七章 指欠け男と隻眼の女
灼竜国チハヌ州、その南部にヒトレシュアという街がある。特別、目立つ街ではない。周囲を森に囲まれた、ごく小さな町である。住民は少なく、魔獣の侵入を防ぐための城郭も低い。
領主は五年前の政変の後、新たに叙任されたケシズスという男であった。元は一介の商人であり、戦で焼け出された者を見つけてきては、他国に売りさばく人売りであったと聞く。なぜ、そんな畜生にも劣るような男が領主になれたのかは知らないが、そのケシズスが盗賊によって首を落とされたという噂を聞いたのは、つい十日ほど前の事だった。
隣州でそれを耳にした彼女は、州境を跨いで北上し、ここに着いたのは夕刻やや手前、日が傾きかけたころだった。
「すまないが、他の街へ行ってくれないか」
うっすらと開いた門の向こう、平服に槍という、あまり見ない出で立ちの男が、本当に申し訳ない、という顔で言った。
「この時間では他の街まで行く事はできない。それにお前は兵士ではないようだが……。門番はどこだ?」
彼女は言った。夕刻に差し掛かってはいるが、普通ならまだ門が開いている時刻である。だが、街の門は閉ざされ、武装した衛兵の代わりに平服を着た町民らしき男がそれを守っている。
「兵はもういないんだ。今は俺が門番さ」
男は彼女に手形を返しながら、そう言った。
「今から森を抜けるなんてそりゃ確かに無理だが……、でも、ここもよそ者を入れられるような状況じゃないんだ」
諦めてくれ、という顔で言う。
「ここの領主が殺されたのは、噂で聞いて知っているが、私とて他に行き場所もないんだ。このままでは森で夜を明かす事になる。何とか頼めないか?」
「うーん……」
その時、おい、という声が上から投げかけられた。
「入れてやれ。別に賊の類じゃねえだろう」
上を見上げると、城郭の見張り台からこちらを見下ろす髭面の男がいた。
「でも、おやっさん」
「いいさ。何かあっても、そいつの責任だ」
それなら、という顔で、門番役の男は城門の横にある小さな通り戸を開けた。とりあえずはありがたい、と彼女は通り戸をくぐり、街に足を踏み入れた。
「宿屋はどこだ?」
彼女が振り返って訊くと、またしても上から声が降ってきた。
「おれが案内してやる」
城門の脇に立てかけた梯子を、男がえっちらおっちら、時間をかけて降りてきた。年の頃は五十くらいか。
「すまんな。これなもんでよ」
そう言った男は左手を軽くかざして見せた。その左手は指が二本欠けていた。
「いや、入れてくれて助かった。森で夜を明かすのは避けたいと思っていた」
「さすがに女一人を森にほっぽり出すわけにもいかねえわな。さっきの奴は剣を持ってるあんたを警戒しただけだ。悪く思うな」
そうだろうな、と彼女は思った。
「あんた兵士さんかい?」
「いや、ただの旅の者だ。それに多少、剣が遣えたとしても、あまり獣とは会いたくなくてな」
ははっ、そりゃそうだ、と男は笑った。
「宿はこっちだ」
と男は先導するように歩き出す。彼女は後ろを附いて歩きながら、つとめて軽い口調で聞いてみた。
「ここに来る直前に、領主がやられたという噂は聞いたが、兵士がいないというのはどういうことだ?」
「夜のうちにケシズスが殺されて、次の朝、俺たちが起きた時にはもういなかったのさ。ケシズスの首と、やられた奴だけ残して、みーんな消えちまってた」
「首を残して? ケシズスは兵達にとっては主だろう?」
「主人に似たのさ。薄情な男でね」
男はまたも笑いながら、そう言った。
「残っていた死体もあったが、元々いた兵士の半分よりも少なかったな。親分が殺されたとみるや、さっさととんずらしたのさ。逃げ足だけは速いこって」
男はそう言って、前を見たまま、もう一度指の欠けた左手をかざして見せた。
「こいつもケシズスにやられたんだぜ。狐も来るんなら、一言言ってくれれば、俺も加わったのによ」
男は、ははっ、と作ったような笑い声を響かせた。
「じゃあ狐が殺したのは、ケシズスとその配下の兵の半分ということか」
「まあ、そんなとこだな。……ああ、あと、ケシズスの愛人も死んでたぜ」
「女?」
「ああ、ありゃこのへんの女じゃねえ。どっかの街から連れてきた妾だろうよ。あんな赤毛の女はこの街にゃいなかったはずだからな」
「……赤毛か」
「ほら、ここだ」
男はそう言って、傍らの看板を指差した。いつの間にか宿屋についていたらしい。
「こんな時だからよ。ちゃんと営業しているわけじゃあないが、主人に言えば一晩くらい泊めてくれるだろう」
「助かった。恩に着る」
「いいってことよ。ま、あんたもそれじゃ苦労してるだろうと思ったまでさ。じゃあな」
そう言って、男はまだ残っている人差し指で自分の左目を指差し、去っていった。
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