八章 ホスロとリン

 彼はチハヌ州軍宿営地の最奥、指揮官の天幕がある領域に戻って来たところだった。物見が怪しい影を見たと言ったので、わざわざ出向いたのだが、なんのことはない、夜闇に紛れて飛ぶ小型の魔鳥だった。


肉食ではあるが、大抵は死体を漁るか、せいぜい蛇やトカゲを食う程度である。やつらは賢く、兵士がいるところには死体がある事を知っており、戦場ではよく見かけるが、人を襲う事はほとんどない。


物見に放っておくよう言って、帰ってきたところに、主が自らを呼ぶ声に気づいた。


「閣下、お呼びですか?」

 彼は主の天幕に入り、跪いた。


「おお、リン。どこへ行っていた?」

「物見に呼ばれて外を見に行ったのですが、小さな魔鳥でした」

「はは、それは苦労だった」

「何の御用でしたでしょう?」

「これだ」


 主――サシアン・ホスロはそう言って、とん――と葡萄酒の入った酒瓶を卓に載せた。


「先ほど、お前の故郷から届いたのだ。今年の酒だそうだ。どれ、味を見てみよう」

「私がご相伴に預かっても?」

「お前以外に誰がいるのだ。あのシュロー家の小倅も領地に返してしまったしな」

「あれと本気で酒を飲むおつもりだったのですか?」


呆れたように言うと、主はにやりと笑った。


「それも面白いだろう? 野心で目をぎらつかせながら、それを隠しおおせているつもりでいる。正義感は強いようだが、その実、何も見えてはおらん」

「それが普通でしょう。むしろ、貴族としてはまともな方ではありませんか」

「確かにそうだ。たまにはまともな者もおらねばつまらんか」


主は軽口を叩いて、杯をあおった。


「うむ! 中々の出来だ」


リンも口をつけてみたが、途端に顔を顰めた。とても渋く、とにかく強い。


「……まあ、去年に比べれば」

「ふふ、お前にはまだ早いとみえる。まだ、名酒と呼ぶわけにはいかんが、多少はまともな酒にはなってきた。お前の一族もようやく酒作りに慣れてきたというところだろう」


 リンは渋酒の入った杯を置いた。まだ数えで十四の彼にとっては、味はさておいても、強すぎる。


リンがホスロに仕えると同時に、故郷では酒造りが始まった。既に六年が経とうとしている。確かに酒造りにも慣れてきたのかもしれぬ。それまではまともな仕事もなく、山中で隠れるように暮らしていたというのに。


「我が主のおかげにございます」


主は杯を一気に飲み干して言った。

「逆だ。私がお前の才能に惚れ込んだのだ。希少な才能は一山の金よりも値打ちがある」


主が注げ、というように杯を差し出し、リンはそれに酒を注いだ。

「才能というものは使わねば意味がない。また、使い道を知らねば、それもまた意味がない。父は、お前達の価値を知らず、使い道も分からなかった。お前達が苦労したのは我が父が愚鈍であったせい、ということだな」


――そうだろうか?


 リンは思った。例え、使い道を知っていても、忌むべき才能というものはある。


「まもなく冬です。そろそろ呪を施さねばなりません」

「そういえば、そうだったな」


主はぐびり、と酒を飲んだ。


「呪が切れれば、腐ります」

「分かっている。あれはお前の作品の中でも実によく出来ている。腐らすには惜しい」

「シュロー伯との契約もありましょう」

「そうだな。あれはしばらくあのままにしておかねばならぬ」


「この戦はまだ続けるおつもりで?」

「ああ、続けるとも。まだ私の辺境伯就任に反感を抱く者は多い。州内の主だった所領には配下を置いたが、州内にも中央にも敵はいる。地位を固めるには金が要る。氷竜が出てくるまではこのままだらだらと続けておく」


「しかし、それならば、民衆の蜂起には気を付けねばなりませんでしょう」


主はにやりと笑って彼を見た。


「諫言か? 中々良くできた臣であるな」

「……そのようなつもりは……」

「蜂起はない」

「そうでしょうか?」

「あり得ぬな。義賊気取りがうろちょろしているようだが、そんなもの叛乱には繋がらぬ」


 主はまたも杯を差し出し、リンはそれに酒を注いだ。


「お前は前王がどんな人物であったか知っているか?」

「いえ」

「理想主義者だ。賢君、などと呼ぶ者もいたな。まあ、一面正しい。賢く、人格に優れていたと言えないこともない」

「良き王だったということですか?」


ホスロは愉快そうに笑った。


「ははは! 良き王ならば、なぜ弑逆される? 不都合だったのだ。古い貴族達にとってはな」


ホスロ様、とリンは小さく制した。


「おっと、酒のせいで舌が回りすぎたか」


リンは天幕から顔を出し、さっと周囲を見た。近くには誰もいなかったようで、リンは天幕の中に戻った。


「――しかし、主は先ほど、前王は賢君であったと」

「一面的には、だ。よいか、民を治めるには二つの道がある。一つは民に豊かさと安寧を与え、不満を取り除くというものだ。王道などとも呼ばれるが、これはまことに愚か極まる」


「愚か? 民にとっては理想なのでは?」

「理想と云うのは、決して叶う事がないからこそ理想なのだ。それに、民の理想などかなえて何になる。王の血は竜を生む鍵ではあるが、本人は所詮、只人に過ぎん。人である以上、力には限りがある。民を豊かにと言っても、作物の実りは天の気まぐれ、竜が死ねばたちまち苦しくなる。王にはどうする事もできん。常に豊かであり続けるなど不可能だ。特にこの国のような寒い土地ではな」


「前王はそれを目指していたと?」

「ああ。なまじ頭が良いばかりに、出来もしない道を歩もうとした。理ばかりに頭を巡らせ、人の持つ感情を軽く見た結果があれだ。もっとも、一時的には上手く行っていたのだから、たしかに賢君の資質はあったのかもしれんがな」


前王が商工業に力を入れていたというのは聞いた事がある。また、その結果、貴族達と対立していたとも。


「賢君であろうとしたがために、殺され、国も荒れたと」

「そういうことになるな。弑逆は少数の貴族達が行ったものだが、自らの改革が招いた事だ。それで国を荒らしていれば世話はない」

「もう一つは?」

「ああん?」

「主は先ほど、道は二つとおっしゃいました。もう一つの道とは?」

「ああ」


主は酔っぱらってきたのか、ややうつろな目をしながらも頷いた。


「もう一つはな。民にくさびを打つ事だ。王が人以上のものにはなれぬのと同様、民もまた人なのだ。一人一人は弱く、欲深い。他者を羨み、また蔑む。その習性を利用すれば良い」

「それは……私めには難しゅうございます」


「分断せよ――ということだ。年、身分、職、何でも良い、それぞれ税や扱いに差をつける。誰かを優遇し、他の誰かを冷遇する。それだけで民どうし、勝手にいがみあうようになる。民を豊かになどしなくとも、ただ、団結させねば良いのだ。数百、数千で万の軍勢を打ち倒せるわけがないのだからな」


「……もし、民が団結するような事があったら?」

「ありえんさ。人は争うように出来ておる。些末な争いを飲み込んで、百万の民を統べるほどの器を持つ者など、市井にいるわけがなかろう」


主はそう言って笑い、ごろんと寝そべった。


「ようし、酒は飲んだ。そろそろ寝るぞ」


大の字に寝転んだ主の顔はとっくに赤く、その機嫌は良い。リンは上機嫌の主に一つ頭を下げ、自らの天幕に戻った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灼竜国のケヤク かっつん @striker3461

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ