はじまりのあと 完

 胸に造花をつけた同級生たちと共に、渡り廊下を抜けていく。

 他の子たちよりも一回り距離を取られているけど、気にもならない。

 桜はまだ咲いていないけれど、春本番の天気が良くて暖かな日だった。

 紅白の幕で飾られている体育館。そこにはすでに下級生たちや親族らが卒業生の席を取り囲むように着席している。あたしの親はともかく、夏希のご両親もどこかにいるのだろう。それが少しだけ申し訳ない。音楽の先生がピアノで奏でる『トロイメライ』を聞きながら、クラスメイトたちの人影に紛れてあたしや夏希もその中へと入場する。

 あたしたちは苦しみ抜いてきた。

 今日に至る、最後の最後まで。

 もちろん肌の状況なんて目も当てられないくらいの惨状だったけど、今日のために二人でお金を出し合って化粧品を買って、こっそりとお互いに施してみた。

 特に夏希はメイク映えのする顔立ちだから、いつも以上に綺麗になっていた。

 夏希もあたしにしてくれたけど、意外にもそういう経験がなかったらしくて、何回もやり直す羽目になった。でも、不器用だったとしても、あたしはとても嬉しかった。

 あたしの身体はもう、鬼のものとしか感じられないけれど。

 それでも二人できちんと身なりは整えてきたから、大丈夫なはずだ。

 紺ブレザーの胸ポケットの中も、きちんと準備をしている。

 クラスメイトたちは念の為にか席をずらし、あたしと夏希から少し距離を置く。それとなく意識されていることが嫌でも分かる。土壇場で伝染うつされることを恐れているのだ。わざわざ遠くから興味深そうに一瞥してくる者は七不思議をよく知る生徒で、卒業式が終わるまでにあたしがどうなるか見ものだとでも思っているに違いない。

 でも、夏希とあたしは長らく話し合った末にこう決めたのだ。

 誰かに『鬼』を押し付けるなんてことは絶対しない。

 あたしたちがここですることは、ただ一つ。


 このクソみたいな因習をぶっ潰して、全部はちゃめちゃにする。


 司会進行はまさかの遠峰先生だった。

 外面だけは良くて事なかれ主義の権化のような彼は、期待された通りに少しの滞りもなく上手く役割を果たしていた。生徒たちに目配せを忘れないあたり、まるで誰よりも優秀で面倒見の良い先生であるかのようだった。

 いや、あたしたち以外からすれば、本当にそうなのだ。

 校歌ならぬ学園歌を斉唱した後、学園長の当たり障りのない挨拶が始まる。

 皆が三年もの間少しの手抜きもせずに真剣に学業に打ち込んだからこそ輝かしい進むべき路を手に取ることが出来たのです――そんなようなことを言っていた。

 感じ入ったように頷く同級生らに反吐が出そうになる。今年も多くの難関高への合格実績を叩き出していたようだが、もちろんあたしや夏希を除いての話だった。日々『鬼』で苦しむだけのあたしたちが、どんな進路を勝ち取れたというのか。

 粛々と式が進んでいく。

 爽やかに微笑み合う男子たち。

 感極まって目を潤ませる女子らもいた。

 なんだかんだあったけど、やっぱ楽しかったよな。

 誰かが小さく囁いたその言葉を聞いて、あたしは耳を疑った。

 思わず乾ききった笑いが漏れる。まるで普通の学校だったみたいだ。

 あたしたちが耐え続けた苦痛なんて、最初っから存在しなかったかのように。


 全てが過ぎ去って、終わったことになった。


 だから、皆が皆、すっきりとした顔をしてるんだ。

 既に新しい環境をスタートするための準備期間に入り始めている。

 こいつらはきっと今の自分たちの平穏が、何を犠牲にすることで成り立っていたかなんて、これからの人生で一度も考えないのだろう。それが腹立たしくてしかたない。綺麗事ばかりが並べられたこの体育館、そこにいる誰も彼もにも欺瞞があった。瞬く間に怒りが燃え盛る。あたしを取り囲む倦怠感がずるりと動き始めてしまうのを必死に抑える。

 を鎮めさせる。

 あたしたちはこいつらとは違う。

 だから、誰かを犠牲にするようなことはしない。

 でも、よほど背中に激情を漂わせてしまっていたからだろうか。

 とんとん、とふいに肩をつつかれる。斜め後ろに座っていた、夏希だった。

「……辛い? か?」

 心配そうにする彼女に、あたしは囁き返す。

「ありがとう。大丈夫大丈夫、任せてよ」

 えへらえへらと、人生で一番の笑顔を浮かべてみせる。

 笑ってみせたら、本当に平気になった気がしてくるから。


『――長塚 玲』


 遠峰先生のアナウンスで、あたしはふらふらと立ち上がる。

 座っている生徒たちは何を言わずともその隙間を無駄に広げて、あたしは必要以上余裕綽々ですり抜けていく事ができた。壇上への小階段に向かう最中に、

「なあ、長塚さん――おい。おいって」

 マイクを切って、遠峰先生が小声で呼びかけてきた。この二年間近くほとんど無視されてきたから、あたしに話しかけていることにすぐ気付けなかった。

「……はい?」

「今までよく頑張ったよな――あとで職員室に来い。準備を整えてやるから」

 言わんとすることが、よく分からなかった。

 思わず立ち止まるあたしに、遠峰先生は諭すかのように、

「『鬼』のままじゃ卒業出来ないだろ。安心しろ。次の、用意してる」

 親切でもしたかのようなしたり顔で軽く手を振り、彼はあたしを壇上へと急かした。

 ぐらんぐらんと揺れる頭で、あたしは考える。

 ――生贄、ときたものだ。

 驚きよりも、むしろしっくりきた。やっぱりそうだった。

 あたしは生贄だった。この学園が上手くいくための。

 小階段を昇り、恰幅の良い学園長先生と対峙する。

「長塚さん。卒業、おめでとう」

 白々しくて上っ面だけの微笑みと、紙っぺら一枚だけを贈られた。

 あたしはそれを受け取って、軽く礼をした後、振り返った。

 数多の視線が突き刺さる。その遠慮の無さに震える。

 あたしがいつまでもそこから動かないから、次に呼ばれた西野さんが階段の下から怪訝な顔をして見上げて、それから怯えたように少し後退りをした。

 肌が粟立つ。緊張してしまっている。小さく深呼吸する。

 段々と大きくなるざわめきに、心が折れそうになる。

 あたしはそれらの全てを無視して、

 ――夏希。

 そう、口を動かした。

 たぶん、最初に気づいたのは遠峰先生だったのだと思う。

「あっまだまだまだ、三好さんまだ呼んでないから――」

 そんなようなひそひそ声がどこかから聞こえた。

 慌てて取り押さえようとする手を夏希はするりするりと避けていき、あっという間に壇上の学園長と補助の女性教師を押し退けた。備え付けられたマイクを強奪して、それからあたしの隣へと並ぶ。

 一瞬だけ、顔を見合わせた。

 それだけで、あたしの震えが収まる。

 他の先生たちがあたしたちを止めようと壇上へと近づこうとしてくる。しかしもう遅い。あたしはずっとずっと我慢してきた倦怠感をずるりと広げて伸ばしていき、あたしと夏希の周りを取り囲むように配置する。先生たちが〝目に見えないもの〟に行く手を遮られてひどく困惑しているのが面白かった。

 ばりばりばり、とあたしの肌が引き攣れるような痛みを覚える。

 羽化が始まりつつあるのだろうか。あたしもじきに終わりだ。

 それでも、その魂はこの上なく自由だった。

 夏希があたしの右手を強く握る。

 あたしはそれを握り返す。


 この『鬼』で苦しむのは、あたしたちが最後だ。


 誰にも理解を示されないだろう。

 事情をろくに知りもしないやつらが後になってあの選択は間違いだ、なんて訳知り顔で言われるかもしれない。でも構わない。だって、理解してほしくなんてない。これまでとこれからの痛みは、あたしと夏希だけのものだから。

 間違っていることは、重々承知だ。

 でも、あたしたちは、一緒に間違えることにしたのだ。

 夏希が右手に差し出したマイクに向かって、

『あたしたちは、――』

 ますますざわめきが大きくなる。

 慌てた教職員の誰かが怒号を飛ばしている。

 事の重大さに気づかない生徒たちが、半笑いで眺めてくる。

『ここの卒業生なら絶対に分かるでしょう。来賓の皆さんにも心当たりがあるはずです。ここ中等部には、因習という名の学園全体での差別が横行しています。いつから続いてきたかも分からない、唾棄すべき最悪の因習です』

 夏希といっしょなら、怖くない。

『あたしたちは、中等部に上がってから、ずっとそれに苦しめられてきました。先生たちは事情を知っていながら見て見ぬふりをして、ここにいる生徒たちもそうでした。誰に助けを求めたって応じてくれなかった。お前だけが苦しめばいい、そう言うみたいに』

 一番前に座っていた何人かの卒業生が、こう呟くのが聞こえた。

「え、なに、あれのこと、喋っちゃうの?」

「さすがにそれはないでしょ、今更言う意味ないし」

 この期に及んで、観客気分なんだ。

『――皆、あたしたちを忌まわしい「鬼」として扱ってきたよね』

「電源っ、誰か電源消せ!!」

 いつのまにかに出入り口まで退避した学園長が叫んだ。

 我を取り戻したかのように、職員らの何人かが壇上の裏へと飛び込んでいく。ブツリ、という大きな音の後、マイクは使い物にならなくなった。

 夏希はマイクを投げ捨てて、張り裂けんばかりに叫ぶ。

「ここにいる皆全員が、私たちをよってたかって『鬼』にしたんだよ! 『鬼』でいろって、皆がそう言うから、だかられいちゃんと私は――私たちは、人殺しの『鬼』に成るしかなかったんだ!! あなたたちの方が、よっぽど――!!」

 脳の奥底から、アドレナリンが分泌している実感。

 間違わないように、あたしは鬼の手の準備をし始めている。

「――でも、ここまで言っても、信じてもらえないでしょうね」

 そう言いながら、夏希は紺ブレの胸ポケットを弄りはじめる。

 あたしも同じく自分のポケットに手を入れた。指先に、冷たい鉄の感触。

「だから、あたしたち、みんなも、この学園も――っ!!」


 取り出したそれは、

 照明の光を受けて、

 鈍色に輝いていた。


 誰かが悲鳴を上げていたような気がする。

 早まるなとも言われた気がする。だけど、これでも今までずっと必死に、正しい道を選びつづけようと頑張ってきたのだ。最後の最後くらい、間違わせてほしい。

 あたしたちはおそろいのナイフの刃を、自らの首筋に当てる。

 目に焼き付けさせてやる。一生忘れられなくしてやる。


「覚えておいて! 『鬼』の因習を続ける奴は、私たちが必ず祟り殺すから!!」


 あたしたちなりに精一杯話し合った。

 それでたどりついたのがこの結論だった。

 あたしたちが実行可能な、この因習を潰す方法。

 センセーショナルな惨劇で、何もかもはちゃめちゃにする。

 あたしという、そのによって、全部塗りつぶすのだ。

 きっと、その瞬間、あたしたちは人生で一番自由だった。

「いくよ、れいちゃん」

 夏希と繋いだ手を、少しだけ汗ばんだそこに、力を込める。

 形の良い額には玉のような汗が浮かんでいて、その凛とした双眸があたしのことだけをじっと見ている。夏希が最後に見るあたしの表情なのだ、折角ならば素敵なものになるようにしなければならないと気がつく。いつだったか、彼女は言っていた。


 ――その顔見てると、なにもかも、大丈夫なような気がするんだよね。


 あたしの、ちょっと間抜けな、えへらえへらとした微笑み。

 顔いっぱいに、大丈夫そうな笑みを浮かべてみせた。

「夏希。あたしのこと、ずっとずっと忘れないでね」

 そう言いながら、手を動かして、首に這わせる。

 あたしたちはほとんど同時に、ナイフを突き立てて引き裂いた。

 痛いと言うよりかは、熱くて冷たいという感じだった。

 夏希はもう、静かに目を瞑っていった。

 あたしは傷口から霧雨のような血を噴き出させながら、その場に座り込む。

 彼女の名をもう一度呼ぼうかなと思って口を開いたけど、ごぼごぼと血の泡をこぼすことしか出来なかった。だから、祈る。

 ――夏希、夏希、夏希。

 ――誰よりも真っ直ぐで、格好良くて、素敵な子。

 ――幸せになってね。そして時折、あたしを思い出してくれたら嬉しいな。

 もしもそうしてくれるなら、あたしの人生にも意義があったというものだ。

 全身から力が抜けていくのと共に、あたしの身体に宿っていた『鬼』の濃厚な気配が粉微塵になっていく。その息遣いが苦しげに途切れていく。ざまあみろ、だ。

 これでいい。これでよかった。これしかなかった。

 夏希をこのくだらない因習から開放するためには。


 救急車が到着した頃には、あたしの身体は冷え切っていた。

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