手錠は、右の足首につけた。
大量の宿題があるし、手の自由は最優先。
もう片方の手錠は、ベッドの足にかけてある。
私ひとりでは動かせない、家具の重さ。鍵はナギサちゃんが握ってる。正真正銘の、拘束状態だ。
外されるのは、トイレとお風呂の時だけ。
「とっても、かわいいです」
「そう?」
ナギサちゃんの声は、湿っていた。表情筋は、溢れんばかりの|恍惚《こうこつ》をあらわしている。
「似合ってます。待ち受けにしても、いいですか?」
「え……?」
「ダメ、ですか?」
「い、いい、けど」
「ありがとうございます」
今の格好は、パーカーにジャージ。女の子座りで拘束中だけなのに……。
ナギサちゃんの|癖《へき》にささったのかな。
「今日からよろしくお願いしますね」
「うん。ナギサちゃんが大変だと思うけど」
「いえいえ。楽しみすぎて、どうにかなっちゃいそうです」
イバラの痣が走っている腕が、弾んだ動きで何かを取り出した。
「これ、なんだと思いますか?」
「日記帳?」
「恵巳さんの、観察日記です」
固い唾が、喉を通った。
「小学校の自由研究みたいに、恵巳さんの全てを記録したいんです。食べたもの、就寝時間、肌ツヤ……全部」
愛おしそうに日記帳を抱きしめる、ナギサちゃん。
もう、出会ったときの、膝を抱えたお嬢様の影は、どこにもない。
「……ナギサちゃん、おかしくなってない?」
「そう、ですか?」
「これぐらい、普通です……よね?」
明らかにおかしい。
でも、狂気を当たり前と思い込んでるナギサちゃんは、かわいいかも。
「私はいいと、思う」
「いい、ですか」
「うん。ナギサちゃん、とってもいい」
こうして、監禁生活がはじまった。
私が動けないだけで、大きく変わっていない。
淡々と宿題をこなす。
私は気合を入れるために、コーヒーを飲んだ。
カフェインの効能は、集中力向上だけではない。
徐々に、溜まってくる。
「……ナギサちゃん」
恥ずかしい。
でも、言わないと。
「トイレ、いきたい」
「トイレですか?」
「手錠の鍵、開けて」
「じゃあ、あたしのお願い、聞いてくれますよね?」
「お願い……?」
ナギサちゃんは、女王蜂みたいに無表情だった。
「恵巳さんの高校時代を、知りたいです」
「今なの……?」
「本当のこと、全部聞きたいので」
声を聞いて、確信した。現状は、彼女の計画通り。話さないと、絶対に解放されない。
意を決して、過去に思いを馳せていく。
「……話すよ」
「はい。お願いします」
「私、高校デビューに失敗して、ボッチだったの。話す相手が誰もいなくて、何回も死にたくなった」
淡々と響く、シャーペンの音。
私の言葉が、気品のある文字へと、変換されている。
「でも、2年生になったら、変わったの。転校生が来た」
「恵巳さんは、その人と……」
「……うん。ひとりでいる私に声を掛けてくれて、意気投合して、交換日記までしてた。はじめてだったな。女の子を好きになったの」
ナギサちゃんの顔を見れなくて、爪の先を撫でる。
「思い切って告白したら、考えさせてって言われて……」
もう乗り越えたと思っていた。
でも、言葉を選ぶだけで、息が詰まる。
「一週間ぐらい後かな。放課後の教室に、呼ばれた。結果はわかるでしょ?」
「……そう、ですね」
「ショックだった。ごめんじゃなくて、無理、だって。無理は、ひどいよね。カラっと告げられて、思わず漏らしちゃったんだ……」
筆記音が、一瞬止まった。
「あの子、私の痴態を笑ってて、次の日には全部、広まってた」
「……はい」
「それからは不登校で、出席日数不足で中退。親から急かされて、就職したんだ」
「そう、だったんですね」
これ以上は、何もない。
本当にこれだけ。
言葉で説明すると短いけど、人生が変わるぐらいの出来事だった。
「ねえ、もう我慢の限界で……」
「恵巳さん」
ナギサちゃんの様子が、不気味だ。
無表情の奥底から、徐々に、物欲しそうな顔が浮かび上がってくる。
「私にも、見せてください」
「……え?」
後ずさると、ベッドにぶつかった。
「あたし、見たいんです」
「ダメっ……それは、だめ……」
「監禁ですよ、これは」
「そ、そうだけどっ!」
「大丈夫ですよ。お手伝いしますから」
繊細な指先が、裾を通り抜けて、私の下腹部に触れた。綿毛のような刺激が、こそばゆい。触られるほど、神経が集まっていく。私の中で、膀胱の存在が、膨らみだした。
「ほんとに……やめて……」
「見せてくれたら、あたし、もっともっと、一緒に死にたくなりますから」
「一緒に、死にたく……」
囁き声が脳に入り、体の緊張を取り去る。
「そうですよ。だから、恵巳さんのかわいい姿、もっと見せてください」
今度は、手のひら。円を描くように撫でまわされるだけでも、十分な刺激だった。
体の奥底で、|膀胱《ぼうこう》が、うめく。上手に呼吸もできない。
我慢のあまり脚を動かすと、手錠の存在を思い出す。
いくら暴れても、ダメ。動けない。
逃げ場なんて、どこにもない。
ふと、目に入った。
ナギサちゃんの首元で膨らむ、つぼみ。
青い花びらが、顔を出していく。
「恵巳さん……いいですよ」
抗えなくて、音もなく、咲いた。
脚の間から、熱さが広がる。
刺激臭が、湯気みたいに立ち上った。
まるで、体が汚物を薄めようとするみたいに、涙があふれ出していく。
遠い昔から、笑い声が聞こえた。
恥ずかしく、悔しくて、死にたくて、忘れたい。
私のとってもとっても、弱いところ。
「……ふふふ。上手にできました」
春の初めにつくしを見つけたような、微笑み。
目に入った瞬間、涙の熱さが、変わった。
ああ。
この人は、笑わない。
粗相をしても、抱きしめてくれる。
「お着換え、しましょうね」
「……うん」
もう、彼女の手だけ、握っていたい。
あと2年半限定もないけど、永遠のお願い。
【後書き】
ここまで読んで頂きありがとうございます!
明日の更新時に、小説タイトルを変更します。
新タイトルは『澄みきった青薔薇を、食む』。
サブタイトルをつける予定ですが、そちらは今から考えます……。シチュエーションを説明しないと……。