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改稿前原稿保管庫 第10話 沈めた【薔薇食む】

 思考が追いつかなくて、頭がボーッとする。軽い熱中症かもしれない。


「ナギサちゃん……」
「恵巳さん、して、ください」


 彼女は懇願している。プールに沈められることを。


「……ナギサちゃん……変態」
「え? そう、ですか? 一緒に死ぬ相手なら、普通じゃないですか……?」
「いや、絶対おかしいよ」
「……おかしい」


 まるで「おかしい」を初めて聞いたみたいな反応だった。


「あたし、おかしい、です、か?」
「うん。だいぶ」
「えっと、恵巳さんは嫌、ですか? あたしを、その、プールに……」
「考えたこともなかった、よ」


 ナギサちゃんの目玉が、自身のつま先から頭までを、舐めるように|一瞥《いちべつ》していく。


「ああ。そう……なんですね」


 胸に手を当てて、祈るように目を閉じた。


「本当のあたしって、|こう《・・》だったんだ……」


 湿った黒髪が、スクール水着が、肌の角質ひとつひとつが、煌めいて見える。
 喉が乾いて、唾もでない。


「私も、変態、だから」
「恵巳さんも、なんですか?」
「いや、そうでしょ」
「恵巳さん以外、知らないので……」


 そっか。
 ナギサちゃんは、純粋なんだ。

 知識がないのに、いびつ。
 
 私に合わせて歪んでくれたのかな。そうだったら、いいな。


「恵巳さん……。早く……」


 ナギサちゃんが、沈んでいく。
 プールの奥底へ。

 追いかけるように飛び込んで、私は目を見開いた。

 お日様が美しく歪んだ、水中。
 穏やかな顔の下で、喉が無防備にさらけ出されている。
 
 私の手が、伸びていく。

 白磁器のような喉に、たこ足のごとく指が吸いついた。
 絡んで、巻き付いて、離せない。
 まるで、最初から設計されていたみたいに、しっくりきた。
 この宝物はもう、私のもの。壊れるまで、離さない。

 力を込めると、ナギサちゃんが吐いた泡が、私の頬に当たって、聞こえた気がした。

 
 もっと、強く、して。


 そう、だよね。
 変態のナギサちゃんなら、言うよね。
 心の殻が、ぐちゃぐちゃ。

 ねえ、ナギサちゃんが死んじゃったら、どうする?

 私も死ぬだけ。
 そっか。
 じゃあ、いいや。

 遠慮、いらない。

 指の一本一本に力をこめると、ナギサちゃんの体が、もがいた。

 いつも理性的な、ナギサちゃん。
 気立てがよくて、細かいことに気付くし、他人の目を意識してる。頭がよくて、教えるのも上手で、人付き合いも完璧。
 理想的な、お嬢様。
 
 でも、今は本能のままに暴れまわって、水中を乱している。
 ピクピクと跳ねて、無作為な動きを繰り返す、芸術的な肉体。

 ああ。
 手の中の感触が、冷えていく。

 もっと見たい。
 もっともがかせたい。
 もっと、もっと、ずっと、永遠に。

 ふっ、と。

 彼女から意識が抜けていくのを見て、私は浮き上がった。


「ナギサちゃん……」


 息はしてる。だけど、小鼻から血が垂れていた。ポツポツと、透明なプールを汚していく。

 赤い液を舐めると、彼女の顔は、融けていた。
 崩れているのに、美しくて、愛おしい。
 私が、この顔を、作ったんだ。この世界で、私だけの、お宝。私だけの。私の、すべて。

 青白い肩を愛でると、ぐったりした体が跳ねた。


「何やってんだ、お前たち……」


 声が聞こえて振り向くと、ツンツンくんと目が合う。
 余韻が、汚れていく。

 社会人時代を思い出しながら、私は心を切り替える。


「どうして、ここに?」
「先生に言われて、探しに来たんだよ。プールから戻ってこないって」
「え、もうそんな時間なの!?」
「なあ、お前……」


 疑惑の目を向けられた。大丈夫。まだ確信してない。


「ナギサちゃんの体調が悪いから、看病してたの」
「そ、そうなのか……?」
「先生に伝えてくれる? ナギサちゃんを保健室に連れて行くから、授業には出られないって」
「あ、ああ」

 
 ツンツンくんの背中を見送ると、聞こえた。
 幻聴か、現実か。


――人殺し。


 ううん。
 違うよ。
 私は殺したいわけじゃない。

 一緒に死にたいだけ。
 生きるために、死に近づきたいだけ。

 全部、彼女が悪い。

 ナギサちゃんも、きっと言ってくれる。
 全部あたしのせいにしていいですよって。

 彼女が目を覚ましたのは、日が暮れはじめたころだった。
 何度も、自分の首をさすって、夏祭り帰りみたいな息を吐いた。

 家に帰っても、ずっと上の空。

 私がお茶を淹れると、ポツリと呟いた。
 

「すご、かった、です……」
「……うん」

 
 次の日。
 ゆっくりと時間をかけて、11本の青薔薇が、咲いた。

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