海渡る魔法カラス
遠部右喬
第1話
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
初めて見たのは、僕達の翼に大人の羽が揃い、何とか自力で食事にありつけるようになり始めた頃だった。
夢の中で広がる見たこともない景色に身震いして目が覚めたのは、僕だけじゃなかった。巣の中で身を寄せ合って眠っていた兄妹たちも同じようにびくりと身体を震わせ、目を瞬かせている。
……さあ、お前達も独り立ちの時だ。
父さんと母さんが、嬉しそうに、少し寂しそうに僕達に頬擦りする。
……お前達と次に会うのは、「渡り」の時だ。
渡りって、何だろう。不安げに互いを見る僕達兄妹を、父さんの真っ黒な羽が撫でる。
……時が来れば分かる。もうすぐだ。
母さんの嘴が僕達の背中の羽毛を整える。
……私達は生きる為に、生かす為に、羽があるのよ。だからそれまでに、沢山力を付けなさい。
次の日、僕達は一斉に温かい巣を飛び立った。それから少しずつ、「渡り」の意味に気付いた。きっと他の兄妹たちもどこかで感じてるだろう。当たり前のように、責めるように、日々強まる衝動が僕を突き動かす。
飛べ! この地を離れ、南を目指せ。翼に希望を孕み、大気を震わせ、彼の地に祝福を。
体の奥から聞こえる声が日々大きくなる。これは屹度、遠い昔から僕達まで繋がれてきた記憶の名残り。
怖いのかい――怖いよ。
行きたくないのかい――わからない。
でも身体は飛び立つための準備が出来上がってしまった。風切り羽も、嘴も、尾羽も、足も、空気に満ちた魔法の力をため込みきって、もうはち切れそうだ。
ピイイイーッ、ヒョーッ!
唐突に合図が響いた。体は自然に羽ばたき、足が掴んでいた枝を強く蹴る。
一斉に飛び立った僕達はぐんぐんと上昇し、隊列を組んでいく。父さん、母さん、兄妹たちの姿も見える。僕達の真っ黒な翼から舞い散る魔結晶の粒子が、きらきらと空を覆う。胸を張り、前を見ろ。夢に見たあの地に冬を届けるんだ。そして一休みしながら今度はあの地の夏を翼に取り込み、この地に連れて帰るんだ。
――最初に見てから9回目のあの夢。今年もそろそろ旅立ちの時が近づいている。巣の中で不安そうに身を寄せ合う雛達を、妻と僕は羽繕いしてやりながら、
……さあ、お前達も独り立ちの時だ。お前達に次に会うのは、「渡り」の時だ。
嘴から、あの日の父さんと同じ想いが零れる。一体、この中の何羽が無事に渡り切れるだろう。僕だって、10回目の夢を見られるかは分からない。
最初の渡りの途中で、父さんは大地に還った。陽に背を焼かれ、雨に翼を濡らし、風に身を切られ、海を渡る。行きも帰りも危険に満ちた旅だ。それでも。
……恐れてもいい。だが、悲しむな。
僕の言葉に、雛達は不思議そうに首を傾げる。お前たちもすぐに分かるよ。
大気を動かし、季節を廻らす為に、僕達の翼はあるのだと。たとえ途中で力尽きても、それすらも大地の糧になり、新たな命を育むのだから。
そして僕達はこの空に、また旅立つのだ。
海渡る魔法カラス 遠部右喬 @SnowChildA
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