この記事を読んで、「事実は小説より奇なり」とは言わない(一部の想像力・想像の欠如はより残酷ではないか?)けれども、御伽話のようだ、と思いました。
The Economist “He Yanxin was the steward of a women-only language”
https://www.economist.com/obituary/2025/11/27/he-yanxin-was-the-steward-of-a-women-only-language? 湖南省のある地域で、古くから女性だけが継承する言語”nushu “(女書?)が存在する、という内容です。その書き文字は“脚長蚊”や“蟻文字”と呼ばれ、話し言葉としてより《歌》や刺繍に用いられた。女性が女性に教えることで、公教育を受けられなかた女性たちを助けたが、また伝統的な価値観の温存にもなった。いつ成立したのか定かでなく、時代とともに忘れ去られたが、He Yanxinさんの助力で研究が進んだ…… というようなことが書かれています。*公式翻訳をご参照下さい
私は言語学、文化人類学、女性学の専門ではありません。が、彼の地の女性たちがかつてどんな状況であったのか、端的に覚えていることがあります。シンガポールで現地の友人と喋っていた時に、大陸からの移民である彼の家族の話になりまして、
友人「(戦時)お婆ちゃんは苦労したんだ、“小脚”だから走れない」
私「“小脚”って…… 纏足のこと?」
友人「そうだよ。それで逃げ遅れた女性が少なくなかった」
私たちの祖母の世代まで、友人の祖母という身近さに、纏足があったことに衝撃を受けました。“三従“についても上記の記事で触れています。nushuをつくろうと思い立った人たち、その形成と継承を担った人たちは何を思っていたのだろうかと想像しました。他の誰にも知られず彼女たちは、彼女たちだけの言葉と文化を生み出し育てたのです。
考えてみれば、現在私たちが使っている言語とは、長い歴史のなかで、多数派の文化グループが少数派の文化グループを殲滅または吸収してでき上がってきた《勝者》の言語です。もしかして私の、一人一人の心にもっと寄り添ってくれる言語がかつてあったかもしれない。失われた言葉にも、美しい輝きがあったことを思い出しながら、謙虚に言葉を使っていきたいと思いました。
シドニーのAccor Stadiumにて