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〇〇してないなんて、人生半分損してる


 村上春樹の「1973年のピンボール」を読み始めた。村上作品は初めてであったけども、書き始めからああ、こういうタイプのやつかと思った。
 軽やかに、お洒落に、縦横無尽に、遍在しにかかるタイプの文体だった。
 選ばれた人しか書けない文体だ。洒落た文章というのは、教養もそうだが、何より度胸がないといけない。
 私はこういうタイプを池澤夏樹の「スティル・ライフ」で経験していた。

 メジャーになったのは村上春樹のほうが先なんだろうが、まあ、こういうタイプの文章は文化や表現を網羅していけばどこかで突き当たるものだろうから、どっちが先か後かに興味はない。

 と平静を装っているものの、スティル・ライフでこういうタイプに出会ったときの驚きは並大抵のものではなかった。

「こういうものがあるのか!」と今までの基盤をひっくり返す出来事だった。

 洋楽や新たな音楽ジャンルに遭遇した人もそうだろうし、美術館で名画を本物を目の当たりにした時の圧倒もそうだろう。美味しいものでも便利ツールでも新作ゲームでも推しでも投資でもいいけれども。

 自分の身体だけだとその衝撃を受け止めきれなくて、やってない人人生半分損してる〜!と思うわけだ。

 そういう体験が山ほど転がっている。いたるところ全損ばかりだ。

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 自分の無学を理解させられる機会は、探せば限りなくある。
 その体験で自分は「通=理解者」になれたのだと錯覚することもある。その認識すらも上書きされることもしばしばだ。渾身の蘊蓄を披露したら誰かが「そりゃそうでしょ」と返すときのように。

 そんなことを繰り返すと、そうなんだな、こういうのってありふれてるんだなと思う。
 ありふれたものにすら、触ってこなかった自分がいる。
 しかし、一生かけても到底足りないくらいあるのだから仕方がない。

 少し前は自分の知らないジャンルの本を、自分の知ってるジャンルの延長線の本と、日替わりで交互に読んでいた。あの時の文化交流感は良かった。脳が適度にかき混ぜられた。

 今は体力的な都合もあって難しいが、またやってみたいものだ。

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