エピローグ
正しくない鬼への成り果て方
私が久しぶりの深い眠りから目覚めた時。
そこは県内で一番大きな病院の、個室のベッドの上だった。
最初に思ったのは、どうしてまだ生きているんだろう、ということだった。
首筋を触る。
絆創膏を貼る必要もない程の、小さな引っかき傷。
あれだけ思いっきり突き刺したのに、どうしてこの程度なのか。
その手に刺した感触もあったのに。首がぎゅうと引き攣って苦しくなって、ああ死ぬ時はこういう感じになるんだと思ったのに。確かに意識が遠のいていく実感があったのに。
すぐに目を泣き腫らしたお母さんが飛んで来て、それから苦しそうに顔を歪ませるお父さんが現れて、気づいてあげられなくてごめんというようなことを口々に言われた。
重くてぼんやりする頭で、私は問い掛けた。
「れいちゃんは?」
両親は、小さく首を横に振るだけだった。
「待って、なんで、れい、れいちゃんは、うそ、そんな」
ひどく取り乱す私をどうにか落ち着かせようとでもしたのか、
「夏希。あの子は、きっともう、苦しまないで済むようになったんだよ」
お願いだから、ふざけないで欲しかった。
れいちゃんのことをそんな簡単にまとめるな。
その時私は、生まれて初めて親に汚い言葉を吐き捨てた。
お前らにれいちゃんの何が分かるんだ、と。
何も知らないくせに勝手なこと言うな、と。
れいちゃんが眠っているときは必ず泣いていることも、太ももの付け根にたくさんの自傷跡が出来ていたことも、何度か自殺未遂をしたことも、訳もなく大笑いし始める時があってでもその間の記憶が本人には無いことも、突然右耳がほぼ聞こえなくなったことも、何か私にさえ言えない心の傷を抱えていたことも、ちょっとした破裂音でも過呼吸に陥ることも、九州で除霊師をしている親戚がいてその人さえ来ればこの事態を解決してくれるからそれまでの辛抱だと言っていたことも、その発言が現実逃避が極まった彼女の妄想でしかなかったことも、『鬼』の苦しみにあまりに耐えられずに夏休みや冬休みなんかに二人で学園に忍び込んでそこで隠れて過ごしていたことも。
私たちのことを、何にも知らないくせに。
※
れいちゃんとお揃いの、小振りなナイフ。
私が突き刺す直前まで、確かにそこには〝刃〟が付いていた。
だけど今は、その刃の根本から強大な力で削られたように消失していた。
その代わりに、私の首筋には太い荒縄のようなもので締められたような青痣が出来ていた。でも、その締めた道具は体育館のどこを探しても見つからなかったし、そもそも締められている瞬間を誰も見ていないのに、私は壇上で意識を失ったのだ。
そう聞いた時、私はれいちゃんに助けられたのだと気づいた。
れいちゃんは、私のことを買いかぶり過ぎな節があった。
私は別に、真っ直ぐでもないし、格好良くもないし、素敵でもない。
ただ、れいちゃんのことが好きだっただけ。
好きだったから、その期待に答えたかっただけ。
れいちゃんと仲良くなるきっかけとなった初等部での出来事以降、彼女は私が正しく善良な人間だと心の底から信じ切っていた。あんなにもかわいいのに自尊心が低いれいちゃんは、そういう類の理由付けがないと対等な関係を結べないようだった。
だからただひたすら、彼女が求める役割を演じ続けていた。
私は、本当に、ただの子どもだった。
そんなことをしてでも、ずっと一緒にいたかった。
だって、どんなに辛くたって、れいちゃんはえへらと笑って見せるのだ。柔らかなその表情。ほんの少しだけ切なさが透けていて。でもそれが気にならない芯の強さがあって。見ているこっちだって、大丈夫なような気がしてくる。なにもかも、全部。
その笑顔に、私はずっと惹かれていただけ。
だから守らなくちゃと思っていたのに。
それが結局、このざまだった。
退院の瞬間、親は私を連れて遠く離れた余所へと移り住んだ。
私の世界は暗闇に閉ざされて、そこで私は延々と自分を責め続けた。傍目から見れば、長い間ずっと抜け殻のように過ごしていただけに見えただろう。
どうしようもない怒りや悲しみ。
それらが時間が癒やしてくれるなんて、嘘っぱちだった。
何かのきっかけでふと我を取り戻した時、鏡の向こうにれいちゃんがいることに気づいて、私は号泣してしまった。ついに私を迎えに来てくれたんだと、そう思った。
でも、違った。
ただ自分が映っていただけだった。
いつのまにか、髪がものすごく伸びていたのだ。
それこそ丁度、れいちゃんが死んだ時と同じくらいの長さ。
それで私も、死のうと思った。
そうするのであれば、れいちゃんと一緒の場所が良かった。
誰にも言わずに家を抜け出して、美成瑚学園へと舞い戻った。
皮肉のつもりで箪笥の奥深くに眠っていた紺ブレを着ていった。
想像していたよりも、あの頃と変わっていないなという薄い驚き。
日が落ちた後の暗い校舎の周りを歩く。
中庭の方から、音がした。
そこで、私は見てしまった。
最初は何をしているのか分からなかった。
決して入ってはならない、中庭にある『鬼』を祀る祠。その前には木製の棚があって。いろんなものが備えてあって。幾人かの先生たちが、その前に並んでいた。
観音扉から現れた遠峰先生は、意識のない女子生徒を連れていた。
先生たちはその子を教室の席に戻し、教職員室へと去っていく。
言いようのない、とてつもなく悪い予感がした。
教職員室の僅かに空いた窓から、聞こえてくる。
お祓いしてからは特に異変らしい異変は起きなかった。もっと早くやっても良かったかも。生徒たちの学習意欲も落ちていた。やはり『鬼』が無ければ美成瑚は美成瑚たり得ない――そう熱弁する遠峰先生と、それらに共感する大人たちの醜悪さ。
あんなことがあったのに。
れいちゃんが命を賭けて訴えたのに。
彼らは結局、ろくに反省していなかったのだ。
何ならどうして自分たちだけ損をしなくてはいけないのかとでも言いたげだった。
確かに学園に『鬼』がいた時は、美成瑚学園の生徒たちは大人しくせざるを得ず、それくらいしかすることがなかったから勉強ばかりして、進学実績も良かっただろう。
でもそれは、誰も彼も自分が『鬼』になりたくなかったからだ。
あの時の空気が、脳裏を掠める。
誰かの犠牲で成り立った、歪んでいるが故に完璧な学園。
彼らは本気で思っているのだ。例え誰かを不幸にしてでも、あの時の美成瑚学園を復活させるだけの価値があるのだ、と。私は疑問を覚えた。
結局のところ、それは。
――そんなことを平気で言えるのって。
――先生たちが『鬼』をしなくていいからじゃないか。
身体に纏わりつくような暗闇の中に伏せて、私は独りで身悶えた。
れいちゃんと過ごした、あの日あの時あの瞬間は、一体なんだったんだろう。
確証は無かった。
でも、出来る気がした。随分昔に確かめた時は、それは美成瑚の生徒にしか
どのこをことろ、このこをことろ。
そう呟かせて、私にタッチさせた。
私が卒業式で証書を授与される前にこの学園を去っていったことが原因なのか、それとももしくは学園の生徒にしか
今となっては、もうどうでもいいことだった。
とにかくその時――私は、再び『鬼』になった。
つまり、彼らは因習を復活させたのだ。
だから私は、鬼に成り果てる事を決めた。
憎悪はあった。復讐心も。敵意も。殺意も。
でも何よりも一番強かったのは、使命感だった。
れいちゃんの死が無意味じゃなかったと示さねばならない。
そのために、れいちゃんが最後にしようとしていたことを再現する。
私はありとあらゆる激情に身を焦がしながら、それでも決して正気を手放すことはなく、れいちゃんへの弔いのためだけに鬼へと堕ちることに決めた。
この学園を、今度こそめちゃくちゃにしてやるのだ。
血相を変え逃げ去っていくその子を見届けた後。
凄まじい倦怠感と吐き気で私は座り込んだ。
全身が擦り下ろされるような酷い苦痛。
でも――それが妙に懐かしくて、切なかった。
私に呼応するかのように、何かの輪郭が脈動していた。
※
脅したり、暴力を振るうだけならまだ良い方だ。
私はまさに〝祟り殺す〟ということを、自ら体現していった。
一度逃げ延びられてしまった遠峰先生に出来る限り苦しんでもらうために、れいちゃんの名前を名乗りながら彼を探したこともある。自分のしたことを棚に上げて許して許してと煩かったからじっくりいたぶることも忘れて殺してしまったけど。
何人も殺した。数えるのなど最初から諦めていた。
人を殺すことなんて、鬼は躊躇わないはずだから。
復讐に歓びを感じたのは最初だけだ。
めちゃくちゃにする。ただそれだけ。
恐怖を向けられる度、私の身体は鬼へと再構成されていった。
獲物を探して彷徨う度にその足は長く細く捻れていき、命乞いする者を見下ろす度にその目は深く落ち窪んでいき、恨みを叫ぶ度にその口からは鋭く尖った牙が生えていき、その手で命を潰していく度に両腕はさらに伸びて力と穢れを増していき、それでも止まろうとしないからか私の肌の色も髪の色も醜悪に濁っていった。
偉い人たちを何人か続けざまに殺した時に、閉校が決まった。
じきに美成瑚学園は、誰もいない廃墟と化した。
これでもう二度と、因習が繰り返されることはない。
れいちゃんのような苦しい思いをさせられる子もいなくなる。
何もかもをはちゃめちゃにしてやったのだから、それで当初の目的を果たせたような気はするのだけれど――しかし、私は幕引きの機会を失っていた。
こうなってから最初に叩き潰した鬼の祠。
そこにあった地下室には古い仏像が安置されていた。
気紛れにそれを踏み壊してみれば、中には細かく切断された人骨らしきものが整然と埋め込まれていた。もしかしたらこれが一番最初の鬼だったのかもしれない。
その人物は生まれながらにして鬼だったのか。
それとも皆に鬼だと信じ込まれて成ったのか。
ぼろぼろの頭蓋骨の眼窩には、恨みを感じた。
どうでも良かったから、私は全て塵に返した。
長らく鬼を宿し続けたためか〝三好夏希〟としての私は完全に作り変えられ、論理的な思考が上手く出来なくなっていく。ただ絶叫を垂れ流し、鬼の四肢とその力を振り回すだけ。こうなってしまえば貴杭山から離れることも出来ない身体になっていた。
私はもう、どうしようもなく鬼だった。
こうなれば、理性を手放したほうが楽だ。
時間感覚なんてとうにおかしくなっていた。
辛うじて残る摩耗した人間性も喪失していく。
学園の校舎の中や敷地内を歩き回っては目に付くものに当たり散らす。もしもこの学園廃墟に近づこうとする者を見れば、ほとんど自動的に危害を加えていた。
そのうちに、人が近づいてくることもずいぶん減った。
私はもうずっと何も飲んでもないし、何も食べてもないし、眠っているのかすらも怪しい。なのに、それでも死ななかった。
私はもう、化け物だとか怪異と呼ばれる存在なのだ。
この成り果てた身をもって『鬼』の因習を塗り潰し続けた。
それでもふいに我を取り戻す時間もあった。本当に極稀にだけれど。
私は結局、何が出来たのかと思う。かつて県内一の教育機関と持て囃された学園の校舎は私と同じくらいに変わり果てて、その中身も荒れ放題の屍のようだ。私がおかしくなっている間に暴れに暴れたようだから、そう遠くないうちに崩落するだろう。そうなればここも完全に風化して、自然の中に飲み込まれていく。何もかも忘れ去られる。
そんな荒れ地を一望していると、酷く複雑な気持ちに苛まれる。
そういう時は、ひたすられいちゃんの事を考えるようにした。
私たちは、どこでどうすれば、幸せになれたのだろうか。
全てが終わった暗闇の中、すぐに私は正気を失う。
※
ばちゅっ
わたしのてから、あかいアメがふっていた。
ひさしぶりのそのオトで、ニンゲンがきていたのだとわかった。
ころさなくちゃ。
ころさなくちゃ。
ころさなくちゃ。
なんでかは、わからないけど。
わたしはここにきたニンゲンをころさないといけなかった。
うでをのばして。てでニンゲンをつつみこんで。
ぎゅっ、とちからをこめるだけ。
そうすればぜんぶ、おわり。
かんたんだ。
ばちゅっ
にげようとしたニンゲンもつかまえた。
あはは。おそいおそい。
ばちゅっ
ニンゲンがなにかをむけてきた。
ぱん、とちっちゃなオトがした。
ちくっといたくて、かゆい。むかつく。ふりはらう。
なにか、いってた。でもわかんない。
あとかたもなくつぶしてあげる。
ばちゅっ
ひさしぶりにいっぱいきた。
あたりはまっかでびちゃびちゃだ。
ひさしぶり。
ひさしぶり。
ひさしぶり?
いつからこんなこと、してるんだっけ。
わたしはなにか、だいじなことが、あったはず。
それは。
あったんだろうか。
もう、わすれちゃった。
ばちゃん。ばちゃん。ばちゃん。
ふらふらとあるいていると、みつけた。
あかくなったどろのした。あながほられてた。
そこにもうひとり、ニンゲン。
かくれていたみたい。
めとめがあった。
あかいどろだらけの、そのニンゲンは。
わたしをみて、どうしてか、
えへら、と笑った。
私は、すぐに気がついた。
その若い男に――確かに、彼女の面影を見た。
それで全部、思い出した。
何よりも守りたかった、その笑顔。
誰よりも添い遂げたかった、その笑顔。
すべてが大丈夫になる気がする、その笑顔。
だから私は、その若い男を逃した。
貴杭山の頂上へと駆け上る。
そこからなら、果てまで見渡せるから。
空はずいぶん高くなって、遠くの方に雲の集団があった。
目が覚めるような茜色を乱反射させて、世界が鮮やかに染め上げられていた。
ああ――綺麗だな、と私は思う。
信じられないことに、鼻歌でも歌いそうになっていた。
れいちゃんと別れてから、そんなふうな気持ちを抱くなんて初めてだった。もう言葉を口に出すことなんて出来ないけれど。心の中で何度も何度も呟いた。
――れいちゃん。
私さ、あれから結構、頑張ったんだ。
誰にも理解してもらえないのは当然なんだけど。
それでも独りでさ、ずっとずっと頑張ってきたんだよね。
――れいちゃん。れいちゃん。れいちゃん。
もういいかな、と思う。
学園が埋もれている森を見下ろす。そこから出ていく若い男の影。
暮れなずむ夕陽に目を細めながら、終わりにしようと決めた。
この気持ちを抱えたまま、私は全てを終わりするのだ。
もしも向こう側みたいなものがあるのなら。
――馬鹿だな。夏希、あたしのこと好きすぎでしょ。
そんな風に、えへらえへらと笑ってくれたら、嬉しいな。
私は鬼の両手で、自分自身を包みこんで、
<了>
正しくない鬼への成り果て方 八方鈴斗(Rinto) @rintoh0401
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