思うんだが何故良質の海外捜査ドラマなどを自ら見ず
AIに尋ねるんだ?
時間がないから
時間の節約になるから
よくそう答えが返る。
あくまでも私個人の思いだけど。
確かに時間は大切だ
それは私もよく分かってる
時間は大切だから、
大切なものの為に時間は100%使ってる。
大切な物の為。必要な物の為。
これにしか使ってない。
それに使ったらほぼ無駄な時間など残らん。
だからこそ私は「創作の為の勉強、発見、研究」にその大切な時間を使ってる。
読むことだってそうじゃないの?
名前も知らない他人が、
自分の人生の時間を使って、
会ったことのない他人の話を読んでくれる。
だったら、作者だって自分の時間を真剣に費やして書くべきでは?
時間を上手く使いたいからAIに手っ取り早く聞く
というのは、
すごく逆に時間の消費を軽視してる発想に私は思うのだよな。
作者の時間は節約できても、
読ませる相手の時間を軽視してる。
「これくらいのもん、読ませりゃいいや」
というのが透けて見えるのだ。
いい作品を作るために自らの「目」とか「知識」とか「技術」を蓄えたり鍛えない人や、
そういう時間を「無駄な時間」「節約しよう」と思ってる人は。
時間を掛けて何かを読もうとしてる読者を、
少しでも時間を節約して作品を書こうとしてる奴が、
一体どういう理屈で満足させられるというのか。
その場合もう「読者」の方が時間との真摯な向き合い方において「作者」を上回ってしまってる。
作者の方が情熱で負けてんねん。
自分より努力や情熱を怠る人間の言葉や作品に、
誰が感動する?
作品を書くことは苦しいし、時間を費やすものなのだ
当然なのだそんなことは。
でもだからこそそういうものを経て生み出されるものに人は感動する。
苦しい状況を乗り越えて勝利するスポーツと、
そういう風に生み出された作品だけが意味合いが重なる。
時間を掛けてちゃんと海外捜査ドラマ見るとか。
スポーツの試合を見るとか。
自分の時間を掛けて知識を得る、感動を得る、
そういうのを作者もやはりしないと駄目だと思うよ。
じゃないと、そういうことをして読みに来る読み手を満足させることは出来ない
「別に他人を満足させなくていい。私は自分の書きたいものを書ければいい」
実は私も究極にはこれなのです。
でも、私はこの言葉を、いい作品を作らないでもいいという言い訳には一度も使ったことが無いです。
いいものを作っても、誰にも読まれなくても続きが書ける。次の作品が書ける。
何故貴方はそうなのかって聞かれた時に、その原動力の理由として、
或いはいい作品を作るために頑張る理由として「書きたいものを書く技術がいるから」という理由でこの言葉を私は使うけど、
頑張らない理由とか、
自分が精進しない理由だとか、
別にいい作品書けなくてもいいみたいないじけた理由でこの言葉を使うのは間違ったこの言葉の使い方なんですよね。
その場合、本当に自分一人だけで書いて誰にも作品読ませなきゃいいんですよ。
読んでもらいたい
評価されたい気持ちが少しでもあるくせに、
この言葉を頑張らない言い訳に使う人は、
使い方間違ってると思いますね。
だったらそんなかっこつけずに「話を書くために努力なんて面倒臭いからしたくない」と言うべきなのです。
そうしたらもうそんなことを言う奴の作品は私はもう見る前から「見ないでいい作品だな」と判別が出来る。
それこそお互いの時間の無駄を避けられるってものです。
読み手の時間を無駄にさせたくない、という気持ちを怠ってる作者は
絶対にプロにはなれんぞ。
読む人の為に自分の時間を惜しげもなく費やしていい作品を頑張って生み出すのがプロの作家だと思う
だって私なら腹立つもん。読み手として。作者が「この部分書くの面倒なのでAIに任せました」とか「情報収集はAIに任せました 面倒だから」とか平然と言ってたら。
そんな面倒臭い気持ちいっぱいの奴が書いた作品とか
こっちが読むの面倒臭いわ
私は「もう一切時間を惜しげもなく使いました!!! 読んで下さい!!! 書いて満足!! 疲れた!! でも楽しかった!!!😊」
ってのが溢れ出てる創作者の作品が読みたい。
やっぱりどう考えても100%何から何まで自分の手でやれ。
やれないじゃない。
やれる。
AIなんか無かった時代の作家はみんなやってた。
だからやれる。
昔の人の一日が72時間くらいあって、今の人が一日24時間くらいしかなかったんなら分かる。
そら不平等だからやれないと言いたくなる気持ちはわかる。
でも違う。
昔の人だって等しく一日24時間だった。
パソコンもない時代
手書きだった
もっと書くのにも時間かかったはず
やれないじゃない
やれ
プロになりたいならやれ
いい作品作りたいならやれ
そういうこともやらないのに
いい作品作りたいとか上手くなりたいとか
石油王になって金欲しいなあみたいなこと言ってるんじゃねえ
いい作品作りたかったら自らの思考と書く技術を磨け
AIにやらせたらいいわ
とか二度と言うな
やれるわけないじゃん!! とか今まで人類が一度もやったことがないみたいに言うな やっとる
出来とる
AI無しで100%作られた名作山ほどある
やれないのはお前だけだ
他の人を巻き込むな
やれるひとはやれる
真の小説家は書けるし 100%自分の手で書くことをもっと愛する
もしかしたらものすごく大雑把な所では、
私は作品を通じて、その人がどれくらいこの作品に時間や努力や心を費やしてるかを読み取ろうとしてるのかもしれない。
他人の心なんて読めないでしょ?
と思うかもしれないが、私は話を自分でも書くので、「この程度の話なら私はこれくらいの時間と努力で書ける」というのが実は結構「アバウトになら」分かる。予想を立てられる。
しかも私は自分が下手だった時期も鮮明に記憶してるので、上手なレベルだけじゃなく下手のレベルすらわかる。
私がこの程度で書けるなと思うのを、
その作者がもし「必死で書いた!!! 自分最高の作品だ!!!」と言っていたら、それは明らかに努力が足りない作品だということが分かります。
他人に見せても無い。
自己満足してるだけです。
だからある程度なら「この話ならこれくらいの時間と努力で書けるな」というのが読めるレベルの作品がある。
そういうものは私はやはり全く評価しません。
書いただけです。
書くだけなら誰でもできる。
私も書いてた。
下手な時代から、私は百万字書いてた。
でも内容は今書いているものと、天と地ほどに違う。
残酷なレベルでは、実は文字数とかあまり作品の優劣に関係ないのかもしれません。
百万字艦隊の総司令官ではありますが、私は冷静にそう思うことも全然あるのです
30万字の小規模軍団でも、あいつ凄まじい精鋭だな……と思わせて来るものもありますからね
私はそういう意味では、自分の予測データの中で、
自分より明らかに大幅に作品に時間や心や努力を費やしていない作品はやはりいいとはほぼ思いません。
私は創作に非常に犠牲を払っていますけど、
それでも確かに「この作品は素敵だ」「この作者は凄い!」と思う人もカクヨムという世界に限定しなければ山ほどいます。
別に自分だけがスゴイなどとは思ってない。
ちゃんと凄い人も素晴らしい人たちもたくさんいる。
そういう作品を作ってる人たちも。
私は要するに、いい作品を見たいというよりそういう「人たち」に出会いたいのだと思います。
作品を読んだ時に、作者の思想とか考え方が分かる。
そういうのがぎゅうぎゅうに詰まった作品。
自分より明らかに凄くない奴を「すごい」などとは普通思いません。
いい作品を作るために自分の見識を広げる努力を怠らない。いつも好奇心でキラキラしているなんていうのは、
いい作品作りの為の前段階のコンディションですよ。
それすらAIで省いたり、自分でやることを怠ったりするようでは、
私が心底驚嘆する話を書けるわけがありません。
100% 自分の手でやるかやらないかやぞ。ほんとに。
分かる相手にはどれくらいそういう努力を怠ってるかどうかは、文章見たら一発で分かるんだからな
誤魔化せない部分だぞ
私がすごい!! っていつも言ってる人は、どれくらいそういう努力や時間をその方が費やしてるかは謎ですよ。私などの想像を超える苦労の末に書いてるかもしれないし、分かりません。
ただ感じるんですよ。
私より下とかでは絶対ないな!! っていう覇気を感じるんです。
考えるとやっぱり何となくずっと読んでしまう作品を書いてる人からは、そういうもの感じます。
ああいうのが「この人なら更に面白い話になって行くだろう」みたいな根拠のない信頼感になってるのかもなあ。
根拠ないけど……根拠あるんですよ。きっと私の中では。
何かを感じるし、
何かを感じさせてくる人がいるんです。
そういう人たちはやはり、特別目を引く作品を書いて来る気がする。
どうでもいいけど海外捜査ドラマに出て来る
毎回出て来てるわけじゃないのにたまに出て来て
行き詰った捜査してる父親に「父さんならきっと解決できるよ」とか妙にいいタイミングで言って来る息子とか娘
可愛いからやめてください
あと号泣もするので無駄に出て来ないで下さい😊
そのうち私がいいなと思った海外捜査ドラマの言動や仕草百選!! みたいなことしてやりたいですな!