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白い対話

 道を歩いていたらモンシロチョウがふわふわと……
 あれ? 今秋ではないのかしら? と思ったら、モンシロチョウは春から秋にかけて何回か成虫になるのだそうですね。
 ずいぶん前になりますが、内陸南に向かって高速道路を走っていた時に、モンシロチョウの大群に遭遇したことがあります。蝶の群舞というのは、本当に大地の生命力が巻き起こっているようで美しいです。

さて(脈絡もなにも無いですが)、オンラインで書いたものを公開し、コメントや講評をいただくと、「私ってこういう人間だった(こういう人間に見える)のだなあ……」と思うことがあります。

 もともとシャイで肝が小さいので、読んでいる方を不快にしたり傷つけたり、または不条理に非難されるようなこともできるだけ避けたく、地味に振る舞いたいと思っています。けれどももちろん感想などいただくととても嬉しく、人間とは矛盾だらけ…… などと、思ったことをまたここに書くという、ネタの再利用。

 いまさら、という疑問なのですが、皆さんは文中にどれだけ“自分”を反映していますでしょうか。言いかえれば、どれだけ本心・本性を書いていますか? 日記・エッセイだけでなく、フィクション小説においても、テーマ設定や構成や登場人物の性格やセリフ回しや地の文の書き方に、書き手のクセや性格や好みが現れるもので、むしろそれがその人独自の“文体”になると思うのですが、結構自分でも気づいていない自分を読者に読み取られる、ということもありそうな気がします。

 自分で書いていて、初めて気づくこともありますよね。前々回こちらに「私はスノッブである」と書いたのですが、過去のものを見直しているうちに、「私ってつくづくスノッブだよなあ、言い得て妙……」と思いました。コンテストや自主企画でテーマを与えられて書くと、自身では取り上げにくそうなテーマならばなおさら、知らなかった自分を見つけることができて面白い。性格上できることの限界を知ることは辛いですが、「突破せよ!」(何のネタ?)ということなのでしょうね〜…

 読む側とすれば、書いた人はどんな人なのだろう、と想像するのは、避けられないことですよね…… 嗜好・志向・思考に共感できると嬉しいものですし、「ちょっと違う気がする」と思ったら、何故なのか、自分のどういったところが共感を妨げるのか考えるきっかけができる。文章を媒介に書き手と読み手が対話するのであって、互いの変化を助けあうというのは面白いものだなあ、と思いました。

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