何でもおしえてくれる 仁木一青 @niki1blue

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