エピローグ

第71話 おや、これは?

 鳥羽海上保安部。


 ついに帰ってきた生まれ故郷……と言うと大げさだが、それぐらいの懐かしさを覚えてしまう。北海道にいたのは大して長い期間でもなかったのだが。


 時嶋の件は、鴨尾が録音テープを道警に提出したことで一件落着となった。かなりスムーズに手続きが進んだと聞いている。機内での会話が一部始終バッチリと残されていたからだ。


 フゥ。


 鴨尾は自分の席に戻って一息ついた。溜まっていた書類を目の前にして絶望する。


 ……見なかったことにしよう。


 見えない何かは脇に置いておいて、彼は立ち上がった。スタスタとある人のところへ向かう。彼女は自席でコーヒーを飲んでいた。鴨尾が近づくと、左手でコーヒーを傾けたまま右掌をこちらに向けた。「待て」の意味らしい。


 たっぷりとタメを作って飲み干してから、右手を下ろした。


「はい、私に何かご用で?」


 天ノ川がこちらに向き直った。聞きたいことはいろいろある。


「まず、どうして俺と一緒に乗りこんでくれたんだ? 飛行機に侵入して犯人を取り押さえるだなんて、俺も無謀だとは思っていたよ。実際天ノ川と勝海とギョーカンは猛反対、佐山さんと森も消極的に反対だったもんな」


「賛成するはずがないでしょう。危険すぎます」


「でも最終的には背中を押してくれた。しかも同乗するというこれまた無茶な方法で」


 天ノ川は含み笑いをした。


「だって鴨尾さん一人だと心配じゃないですか。犯人と同じくらい、どんな無茶をするか分かったものではありませんでした。犯人も手強いでしょうし、私がついていったほうが心強いと思ったのです。緊急用のホイッスルを使えば合図にもなりますし」


「荷物収納スペースに隠れたのは功を奏したな」


「ええ。でもやはり一番のネックは、飛び出したときに着地できる位置が定まってしまうことでしたね。その点、鴨尾さんはうまく犯人の位置を誘導してくれました。……無茶が過ぎるのは変わらずですけど」


「褒め言葉と取っておこう」


「全然褒めてません」


 天ノ川が頬を膨らませた。鴨尾は次の疑問をぶつけることにした。


「犯人は時嶋だったわけだが、あいつのアリバイというのはまだ道警からは公表されていない。あれについてはどう思う?」


 天ノ川が深呼吸した。


「アリバイの内容は聞きました。事件発生日の食事時に職員の中条さんとドア越しに話したということでしたね?」


 鴨尾はうなずいた。


「となれば簡単なことです。彼女はのでしょう。中条さんは食べ物を研究室の前に置いて去っていくそうですから、それをロボットでも使って回収すれば完了です」


「あー……そういえばあの島は電話が通じるんだったか。それを利用したわけだな」


 しかしどうにも引っかかる。その違和感の正体を探るうち、驚愕の疑惑に思い至った。


「まさか時嶋が『研究は今回の殺人を成功させるための隠れ蓑だ』とか言っていたのって……」


「ええ。すべてはこの殺人を成功させるためでしょう。誰とも会わずに研究室にこもる生活を続けていたのも、中条さんに決まった時刻に食事を持ってきてもらうのも、食事を部屋の前に置いてもらうだけにしたのも、すべて今回の殺人でアリバイを作るためでしょう。それだけのために九年もの間研究室に閉じこもり、研究の傍ら未解決事件の犯人のアリバイ崩しを淡々と続けていた。また、全員を共犯にするというトリックも有効に機能しています。中条さんが食事を持ってくるあたりのタイミングで共犯の誰かに『犯人と一緒にいるのは怖いので部屋に戻りましょうよ』などと言わせればいいのです。そうすれば時嶋には疑いの目が向きません」


「そういうことか……。ん? ということは、この犯行計画は、研究所暮らしを始めた弱冠一四歳の頃からすでに綿密に立てていたということか」


 鴨尾は戦慄した。だがあの女ならありえなくはない。そうも思える。


 彼は改めて天ノ川の顔を覗き見た。想像するだけで恐ろしい事実が次々と浮き彫りになっていくのに、どうして彼女はこうも冷静なんだろう?


 そのとき、保安部の入り口のドアが開いて誰かが現れた。振り向くと、溝野望実の姉、柳沢真弓がポツンと不安げにたたずんでいた。


「お前が呼んだのか?」


 鴨尾が尋ねると、天ノ川は「そうです」とうなずいた。いったい何のために……?


 二人は真弓を面会室へと案内した。真弓が向かい側、鴨尾と天ノ川がこちら側という構図だ。怖じ気づいたように首を肩にうずめている真弓に対し、天ノ川は容赦なく切りこんだ。


「妹の望実さんは大友瀧さんを殺害しましたね? 明確な殺意をもって。それをあなたはご存じでしょう?」


 真弓が唾を飲みこんだ。当たり、ということか。真弓は口角をあげて笑顔を作った。作り笑いなのは明らかだった。彼女は無理やり絞り出すように言った。


「あ、あの……それってどういう……?」


 天ノ川はまっすぐ真弓を見つめ続ける。真弓は耐えかねたように目をそらした。


「あなたの娘さんの彩さんが関係しているんですね? 当時あなたと彩さんは映画を見に行っていたと証言しました。でもあれは嘘なのでしょう?」


 真弓は黙りこくったままだ。天ノ川は諭すように告げる。


「私の考えはこうです。あなたと一緒に外出していた彩さんは、あなたが少し目を離した隙に、線路内に入りこんだ。おそらく悪意はなかったのでしょう。彼女はそこで足を引っかけて転んでしまった。慌ててあなたは助けに入ったけれど、彼女の足は線路の隙間に挟まってしまっていた。さらに彩さんは頭を強く打ち、意識と記憶を失っていた。おまけに近くに非常停止ボタンは設置されていなかった」


 真弓は苦しげに話を聞くのに徹している。大きく外れているわけではなさそうだ。


「ちょうどその頃、妹の望実さんはすぐそばの駅のホームにいました。そのことを知っていたあなたは望実さんに電話をかけて事情を説明。しかしそのときにはすでに遅かった。特急列車が間近に迫ってきていたのです。非常ボタンまで走っても間に合わないと判断した望実さん。彼女は彩さんを救うため、近くにいた大友さんをとっさに突き飛ばした――」


 真弓は目頭を押さえた。当時のことを思い出して辛くなったのかもしれない。望実が亡くなった今、彼女が一人で背負っているのだ。


「望実さん自身は人を殺してしまったことを反省し、罰を受けたいと思っていたでしょう。しかし彼女は徹底的に黙秘した。これも彩さんを思ってのことでしょう」


 鴨尾は口を挟む。


「責任の一端が彩さんにもあることを本人に隠そうとした、ということか」


「私の推測ではそうです。まだ幼い彩さんに殺人の責任は背負わせたくない。そう考えた望実さんはあなたとともに一生口を閉ざし続けることを決意した。幸い彩さんは記憶を喪失していたうえ、警察の手が及ぶこともなかった。……いかがでしょうか?」


 真弓は涙を流しながらこくりこくりとうなずいた。


「すみません、彩だけは守ってやりたくて……望実と約束したんです」


 彼女は頬を伝う涙を拭いながら、天を見上げた。


「ごめん望実。私、約束を果たせなかった。最後まで隠し通せなかった……」


 天ノ川も苦々しい表情だ。彼女としても本当はこんなことは暴きたくなかったのだろう。


 と、天ノ川が深々と頭を下げた。


「私からも彩さんを守れるよう尽力させていただきます」


 真弓も恐縮したように額を机につけた。


「私たちの都合で無関係な方を巻きこんでしまったこと、本当に後悔の念でいっぱいです。今からでも警察に事情を説明し、遺族の方々に全力で謝罪しにいきたいと思います。本日はどうもありがとうございました」


 そう言って立ち去ってゆく真弓の背中には、最初に見えた怯えのようなものはすっかり消えていた。



 二〇分後、鴨尾と天ノ川は港の縁に並んで座っていた。天ノ川がふと呟いた。


「彩さんはおそらく記憶を取り戻していると思います」


「えっ」


 鴨尾は思わず彼女の顔を見返した。その表情は真剣そのものだった。


「私たちが訪問したとき、真弓さんが『もういいかな……』と真実を吐露しようとしたタイミングがあったのを覚えていますか」


「ああ、あったな」


「それとタイミングを同じくして彩さんは隣室から現れました。私にはこれが偶然とは思えません」


「彩さんは真弓さんが真実を告げてしまうのを止めるために……」


「はい。おそらく彼女は幼いながらに理解しているのだと思います。自分のせいで無関係の人が亡くなった。その殺人の責任を担わせてしまったのは叔母と母親。しかも彼女らは自分を守るために、警察に黙って秘密を抱えたまま暮らしている。記憶を取り戻すとともに、こういった残酷な事実に少しずつ感づいていった」


「なんと……」


「でも彼女は今の平穏な暮らしを守りたかった。そこで、叔母の望実さんの約束を守るべく、真弓さんの吐露を止めに入った。すべて憶測に過ぎませんが、私にはそう思えてなりません」


 もしそうだとしたら、五歳の女の子にはとても重すぎる十字架だ。さっきの天ノ川の『彩さんを守る』という発言も、ここに繋がってくるのだろう。


 とそのとき、何かが海から流れてきているのが目に入った。あれは……板?


 波の揺れに合わせてちょっとずつ近づいてくる。


 鴨尾は保安部の倉庫に保管されているタモ網を持ってきた。堤防の真下に来たところで、掬いあげてみる。


 裏返してみると、そこには『神嵐館』という文字が独特な書体で書かれていた。天ノ川も興味を示した。


「神嵐館の入り口の看板のようですね。おや、これは?」


 鴨尾も同時に気がついた。看板の裂け目に一枚の花びらが挟まっていたのだ。天ノ川がそっとつまんだ。


「黄色いユリのようですね」


 黄ユリか。どこで挟まったのかは分からない。


 鴨尾はふと思い出した。たしか昔見た植物図鑑のユリの欄に、小さな文字で書かれていた覚えがある。


 黄ユリの花言葉は、「陽気」「不安」そして――「偽り」。


(了)

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神嵐館の連続殺人 天野 純一 @kouyadoufu999

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