言葉を振りかざすことで、絶滅が危惧される関係性がある。今はまだ、在る。

相手の姿の見えぬ分断されすぎた世界において、時に便利道具のように扱われる「言葉」。それが文字列という見境のない刃となった時、引かれた線は深い谷となる。
その隔たりによって、傷つき傷つける機会が世界から消えた時、私たちはどうやってその痛みを識るのだろう。

私にとって、互いの信頼の元、また関係性や距離感の尊重のもと交わされる、本作の中のようなやり取りができる相手は貴重な存在です。
親友、理解者、心許せる相手、ケンカするほど仲がいい……様々ありそうですが、かすり傷を負ったとしても、いずれもポジティブなもの。

ただし同じ時空間でそれなりに一緒に過ごした相手に限る、かもしれません。
そして同じように言われても、同じように誰をも許容できるわけでもないことは確か。
無為自然、ただそうあることを、そのまま認める(ただし受け入れられるとは限らない)

その象徴的な言葉として「多様性」が掲げられたのでは?
と改めて考える機会になりました。

本作では作者様の経験談と共に「多様性」という言葉の取扱いについて提起されています。

その経験談中のやり取りについて、私は温かみのある良い話だなと感じたし、「こういう関係っていいよね」を書いた作品をもっと読みたい。
本作のような対話を恐れずに書いて欲しい。創作でも思い出でも。
文脈自体を読解できない人が増えていると何かで読んだ気がするけれど、だったら尚更、題材は沢山あった方がいい。

子育てにおいては「あれもこれも、やっちゃダメ」より「こうなると良いよね〜」を伝えよう、と言いますね。それと同じ感覚です。
ただし理想が過ぎて「非現実的で所詮は創作」だと逆効果なので、本作が「こういう関係っていいよね」の良い塩梅の先駆者となるよう願っています。

けれど、勿論それも人それぞれ。だからこそ、色んな方が本作を読んだ時、それぞれどんな風に思うのだろうと気になりました。「多様性」という言葉をもって他者を制すのではなく、使う機会自体が消滅していく道を探す一歩目かもしれない。

趣味趣向は人それぞれ。へえ〜そうなんだ、私は好かんけど、もいいじゃない。