前巻についてメールでご質問いただきました。以下、ご興味があれば、でどうぞ。うん、長い上にアホなこともいっぱいだからね。
書籍版の結婚祝賀会、フェルドリックの「魚目に水、人目に空、いずれにせよ玉などよりよほど」というセリフについて;
同じく書籍版の序章で、フェルドリックがハイドランド王に謁見した際、彼がオーレリアのことを「至宝」と呼ばわりしていたことを受けての皮肉で、
「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」(=本当に価値のあるものは、目立たず気づきにくい)ということわざに引っ掛けてあります。
そうして、父王に「お前が宝呼ばわりしたオーレリアなど比較にならないほどの価値が、ソフィーナにはある」と伝えたという次第。セルシウスは知っていると言ったのも、そういう意味だからです。
というのも、彼、ハイド城を訪れた際の様子や目の前の大使の様子、ソフィーナの支度の内容に、ハイドランド王のソフィーナへの悪意を見て、キレ気味です。
ソフィーナの責任感を考えれば、いかに自分との結婚が嫌だったとしても、ハイドランドの体裁のためにもう少しちゃんとしたものを用意したはずと考え、国民へのお披露目の前にドレスについて選んだのは君か?と聞き、その反応から妨害もあったと確信した、と。
貴族同士の会話感を出すために、こういう迂遠な物言いを随所に散りばめています。シャダ王女との茶会での、創世神話を使ってのフィルとソフィーナのやり取りとかも同種です。
あちこちを探していけばなんとなく辿り着けるように仕込んではあります(←無駄な趣味)が、そこまで手間をかけていただくのもなんですし、大体の雰囲気で読み流していただいてもちろん大丈夫です。
なお、他に、それぞれの価値観の違いを利用した仕掛け(?)などもそこかしこに。
例えば、第1巻『プロポーズ』後の庭園での「着飾らせる必要がない」
外見がどうでもよく、人の中身にしか興味のないフェルドリック的には、褒め言葉。
外見重視のソフィーナには貶し言葉。
それを受けて、ソフィーナは、着飾らせがいがある(とフェルドリックも思っていると勝手に思った)オーレリアを勧めた。
フェルドリックは、着飾らせてそれっぽく仕立てなければ敬意を集められない、どうしようもない(とソフィーナも思っていると勝手に信じている)オーレリアを勧められて、この上ない嫌がらせだと思った。
第1巻p167の「外見なんかどうでもいい」。
フェルドリック的には文字通りの意味。
けれど、ソフィーナには「私の外見には価値がない」と言われているように響いた。
3月出版予定の第2巻にも、そういう齟齬によるすれ違いはいっぱいです。
すべて舞台やキャラにリアルさを持たせるため――と言うとちょっとかっこいいけど、100%趣味です。
「それ、恋愛小説にいる……?」と思ったあなた――仲良くしてください。多分私が一番そう思ってます。
うん、そんなだから、家にあった見本を見つけた知り合いの本好き女子小学生に「かわいい!」と喜ばれ、借りられたのち「表紙詐欺…!」と叫ばれることになるんだけどね。
「なんか難しい! 中身はかわいくない!」
「……ですよね」
作者、目の前にいます。←もちろん言えなかった。
そんなこんなですが、楽しんでいただける方に出会えるといいなあと思ってます。
フィーナ・フェルドリックのいずれかの価値観に沿って、相手方に怒っていただけるのもいらいらしていただけるのも、その齟齬のよるすれ違いに気付いてニヤッとしていただけるのも、どれも嬉しい。
訳の分からないポイントを見つけて、「これ何?」と悩んでいただくのも、質問を頂くのも、「…あいつ、またあほなこだわりをやってんな」「このご時世にストレスフルな話を…」と呆れていただくのも、すべて幸せです。
…………マゾじゃないよ?(どきどき)
そんな書籍版ですが、第2巻も含めて、よろしくしてやっていただけると幸せです!