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結論から言うと袁術のせい


【花天月地】短編【江東、巻き起こる風】を更新しておきました。

私は陸康パパがどうしても名高い父親を急に失った十代の青年を冷たく門前払いするような人には思えないんですよね。
だから「孫策が陸康から取られた無礼な態度」ってなによ? ってすごく気になるのです。
孫策伝ではどうやら陸康が自分で孫策に会おうとせず、地位の低い者に対応させたことを指すのかな、という記述は見えるのですが、孫策も、どう考えても袁術よりも威風のある自分の父親でも袁術に仕えるしかなかった世のメカニズムをちゃんと知っていたはずですからね。
陸家も名門なので思い付きのように会いに行っても会えないことはあるのではないかと。

それに殺意を抱くほど恨みを抱くって相当孫策もエッジが利いた性格になるので、

やっぱりこの時陸家は袁術に対して兵糧を断ったりと反意を持っていた時期だから、袁術絡みの事情が双方にあって余計拗れてしまったのではないかと想像するのです。

当時誰から見ても孫策って「孫文台の息子」というよりは「袁術の配下」だった気がするからなぁ……。
陸康からすると「かつて父が貴方の従子を救ったことがある縁を頼りに会って下さい」と言っても、それは袁術の使者として陸家に圧を掛けて来る言い訳だろうから、どちらかというと袁術への忌々しさの意味で「(袁術の使者の)お前などには会わん」ってなったんじゃないかなと思うのですよ。

だって当時の孫策は自分じゃほぼ何も決められない立場だったんだから、会って何か話をしたって実りある話は出来ないと思うよ……。

陸康にとっては「袁術の使者には会わない」か「貴方と会うのは袁術から独立後」のニュアンスが強かったのではないかと感じるのです。

この辺りの陸家の対応見ていると、
私は【盧江】という地の複雑な地形理由が大いに関わってると思うんですよね。
袁術って四代三公のくせに人望無さ過ぎて方々に敵がいるじゃないですか。
曲阿や呉や会稽に敵がいるってこいつら全員、袁術本拠地の寿春を見る時に盧江が途上にある奴ばっかりなんですよ。

盧江って北方に寿春、長江沿いにこいつらに囲まれてるんですね。

自然と袁術があまりに江東の豪族と揉めると、陸康としては何にもしてないのに「あんたはどっちの味方なんだ」という対応をどうしても求められる、非常に難しい地理的因縁があった場所だと思うのです。

地図とか見ると袁術の寿春に兵糧とか送る気、無くなるのよく分かると思いますよ。
盧江ってやっぱり自分でもちゃんと防衛出来ねえとやっていけない場所なんです。

しかも袁術は「何かあったら私が守ってやるから」と言われて信じれる相手じゃないですからね。実際孫策に盧江を攻めさせている所を見ると、兵糧を送れと言われて断ったことが陸康との不仲になったとしても、事実袁術は陸康を襲っているので、兵糧を送るの断った陸康の対応が正しかったことを暗に示していると思うのです。
そんな相手に兵糧送って攻められた方が愚かですしね。

袁術にかまけて盧江の防衛ガラ空きにしたら、江東の連中から今度逆に盧江は袁術の手先みたいに思われて、これもまた陸家からしたら得にならず、一定の独立は保たなければならなかったはずです。

孫策は当時袁術の命令で動いていたことを考えると、もし「謁見」がこの時期のことだとしたら、陸康が孫策に会わなかった、もしくは会えなかった理由も私は分かる気がするんですよね。



孫策は「自分が軽く見られた」と感じた可能性確かにあるかもしれませんが、陸康の真意はそんな「孫家など」みたいな意味ではなくもっと深刻なものであったのではないかと私は思うのです。

自分を自由に出すことを許されない、一族の長同士の非常に難しい対応が求められた時期が生んだ不運だったのではないかと思うのですが、
まあ要するに簡単に言うと悪いの全部袁術だと思います😇

そんなわけで私の孫策と陸康のこじれはこんなイメージ。

そしてちっちゃい陸遜書きたかったのでちっちゃい陸遜のひと夏……じゃなかったひと冬の冒険こんなイメージ。

孫権と陸遜は複雑な関係だと思う人いるかもしれませんが私は孫権と陸遜は複雑なの孫権だけで陸遜は至ってシンプルで迷いない忠誠心なので、複雑な事何にもないと思うんですよ。あれだけ真摯に尽くした陸遜を四十年近く共に戦っても尚、信頼してない孫権の心の狭さが問題であって、陸遜は別に何にも問題ないわけですし。

どっちかというと孫権なんてどうでもいいんです。

陸遜と孫策の方が遥かにどういうお互い印象だったんだろうかという謎に満ち溢れています。
陸遜は史実ではタイミングとしては孫策が亡くなり、孫権が継いでから仕官してるので、額面通りに見ると孫策には会ったことは無いのかなとは思うのですが、【盧江戦】がそもそもどんな空気で行われてたか分からんですからね……二年間の籠城戦っていうことはフルパワーで孫策が攻撃し続けたってことは無いと思うんですわ。
分かると思うけど籠城戦って籠城側の兵糧などが尽きて来るように仕向けるのも戦術なので、包囲はしただけで結構指揮官は現場付きっ切りになるわけではないのです。案外報告に寿春に孫策行ってたりと、色んな場所には行ってたと思うのですよ。

だからニュアンス的には子供が盧江どうなってるんだろと遠目に見に行くくらいは出来た感じあると思うので(イメージ的には休日の建築現場みたいになる日もあったのでは……)もしかしたらどうしても陸康が無事か一目見たいって陸遜が近くまで行った時に、孫策を「見かける」くらいはした可能性はなくはないと思うんですよね。

どうなんだろうか。

陸遜が甘寧に会ったことがあるのかも知りたいですが、
陸遜が孫策を会ったことがあるのかも知りたいです……!!

とそんなこの時期のどうだったんだ~~~~~~~~~~!!✨って私が気になって気になって仕方ない部分をぎゅうぎゅうに詰めておきましたので、

同じようにこの辺りのこと気になる方いたら読むと良きです🥰

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