14 楽園へ至る
夢を見た。
おそらく、これは夢だと思う。揺蕩う波の腕に抱かれて垣間見る景色のような。そんな夢を。
「アシュレイ」
彼が名前を呼ぶ。
かつて、おなじ夢で会った男が夜の海の中に立っている。彼の膝ぐらいまでが海水に浸かっているのだが、押し寄せる波に攫われるような気配はなかった。
ざぶんざぶん、と波が押し寄せる浜辺にいるアシュレイが思わず駆け寄る。足にぬるりとした泥が絡み、よろけそうになったところを意外にもほどよく筋肉がついた腕が支えてくれた。
「……君は、確か」
「ルカリオンだ、アシュレイ」
唇を緩ませ、ルカリオンは蕩けるような笑みを浮かべる。涼やかな美貌に、心臓が軋むように痛んだ。ルカリオン、どこかで聞いた名前だと思った。飾り気のない白いシャツ姿ではあるが、彼には高貴な雰囲気がある。なにものにも侵しがたく、触れればこちらが傷つきそうな鋭利さすらあった。
「ルカリオン……まさか、君は」
ごくりと唾を飲み込んで、アシュレイはつぶやいた。
「ルカの縁者なのか……?」
目の色、髪の色、そして漂う雰囲気がひどくルカに近しい、と感じる。まじまじと彼の顔を眺めていると考え込むようにしてルカリオンは言った。
「……縁者、と言えばそうかもしれないが。実際には違うものだ」
「どういう意味だ?」
「ルカ、とお前が呼ぶ者。それは不完全な存在だ。要素が抜け落ちている」
何を言っているのかわからない。言葉に詰まったアシュレイを前に、ルカリオンはくす、と笑った。
「何故笑う?」
「気分を害したのならすまない。思案する姿も愛らしいと思ってな」
「あっ、愛らしい……なあ、揶揄っているだろう。私に愛らしいところなどない」
「俺の目にはお前のすべてが愛おしく映るんだ。仕方がないだろう? 諦めてくれ」
調子が狂う。ルカリオンの視線を浴びているとどうも落ち着かない。きっ、と睨んでみせればこちらの不機嫌すらも包み込むような微笑みが返ってくる。
波の音。風の音。染み渡る夜の月明かり。沈黙を埋めるようにフリルドマーニュの海がその存在を主張している。
「これは……本当に夢、なのか?」
「お前が夢だと思えば夢だろう。現実だと願えば現実になる。俺を受け入れてさえくれれば……」
ルカリオンの声が掠れ、聞き取りづらくなる。その代わりに抱き寄せられた。
冷たい身体だ。まるで、死人のように。
「また会おう、愛しい人」
頬に押し当てられたやわらかな感触も、やはり冷たく凍えそうだった。
◆
「ヴェリシュ・オブライエンと申します。どうぞよろしくお願いします!」
いつものように案内人の仕事を終えて漣亭に向かうと、店主のシャルに話しかけるどこかで見た顔があった。げ、とルカが嫌悪感をあらわにする。
「君は……」
「あっ、アシュレイ様にルカ様。あー! やっぱり近いうちにまた会えると思ってたっす!」
砕けた口調で話しかけられ、握手を求められる。それに応じようとしたアシュレイの手をルカが引っ込めさせた。
「どうしたんだ? 一度、王都に帰ると言っていたのに」
「
ちら、とヴェリシュはルカを見遣る。
「記憶喪失のまま連れ帰っても、支障がありますので。せいぜい休暇を楽しむつもりで監視させていただきますよ」
「うるさいとっとと失せろ」
苛立たしげに舌打ちしたルカをアシュレイは「お行儀が悪いぞ」と嗜めた。
「まあまあ、みんな落ち着いて。今日はメルティホリディの屋台でも好評だった激辛チキン串を用意したわよ〜」
「あぁ、そうだった……なんだかんだで漣亭の屋台まで回れなかったのが心残りだったんだ。ありがとう、シャル!」
串を受け取ったアシュレイが瞳を輝かせると、厨房から「いい加減休ませてくれ!」というミレットの悲鳴が上がった。
「だめよ。屋台のお手伝い、早々にサボって遊び歩いてたじゃない。しばらくうちで働いてもらうわよ、ミレット」
「そんなー、助けてくれアシュレイ!」
「……すまない、冷める前に食べてもいいだろうか?」
真面目な顔で言い切ったアシュレイに、シャルが「もちろん」と答えた。
辛い! 美味い! を交互に叫びながら頬張るアシュレイをルカが呆れたように見ている。
「アシュレイ」
「ん? なんだ君も食べたいのか? ルカには少し辛いと思うが……」
そうじゃない、とため息混じりに苦笑してルカはペーパーナプキンでアシュレイの頬を拭った。温かな指の感触が頬に伝わってくる。
「ソースがついてた」
「そ、そうか……すまない、ありがとう」
口の中いっぱいのチキンを噛み締めながら、明るい漣亭の店内とはまるで違う風景を心に思い描いていた。
暗い夜の海とつめたい口付け。
そして目の前の少年によく似た男のことを。
【第一部 完】
さいはてのエデン 鳴瀬憂 @u_naruse
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