死んだお姉ちゃんが何でもおしえてくれる

仁木一青

第1話

 小学生のころから「未希みき」のことは知っていた。


 となりの小学校にものすごい人気者で、そのうえ勉強もできる子がいるらしいと。


 中学で同じクラスになって、初めて未希を見た。

 自分のことを棚に上げて、「顔は平凡だな」と思ったのをいまでも覚えている。


 けれど、ひとたび口を開けば、誰もが引きこまれてしまう。

 なるほど、こういうタイプの人気者かと合点がいった。


 中学生活が始まって数日で、早くも未希はクラスの中心人物になっていた。

 私はクラスの隅で本を読んでいるような人間だから、絶対に相いれないと感じていたし、まさか向こうから話しかけてくることもないだろうと考えていた。


 ところがある日、いきなり未希が本を読んでいた私の机にやって来た。


「あなたと仲良くしたいんだけど」

「ふうん、どうして?」


 本から顔を上げずにそっけなく返したものの、心臓が小さく跳ねる。まさか、自分に声をかけてくるなんて思いもしなかった。


 素っ気ない返事すぎたかな。胸の奥でひそかに焦っていると、上から未希の屈託のない声が降ってきた。


「お姉ちゃんがね、そうしなさいって」

「はあ!?」


 予想外の理由に、本から顔を上げて彼女をまじまじと見つめた。思わず声が裏返った。意味がわからない。

 完全に意表をつかれた私に、未希は両手で拝むようなポーズをした。


「仲良くしてくれないとお姉ちゃんに怒られるの。私を助けると思って仲良くしてね」

 彼女は困ったような顔をしながらも、どこか楽しそうだった。


「もしかして、その言い方もお姉ちゃんに教えてもらったわけ?」

 皮肉で言ったつもりだったのに、未希はあっさり「うん、そう」と答えた。


 思わず吹き出してしまう。未希も大きな声で笑った。


 ここまであけっぴろげに来られたら、もう私の負けだ。

 これがきっかけで、私たちは友達になった。

 いま思えば、ひねくれ者の私の攻略法を未希のお姉さんはわかっていたのだろう。


 次の日、未希は私の机に文庫本を一冊置いた。

「これ、面白いよ」

 タイトルを見た瞬間、私の好きそうな内容だと直感した。

 あっという間に読み終えて返すと、今度は別の本を差し出される。どれもこれも、私の好みにぴったりだった。


 本のチョイスのセンスを褒める私を、未希はニコニコと見つめていた。


「あなたって、いろいろ本を読んでいるのね」

「そういうタイプには見えないでしょ」

「え、うん、そうね」

「実は、全部お姉ちゃんが教えてくれたんだ」


 このとき私は、未希には本好きのお姉さんがいるんだと思っていた。

 けれどしばらくして、未希のお姉さんは彼女が小さいころに事故で亡くなっていたと知る。

 妹の未希をかばって代わりに亡くなったそうだ。


 そして、未希と同じ小学校だった子から、「未希のお姉ちゃんが守護霊になって、ずっとそばにいるんだって」と聞かされた。

 そのお姉ちゃんが背後から、勉強も人の心を掴むしゃべり方も教えてくれているそうだ。

 にわかには信じられない話だった。


 二月に一度くらい、未希は「今日は一緒に食べよう」と言ってきた。

 普段はクラスの真ん中で取り巻きに囲まれて昼食をとっているのに、その日は私の机の前に椅子を持ってくる。


 昼休みのざわめきの中、二人だけの小さな円ができる感じが好きだった。

 あの人気者の未希をいまだけは独占している。それは私のようなクラスの一匹狼タイプの人間にも快感だった。


 未希は聞き上手でもあり、話し上手でもあった。私の言葉を引き出しつつ、何気ない出来事をベストセラー小説のように面白く語る。だから彼女と一緒にいるといつまでも飽きることがなかった。


 ある日のランチで、私は思い切って聞いてみた。

「お姉さんが守護霊になってるって聞いたけど、それ本当?」


 未希はおかずを箸でつついてから、当たり前のように答えた。

「うん。お姉ちゃんはとても優しくて、いつも私を見守ってくれてるの。私が道路に飛び出したときもお姉ちゃんが助けてくれたんだよ。生きてたときと同じくらい、ううん、死んでからはもっと一生懸命に私を世話してくれてる」


「ふーん、そうなんだ」

「だから、お姉ちゃん。お弁当のお野菜食べて」


 未希が屈託なくそう言ったとき、私は何気なく彼女の弁当箱に視線を落とした。

 さっきまで残っていたはずのピーマンとにんじんが、跡形もなく消えていた。


「もしかして、いまのはお姉さんが……」

「うん」


 未希は当たり前のようにうなづいた。


「ね、お姉ちゃんに任せたらなんでもうまくいくの」


 その無邪気な口調に私は何とも言えない違和感を覚えた。

 でも、そのときはまだ、それがどういう意味なのかわからなかった。


 未希は、勉強は学年トップだった。何でもお姉ちゃんが教えてくれるらしい。

 美術もすごく上手で、いつのまにか課題が完成しているのだ。だが、音楽や体育は平均的。歌えば普通の声で、走れば真ん中あたりでゴールする。


 そこだけは、未希自身の身体でやらなければならないからだろう。いま思えば、それが逆にお姉さんの存在を証明していたのかもしれない。


 休み時間になると、未希の周りに自然と人が集まってくる。彼女の周りには笑い声が絶えず、誰もが未希と話したがっていた。

 先生たちからの信頼も厚く、学級委員や生徒会の役員に推薦されることも多かった。未希が困っている子に声をかけると、その子はすぐに元気になった。


 まるで魔法のように、未希の存在だけで場の空気が明るくなる。


 そのうえ、高校生の彼氏までいた。

 しかもその彼氏は、学校にファンクラブができるほどの美男子で、実家も裕福らしい。

「休みの日は別荘に遊びに行ってるんだって」と耳にしたとき、まるで漫画かドラマの話を聞かされているようで現実味がなかった。でも、未希ならありうるなと思ってしまう。


 私のようなクラスの隅っこにいる人間から見ても、彼女の輝きは眩しいほどだった。


 しかし、中学二年の終わりごろから、未希は少しずつ変わっていった。


 最初は、ほんの小さな違和感だった。

 休み時間、おしゃべりが弾んでいたとき未希が突然さらりと言った。

「でも、その髪型、似合わないよね」


 場は一瞬止まったが、言われた子が「ひどーい」と笑いに変え、周りもつられて笑った。

 その場では軽い冗談として受け流されたけれど、私は妙に引っかかった。

 未希の声には悪意がなかった。ただ無邪気に「本当のこと」を口にしただけに思えたからだ。


 そしてある日、何人かで雑談をしていると、未希がさらりと言った。

「そういえばね、〇〇ちゃんのことを嫌いだって言ってた子がいたよ」


 屈託のない笑顔で放たれたその言葉に、空気が凍りついた。

 そして未希はどこが嫌いかまで詳細に付け加えた。

 いきなり告げ口された子は顔を真っ赤にしてうつむき、そのまま泣き出してしまった。


 あわてて取り巻きが「それは言っちゃだめだよ」と止めに入る。

 未希はそんな雰囲気に気づかないかのように、首を傾げてにこりと笑った。


「だって本当のことだよ? 本当のことは教えてあげないといけないってお姉ちゃんが言ったんだもん」


 その邪気のなさが、私にはひどく不気味だった。


 このときから、未希の周りの空気は確かに変わり始めた。

 以前のように人が自然と集まることはなくなった。

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