受験後、せわしない準備期間を乗り越え、ようやく入学式が訪れた。
ナギサちゃんと一緒に初登校中。
背中を丸めていると、周囲からの視線が突き刺さった。
私がアラサーだから奇異の視線を向けられているのか、それとも、ナギサちゃんの容姿に目を奪われているのか……。
きっと、両方だ。
ようやく校門の前までたどり着いたのに、足が止まる。
「どうしたんですか?」
「私が入ったら、不法侵入にならない?」
校門。つい最近までは、くぐったら逮捕される場所だと、恐怖していた。
本当に入って、大丈夫?
制服を着ていても、冷や汗がにじむ。
「恵巳さんは、心配性ですね」
「気にしすぎ?」
「もし犯罪者になったら、一緒に逃げましょう? それなら、怖くないですよね?」
「逃げる……?」
「警察を振り切って、旅行するんです」
「……安全のさせ方、違うでしょ」
「ふふふ。確かにそうですね」
ナギサちゃんの穏やかな笑みを見ると、頬が軽くなる。
逃げて、いいんだ。
いつでも、どこへでも。
彼女と、一緒に。
校門を通り抜けると、虹をみたような、晴れやかな気分になった。
「ねえ、ナギサちゃん」
「まだ怖いですか?」
「ちがくて……」
提案する前に、喉が鳴った。
「交換日記、したいな」
「え、いいですね。やりましょう!」
「高校時代……えっと、前の高校時代に、やってたんだ」
「誰と、ですか?」
ナギサちゃんの瞳が、貞子さんが出てきそうなくらい、怖い。
「えっと……その時、好きだった女の子」
「いたんですか」
「でも、嫌な終わり方をしたから……」
「あたしに、塗りつぶしてほしいと?」
「……ひどい、よね」
自嘲する気にもなれない。
「考えておきます」
「……うん」
「それよりも、入学式のあと、自己紹介がありますよ」
「あっ!」
緊張で忘れてた……!
「不安なんですか?」
「今時の自己紹介ってどんな感じ?」
「時代で変わるものじゃないと思いますけど……」
「本当に、そう、だよね……?」
妄想してしまう。
実は私が知らないルールがあって、間違えると笑われるんじゃないかって。
そんなわけ、ないのに。
「無難が一番だと思いますよ」
「それでいいのかな?」
「最初は波風立てない方がいいです」
「……うん」
無難が一番だけど、自分を端的に紹介しないといけない。バランス感覚って、どう養えばいいの?
私とナギサちゃんは、同じクラスだった。
嬉しさに足取りを軽くしながら、教室のドアを開ける。
すでにグループができている。中学校からの仲なのか、数分で打ち解けたのか……。どちらでも、私には真似できなさそう。
学校の人間関係は、こわい。
仕事の関係とは、全く違う。
金銭のためでなく、利害の薄いつながり。
ただ単に、好きだから、話が合うから、つるむ。
移り気な気持ちだけでつながるのが、しんどい。
入学式が終わり、自己紹介の時間がやってきた。
クラスメイトたちが席順に起立し、テンプレ通りの文言を告げていく。
私は、一度目の高校時、盛りすぎて失敗した。
入社時は、自分を押し殺して、名前も覚えてもらえなかった。
私の前に、ナギサちゃんが立ち上がる。
「兎本ナギサです」
トランペットみたいに、はっきりした声。指揮者みたいな、堂々としたたたずまい。
クラスの空気が、華やかに彩られた。
「時間がないので、手短に」
ナギサちゃんの突拍子もない行動に、目を声をあげそうになった。
袖をまくり、緑の痣を、クラス全員に見せつけている。
「あたしは、青薔薇病にかかっています。2年半後には、遠くにいるでしょう。卒業できません」
口を開けない、空気。
「もし、それでも仲良くなってくれる人がいたら、嬉しいです」
たった、それだけ。ナギサちゃんは優雅に、上品に、腰を下ろした。
何をしたかったのか、わからない。
彼女は頭がいいし、私よりもずっと先を見て、行動しているのだろう。
「……きもっ」
羽虫のような声だったけど、確かに聞こえた。カラスの死体に唾を吐き捨てるような。遅れて、小さなあざ笑いが、空気に溶けた。
誰の口から出たのかは、わからない。
私の番が来て、音を立てながら、無理に背筋を伸ばす。
「鳥海恵巳、です。33歳。えっと、色々あって、この高校に通うことになりました。皆さんと比べると、年いってますけど……」
乾いた笑い声が、いくつか聞こえた。
「ナギサちゃんとは仲良くさせてもらってます。えっと、その、彼女の病気を、笑わないでください」
自己紹介で、何を言っているんだろう、私。
「私は、病気のナギサちゃんだから、一緒にいられるんです。だから、きもいって言わないで」
きっと、最悪なこと、口走ってる。
完璧なナギサちゃんだったら、私は一緒にいられない。
住む世界が違うから。
私、何考えてるんだろう。
わかんない。
でも、いいや。どうにでもなれ。よくよく考えれば、 私のことを知るのは、彼女だけでいい。ナギサちゃん以外、いらない。
「終わり、です」
後悔はあるけど、スッキリした気分だ。
「きもすぎだろ。きっつ」
まるで動物の死骸を踏んだような空気の中。うしろの席で、男の子が、吐き捨てていた。