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その、26歳の目に映る世界

今【盧江戦】をとてもとても書きたくてうずうずしている時期なので、
【花天月地】短編【死が微笑むならば】を上げておきました。

盧江戦が落ち着いたら増えて来た【花天月地】短編もちょっとコレクションの中で独立させようと思います。

カクヨムさん何がどうってわけじゃねえんだがもうちょっと瞬時に読みたい小説に辿り着ける仕様になって欲しいと思わんこともない……

まあ劇的に困ってるわけじゃないからほっといてるけども……。




孫策は江東を平定した後、26歳の若さで戦死しています。

みなさんはこの時の孫策の気持ちを、どのように想像するでしょうか。

私は前も書いたように、十代で父親を突然失い、孫家の長となり、袁術の配下になるしか生き残る道が無く、いいように飼い殺しにされ、父の残した軍もドンドン接収されていなくなって行く中で、孫策が感じていた世界を思うと、私はそんなに孫策は父親の死後、能天気にいられたとは到底思えないのです。

周瑜と共に江東平定に動き始められた時は袁術の元から独立できた嬉しさで堪らなかったでしょう。

あの時の苦しみに比べたら!!

江東平定時の孫策の快進撃は、長い間檻に入れられてた虎が自由な平原に解き放たれたような喜びようを感じさせて、恐れが微塵もありません。

同時に、袁術時代に彼が味わった孤独、不自由、不安、袁術を憎む心、自分自身を憎む心、そういうものを踏まえると孫策は


【俺みたいな戦しか出来ない奴はきっといつか戦場で死ぬんだろうなって思ったよ。】


という私が作中で今回書いた境地にすでに十代で辿り着いていたと思うのです。

お父さんが目の前で殺されてるのも見てますからね。孫策は。
仲間が去って行って自分だけ残されて行く地獄も。

十代で自分の死の場所を「戦場だろうな」とすでに見定めていた孫策。

江東平定を仲間と共に成し遂げ26歳で戦場で死ぬ。

私は覚悟の上だったと思うので、さほど彼に悲壮感は無かったと思います。

むしろずっと袁術の許にいて、袁術にとってただ都合の悪い人間を殺すだけの生活をしていて、周瑜とも再会出来ないままたった一人で袁術と共に三十代とか四十代で死んでいくなどと考えたらその方が地獄です。



孫策は戦場で26歳で死にますが、


私は、

一つの大きな仕事を立派に成し遂げて、

事実上呉を建国し、

信頼する仲間に看取られながら亡くなった孫策は、満足していたと思っています。

私は結構、孫策の悲劇性に心惹かれながらも、彼を悲劇的に書くのを好んでおらず、
26歳で暗殺されたけどな!! まあやることはやったったわ!!!! ワハハ!!!😊 なんて明るい孫策を書くのがとても好きなのです。

それを見て苦笑してしまっている周瑜も然り。

それを見て苦笑してしまっている魯粛も然り。

それを見て苦笑してしまっている呂蒙も然り。

それを見続けて来た陸遜も、当然……。


確かに呉軍の人達って早世してる人たち多いんですが、


それでも明るく生きて行きてえな!!!✨みたいな雰囲気がいつもあるのなんなんすかね? しゅんとしないんですよね。呉って。
奴らのあの生きてる奴はしゅんとするの禁止条約みたいなのでしぶとく生きて行く感じとても好きです🥰

まあでもその呉の太陽と共に生きて行く! って感じを最終的に主君である孫権がダメにして、悪い前例となった所からガタガタと呉が崩れていく所は本当に絶望なんですがね……😇

100%呉を滅亡させたの孫権って言えるのこの辺りも理由。

陸遜が自刃した時に孫権が正気に戻り、長子継承を遵守し、何があっても遵守せよと遺言でも残して死ぬことが唯一まだ望みが少しあったのですが、こいつは陸遜が死んだ後も陸抗君にまで難癖付けて苛めており反省の色ゼロだから駄目ですな。


しかし陸遜までは本当に呉って「なんでお前らそんなに人がドンドン死んでいくというのに元気なんだ」という感じがあり、その死神にも絶望させられねえ魂のような所が私は大好きなのです


死神にも絶望させられなかったの陸遜までですわな

孫権は結局死神に絶望させられた奴だったんだと思います

孫策は確かに26歳で死んでいますが、
彼の生きた体感はもっと遥かに長いものであった気が私にはします。
江東平定なんて倍の52歳で成し遂げてもいいくらいの大業だと思うもんね。
普通の人がじっくり人生を掛けて取り組むような大業を26歳の若さで成し遂げたのですから。

孫策は「もっと生きたかった」という欲とは別に、間違いなく本望でもあったと思いますよ。

曹操と孫策がもっと会って話すような機会があったらどんなことになっていたのか興味は尽きませんが

曹操と劉備は絶対に意見が合わないけど、
【天下二分】において曹操と孫策は割と幾度も話し合いを持てば分からん部分あると思うんだよな。

その場合真っ先に潰されたの絶対蜀やで。

蜀を制圧したら、そこから呉が北上、魏は西征して、長年曹操を苦しめてた涼州を挟撃で制圧するんですよね。

そうしたら呉は大陸南に撤退して、魏も決して長江以南には手を出さない。

協定を破られても長江が強力な防衛線になるから、この【天下二分】の情勢は簡単には崩れないものになると思うのです。


諸葛亮は【天下を三分の状態で拮抗させる】という意で【天下三分の計】を出したというのなら、私は北伐など無駄にせず、蜀の国をまず豊かにして、安定させなければそもそも拮抗しねえだろと思うので、帝をお助けしたいという一心で北伐を行う劉備の大望と、天下三分はそもそも噛み合ってねえと思うのです。
だけど、蜀だけ豊かになればいいというのは王になるのが最大の目的ではない劉備にとっては罪悪感の捨てられない部分だったんでしょうね。
それが漢王室の復興。そもそも劉備の生きて来た理由だったから、それは捨てられないのですよ。
でも自分の国よりも大切に思う誰かを持ってる王を持つ国は、結局王の一存で豊かになれる可能性を捨てなければならなかったりするので、

私は【花天月地】の本編で曹操が劉備のことを「奴が手強かったのは蜀を手にするまで。蜀の王になったら蜀のことを一番に考えねばならず、自ずとやることは見えて来る。何をして来るか分からなかった流浪時代の劉備の方が余程厄介だった。蜀の王になった奴にはもう興味ない」というようなことを言わせているのはこの辺りが理由。

劉備が覚悟を決めて蜀の統治に努めれば、曹操はむしろそれを評価した気がします。
しかし劉備は帝を曹操からお助けするなどという理由で出兵して来るので、そのあたり愚かな極みなのです。

私も確かに蜀の王になってから劉備は、信念そのものに大きな矛盾を抱えて生きる存在になったと思います。
まあでもその前から「守れもしない民を自分の懐に迎え入れる」などという部分は見え隠れしていたので、劉備はよく信念の人信念の人と言われますが、私は必ずしもそうではないと思っています。

この人も普通の人同様、その場限りの気持ちで動いているし、
良かれと思ってやったことでも仇になるみたいなことをやらかしているので、
私の中の劉備は「三国時代に生きた普通の武将と何ら変わらん」なのです。
ただ、信念を掲げ、出来る限りそれを守ろうと一生懸命生きた人。

そういう人は珍しくなかったし、中には劉備よりもそういうものを貫き通して死んでいった人もたくさんいる。

なのに劉備だけがなんでそんな人生を誇張され賛美される必要があるのか全く分かりません。

三国時代みんなが未来など読めない中、不意の不運に見舞われながらも生き残ったり死んだりしながら、信念が守れる時もあり、守れないこともあり、一貫性なんか自主的に持てない、運命の波にもまれながら全員生きている。

劉備だけ立派に生きたなんていうのは他の人達の生き方を見てない人の意見だと思いますね。

三国志は本当に全ての人に色んな運命があって、
生きて行く人は更に運命が紡げるし、死んだ人はそれ以上は紡ぐことは出来ない。
汚したくない信念を持っていても、必ずどこかでそれは汚れていて、でも少し汚れたからと言って投げ出したりせず、汚れないように限りなく綺麗さを保ちながらも、とにかく生きて行くしか、乱れる戦乱の運命を変える術が無かったから生きて行っていたんだと思います。

それはみんな同じなんですよ。

色んな人の、どうしようもない運命の轍の中を「どう生きて行くか」の部分を私は一番三国志の中で大切に見て行きたい部分でありますね

私は26歳で死んだ孫策の最後見た世界、
そんな悪くなかったと思ってます。

26歳で死ぬなんて可哀想、それはかなり現代人の感性で物を見てると思いますね。

当時の、というか孫策が生きた26年は多分現代人の生きた26年とは全く違う果汁濃度だと私は思うぞ。

だから私は孫策を書く時、勿論苦しい時代はありますが。酷い景色も見てますが。
それ以上に孫策の目に映る世界が生き生きとしていることを重視して書くように心がけてるかもしれません。

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