ちょっと関係ない事でも書きだして頭の整理。
U-nextで『六番目の小夜子』が配信されていて、視聴した。
これ、自分が小学生の頃に再放送していた古いドラマなのだが、松本まりかや山田孝之などの今では有名俳優となった人たちが子役として出演している。
この『六番目の小夜子』は恩田陸のデビュー作が原作となっていて、私が高校生の時に司書のおばちゃんに勧められて強引に読まされたのだが、非常に感銘を受けたのを覚えている。(今、思えば、あのおばちゃんのセンスは本物だった。当時は迷惑かけてすまんかった)
この作品は小説とドラマで大きく違う。
まず、ドラマ版では主人公が原作にいないオリジナルのキャラクターである。
さらに、原作では高校を舞台にしているが、ドラマ版では中学生となっている。
キャラクターの家庭環境なども大きく変わっており、当時ネットが普及していたら、さぞ大荒れしたのではないかと思うくらいに改変されているのだが、その改変は悪い方向には行っていない。
脚本や整合性には色々と気になる部分があるとしても、対象は小中学生であり、彼らに見てもらう事を考えれば成功例と言っていいと思う。
というか、元々の主人公である関根秋は基本的に何もしないんだよね。
彼は全国トップレベルの学業成績、スポーツも行けるイケメン、家柄も良いという恵まれたスペックを持っているのだが、のんびり屋で受け身であり、クソ度胸もないという主人公的ではない性格を持っている。
制作陣はドラマ化した場合、彼だとあまりに動かなすぎると思ったのかもしれない。
ドラマ版では行動的だが、特に目立つスペックのない女の子(潮田玲)をオリジナル主人公にして制作され、関根は彼女の幼馴染として登場することとなった。
ただ、この変更によって小説とドラマ版では主人公と敵役との関係性が大きく変わった。以下、小説版の話となる。
この物語の敵役である津村小夜子は小説版でも成績は全国トップクラス、スポーツ万能の美女という原作の関根と並び立つ存在として描かれており、異なるのは家柄と性別、性格である。
ま、家柄は関根家も中の上くらいなので、そこまで差異があるわけではないのだが、性別の差は物語に対立構造を生む大きな要素だったのではないかと私は考える。
津村小夜子は万能に見えてそうではない。
成績は確かに一流だが、スポーツはそうではないのだ。
女子の中でスポーツ万能といっても高校生ともなれば、全体の中では下位になる。
男子には勝てない壁というものにぶつかる。
これは我々、男性には理解しがたい感覚かもしれない。
彼女は幼少期から優秀で活発な子だっただろう。
しかし、中学、高校と成長するにつれ、自分に枷がはめられていることに気づく。
覇者として生まれたはずの自分がなぜか平凡な男たちに敗北していく。
しかし、自分を負かした者たちはそれを何とも思っていない。
それどころか、彼女を「凄いじゃないか」と心から賞賛するのだ。
男子である彼らは彼女を凄いと言うが、それはあくまで女子の中では、の話であって、自分の敵とは微塵も思っていないのである。
彼女の前に現れた関根秋は彼女と対抗できるほどの頭脳を持ちながら、スポーツでも華やかさでも家柄さえも「持って生まれた者」なのである。
そして、腹立たしいことに本人はその幸運を全く自覚していない。
のんびりと自由に生きていて、自分を「普通」だと思い込んで、ただ恵まれた境遇を享受しているだけの存在に見えるから、津村小夜子は関根秋の敵になったのである。
この感覚は彼女にしかわからない。
同じ女性として生まれた花宮雅子(原作では主役格の一人、ドラマ版では松本まりか)は平凡な女の子であり、「関根君ってすごいよね~」と当たり前のように言う。
彼女は男子に敵愾心を燃やすことも、対抗しようと試みることもない。
「自分がすごくないのは当たり前」と受け止めているのだ。
津村小夜子はスポーツでかなわなくとも、勉強では男子にも勝てる。
それなのに関根秋というのんびりした少年は、たいして勉強しなくとも彼女と並び立つ上にスポーツでは彼女を上回り、しかも、ハンサムだ。
これが彼女を強く苛立たせる。
原作における津村小夜子と関根秋は周りからお似合いだと思われたり、理想のカップルかのように言われたりするが、恋愛関係にはならない。
正確には、津村小夜子はかなり早い段階で関根秋に惚れていると思うのだが、本人はそれを自覚していない。
彼らは表面的には友人であり、互いをある程度理解してもいるのだが、心のどこかで倒すべき敵だとも思っている。
もっと言うと、津村小夜子は深層心理では、関根秋に自分を負かしてほしいと願っていたのだろうと思う。
彼女は女として生まれたがゆえに王になることはできなかった。
ならば、真に王になるべき者に自分を討ち果たしてほしいと願った。
だから、彼女は関根秋の敵となったし、彼が生命の危機に陥った際に動揺し、彼を必死に助けようとした。
彼女が関根の敵になったのは、倒すためではなく、倒されるためである。
はっきりと「お前は俺より下だ」と格付けされることで、彼女は自分の呪いから解放される。
この小説の評では、津村小夜子が何をしたいのか分からなかった、という意見が散見されるが、本人にもよくわかっていないのだ。
勝ちたいと同時に負かしてほしいという気持ちがあり、最初から負けている事に気づいていながらも、まだ負けていないと思い込もうともしている。
勝手にライバルになり、勝手に勝負に巻き込み、しかも、ジャッジは自分でしているから、読者にも本人にも訳が分からないことになっている。
サヨコ伝説はこの一人相撲に関根を巻き込むための装置であり、物語の最終盤で、彼女はようやく敗北を認め、自らの呪いから解放されたのだと思う。
それにしても、彼らはたいして勉強していなかったのに東大現役合格してるのはすごいね。