※※ はじめに ※※
この小部屋を見つけてくださって、ありがとうございます。
こちらは、わたしがkou様の作品を読ませていただいたときの、感想などを綴っているお部屋です。
今回はこちらの作品です。
『崩れて好し、雪の夜』 kou 様
https://kakuyomu.jp/works/822139846238834941
※※ 以下、ネタバレを含みます ※※
⚫︎ とても好きな作品なのに……
こちらは2026年3月2日の作品です。
わたしが、天神弥生さんと聖治さんに初めて出会った作品でもあります。
白い雪に閉ざされた古い家。高熱を出して寝込む弥生さんと、その傍で姉を看病する聖治さん。
普段は百合の花のように凛として、弟の前ではいつでも隙なく美しい弥生さんが、風邪を引いて熱に浮かされ、いつもの自分を保てなくなっています。
そして普段はぶっきらぼうでありながら、そんな姉を放っておけず、額のタオルをこまめに冷たいものに替え、料理を作り、看病する聖治さん。
静かな雪の夜なのに、二人の間には静かだけど確かに熱がある。初めて読んだ時から、とても好きなお話でした。この作品をきっかけに、天神姉弟という二人そのものに惹かれ、過去作リンクを辿ってもっと出会っていくのです。
なのに。不思議なことに、この作品にはずっと【感想のお部屋】はおろか、コメントさえ書くことができずにいました。何も感じなかったからではありません。むしろその逆で。自分の中に咀嚼できていない言葉があったからです。
「俺の感謝とか、姉貴を助けたいって気持ちとかだ。姉貴がガチガチに固まってたら、俺が入る隙間がない」
聖治は、布団の上にある弥生の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。
(中略)
「崩れていいんだよ、姉貴。弱音を吐いてもいいし、泣いてもいい。今の豆腐みたいに、形が崩れたって、姉貴は姉貴だ。何も変わらない」
(本文より)
という聖治さんの言葉。「もっと崩れてもいい」それは、なんとなくわかるような気がします。いつも完璧でいなくてもいい。弱音を吐いてもいい。誰かの前で、少しくらい力を抜いてもいい。
でも。“俺が入る隙間がない”って、どういうことなのだろう。そこだけが、どうにも自分の中でうまくほどけませんでした。何度か読み返しても、
うーん。そう思ったまま、気がつけば季節が変わっていました。
⚫︎ 守ってきた形
姉は、責任を感じているのではない。不安なのだ。
(本文より)
弥生さんは、高熱でまともに起き上がることもできないのに、「ご飯、作らなきゃ……聖治のお弁当も……」と、布団から起きようとします。
一見すると、責任感が強すぎる人、家のことを放っておけない人。そんなふうにも見えます。でも、聖治さんは、その奥にあるものを見つける。
「私がしっかりしなきゃ」「私が家を守らなきゃ」 それは、単に「やるべきこと」ではなくて。長い間、弥生さん自身を支えてきた、“姉としての自分の形”でもあったのかもしれません。
弟を守る。家を守る。自分がしっかりする。そうやって立ってきた人にとって、
「今日はできない」ということは、単に家事を休むことではなく。
自分がずっと守ってきた形まで、ぐらりと揺らぐことだったのかな、と。
だから。弥生さんが怖かったのは、「役に立てないこと」だけではなく、“その役割を外した時、自分はどうしたらいいのかわからなくなること”だったのかもしれません。
⚫︎ 四角い豆腐
台所へ向かった聖治さんが手に取ったのは、絹ごし豆腐。白くて。滑らかで。きれいな四角。そして、その姿を弥生さんへ重ねます。
気高く、美しく、完璧な形を保とうとしているが、ほんの少しの衝撃で脆くも崩れ去ってしまう危うさを秘めている。
(本文より)
聖治さんは、そこで一度手に取った包丁を置きます。そして自分の両手で、「ぐちゃり。」と、豆腐を崩す。
初めて読んだ時、わたしはこの場面を、「完璧でいようとしなくてもいい」という意味なのだと思っていました。もちろん、今もそれは変わりません。
でも。何度も読み返すうちに、もうひとつ違うものも見えるような気がしました。
四角い豆腐って、何かを隠しているわけではないんですよね。
四角いままでも、どこから見ても、ちゃんと豆腐です。中身をごまかしているわけでもない。別の何かのふりをしているわけでもない。
ただ、ひとつの美しい形を、きちんと保っている。そして、それを少し崩す。不規則な面が増える。そこへ出汁が入り、生姜餡が絡み、味が染み込んでいく。
しかも本文には、
形がどれほど崩れようとも、その本質である味や栄養は決して失われないのだ。
(本文より)
とあります。
ここで、『茜さす台所にて』の、包丁できれいに切り揃えず、不揃いにした蒟蒻の断面が、その隙間に出汁を深く抱き込む描写も思い出しました。
あ。もしかして。「崩れる」というのは、自分の中にあるものを、もっともっと外へ出すことだけではないのかもしれない。何かを受け入れたからといって、自分そのものまで失われるわけではない。そんなことも、聖治さんは豆腐を通して言っているのかな、と思いました。
⚫︎ 世界を塗り潰す白と、染まりやすい白
何度も読むうちに、作品の冒頭の「白」という色も、少し気になりました。
白く、ただ白く、世界は塗り潰されていく。
(本文より)
という一文から始まります。雪の白。音まで吸い込み、外界との境を消し、天神家を深い静寂の中へ閉じ込めていく白です。世界を塗り潰していく白。それが物語の最後では、豆腐の白へ変わります。
崩れやすく、染まりやすいその白さは、何よりも深く温かい愛情を吸収し、それを糧として生きる強さの証。
(本文より)
同じ「白」なのに。最初は、何もかも覆い隠していく白。最後は、何かを受け入れ、吸収する白。
「染まる」という言葉も、以前のわたしなら、自分の色を失ってしまうような印象を持ったかもしれません。でも、豆腐は、生姜餡が染み込んでも豆腐のままなんですよね。相手のものを受け取ることと、自分ではなくなることは、同じではない。
この作品の最初と最後にある「白」が、そんなふうにも見えました。
⚫︎ 聖治さんも、完璧な人ではない
「少しは弟を頼れよ。……腹、減ってるだろ。何か作ってくる」
聖治は布団を掛け直すと、逃げるように部屋を出た。
(本文より)
――逃げるように。
なんですよね。あれほど落ち着いていて、弥生さんへ「俺はもう子供じゃない」と言えて、後には「崩れた姉貴を受け止めるために、俺という器があるんだよ」とまで言う聖治さんですが。
姉の涙を前にして、何もかもを言葉だけで上手に受け止められる人ではない。
ちょっと逃げる。そして台所へ行き、“自分のできること” ――料理をする。
ここが、なんだかとても好きです。弥生さんだけでなく、聖治さんだって完璧ではない。でも、自分にできる方法で相手のために動くことはできる。
そんな不器用さがあるからこそ、この二人は「強い人が弱い人を助ける」という一方的な形にはならないのだと思いました。
⚫︎ 説明される前に、「――優しい。」
聖治さんは木の匙で「ふぅふぅ」と冷まし、弥生さんの口元へ運びます。
「自分で食べるわ」という姉へ、「いいから」と有無を言わせない弟。(「あーん」だ。)
そうして弥生さんが受け取った時、最初に出てきた言葉が、
――優しい。
(本文より)
だったんですね。このあと聖治さんは、豆腐を手で崩した理由や、「崩れた方が味が染みる」ということを言葉で説明します。でも。弥生さんは、その意味を説明される前に、もう受け取っている。食べて、温かさを感じて、「優しい」と思って、涙が滲む。
これまで張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れるような感覚を覚えた。
(本文より)
頭で意味を理解したからではなく、先に、弟から差し出されたものを受け取ったことで、張り詰めていたものがほどけていった。これ、とても素敵だと思いました。
わかることと、受け取ることって、必ずしも同じ順番ではないんですね。先に心や身体が受け取って。言葉の意味は、あとからそこへ追いつくこともある。
……だからなのかもしれません。わたし自身も、この作品を読んだ時にはわからなかった言葉が、ずいぶん時間が経った今になって、ようやく少しわかったような気がしています。
⚫︎ 「ありがとう」を返す場所
ここまで読み返して。
ようやく、ずっと引っかかっていた言葉へ戻ります。
「俺の感謝とか、姉貴を助けたいって気持ちとかだ。姉貴がガチガチに固まってたら、俺が入る隙間がない」
(本文より)
弥生さんが全部できてしまったら。ずっと弥生さんだけが「守る人」でいたら。
聖治さんが弥生さんへ、「ありがとう」を返す場所がない。「今日は俺がやる」と手を出す場所がない。「姉貴を助けたい」という気持ちを置く場所がない。
だから、“隙間”というのは、欠けている場所ではなく、相手からこちらへ何かが入ってこられる場所なのかもしれない。自分の力が足りないことを証明する穴ではなく、ずっと自分から相手へ向かっていたものが、相手から自分へ流れてくる道をひとつ作ること。そんな「隙間」なのかな、と感じました。
⚫︎ 行ったり来たり、できるもの
そして、この物語の最後。
そこにはもう、庇護者と被庇護者という一方的な関係はない。
互いに支え合い、互いの弱さを補い合う、対等な家族の姿があった。
(本文より)
という一文が、とても好きです。その少し前の二人の会話にも、この「対等」がとてもよく現れていることに気づきました。
「また作ってやるよ」
「次は私が作るわ。聖治好みの、形がしっかりした木綿豆腐のお味噌汁をね」
と返します。
弥生さんは、やっぱり誰かのために何かをする弥生さんのまま。でも、最初の「ご飯、作らなきゃ……聖治のお弁当も……」とは、ずいぶん違う。
最初は、「私がしなければ」だった。最後は、「次は私が作るわ」なんですよね。
義務として一方的に背負っていたものが、二人の間を行ったり来たりできるものへ変わったように感じました。今回は聖治さん。次は弥生さん。支える側と、支えられる側が、ずっと固定されているのではなくて。その時にできる人が、その時にできることをする。それが、この物語で描かれている「対等」なのかな、と感じました。
⚫︎ 崩れて、染み込むもの
最初に感じた、「もっと崩れていい」という言葉を、「もっと弱いところを見せてもいい」という意味なのだと思っていました。もちろん、それもひとつの読みなのだと思います。でも今は、もう少し違うものも感じています。「崩れる」というのは、自分を壊すことではなく、これまで大切にしてきた自分を捨てることでもない。誰かに頼った途端、それまでの強さを失うことでもない。支える自分だけではなく、支えられる自分も、そこにいていい。
そして。相手から差し出されたものを受け取ったからといって、自分ではなくなるわけではない。豆腐は、形を崩しても豆腐です。出汁や生姜餡が染み込んでも、豆腐の本質は失われない。むしろ、染み込むことで、ひとりでは持っていなかった温かさを抱くことができる。
弥生さんも同じ。
弟に看病され、ご飯を作ってもらい、泣いて、頼っても。弥生さんは弥生さん。何も変わらない。
だから聖治さんは、
「崩れた姉貴を受け止めるために、俺という器があるんだよ。」
(本文より)
と言えるのですね。「崩れてもいいよ」だけではなく。「その時には、こちら側にもできることがあるよ」と。そんな言葉だったのだと、今は感じています。
⚫︎ 雪は、まだ降っている
そして最後。
窓の外では、まだ雪が降り続いている。
けれど、この家の中は温かい。
(本文より)
この終わり方も、とても好きです。雪は止まないんですよね。世界が急に優しくなるわけでもない。弥生さんが、これから二度と「私がしっかりしなきゃ」と思わなくなるわけでもない。聖治さんが、何でも完璧にできる人になるわけでもない。
外は、まだ寒い。それでも。家の中には、先ほどまで二人で共有していた温かさが残っている。そして聖治さんは、襖を閉めたあと、廊下の冷気を感じながら、
肌を刺す寒さは、先程まで姉と共有していた部屋の暖かさと、自分の胸の内に灯った熱を、より鮮明に意識させるのだった。
(本文より)
と感じます。寒さがあるままでも、温かさを共有できる。
これもまた、この作品の「崩れて好し」なのかな、と思いました。何もかもを解決し、何も怖くなくなり、完全な自分になることではなく。そのままの世界で、誰かと温かさを行き来させながら生きていくこと。そんなふうにも感じました。
⚫︎ 5ヶ月の間に
この作品が投稿されてから、季節が変わりました。作品って、不思議ですね。
一度自分の中へ置いておくと、別の作品や言葉と出会ううちに、ある日突然、以前には見えなかったものが見えることがある。
弥生さんが、聖治さんから豆腐の意味を説明されるより前に、まず。――優しい。と受け取ったように。もしかすると、言葉の意味というものも、受け取ったその瞬間に全部わかる必要はないのかもしれません。一度自分の中へ入り、時間が経ってから、ゆっくり味が染み込むように意味がわかってくる。
今になってようやく。
「姉貴がガチガチに固まってたら、俺が入る隙間がない」
という言葉が、ほんの少しだけ、自分の中へ染み込んできたような気がします。
「形なんて、崩れた方がいい時もあるんだよ」
うん。ようやく。ほんの少しだけ。
『崩れて好し、雪の夜』。ずっと心の中に置いておきたい、大好きなお話です。
素敵な作品を、本当にありがとうございました。
では、また『感想のお部屋』でお会いいたしましょう👋
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
kou様へ
やっと、こちらの【感想のお部屋】を綴ることができました。
「隙間」という言葉へ、ここ一か月ほどでいろいろなところから同じ場所へ光が差してきたように感じています。
ひとつは、『夏の色を集める人』でした。唱門師である柴式部さんが、一般人の小林優佳さんへ、
「あー君。人助けだと思って、ちょっと手伝ってくれないだか?」
(『夏の色を集める人』より)
と助けを求めた場面が、心に残りました。【感想のお部屋】でも書きましたが。
だって、柴式部さんは術師さんです。魄のことを知り、それを掬い、還すことができる。でもその時の彼には、とっても現代的かつおかしい理由で、「淀み」を見つけることができない。一方で、特別な術を持たない優佳さんには、それが見える。
だから、優佳さんが見つける。柴式部さんが掬う。二人でやる。
その場面から、『GW怪奇譚 腐れ縁の絆』で感じていた、「持っている力が違うから、並んだときに強くなる」というものが、男女を入れ替え、まったく違う穏やかな共同作業として、もう一度現れたように感じました。そして。今『崩れて好し、雪の夜』へ戻ってみると。
あれ。もしかして。
“隙間”って、自分に足りないところではなく、相手の得意なものが入ってこられる場所なのかしら。と、ようやく少し、見えた気がします。
それと同じ頃。自分自身も、文章を書くことについて少し悩んでいました。
『空の拾い方』の元を、実は6月初めくらいからずっと書いていたんです。
けれど書いたものを読み返すたびに、「……これ、長すぎない?」と感じていました。
例えば、冒頭部分。本屋さんへ行く。本を選ぶ。扇子を見る。一人で歩く。
もっと削って、早く本題へ入った方がいいのでは。でも、主人公がどんなふうに物を見て、何を「これだ」と感じる人なのかを、説明ではなく情景の中で見せたいなぁ。
そこで反動のように、「では、どこまで削っても何かを起こせるのか」と書いたのが、95文字の『残して、起こす』でした。全部は開かない。残す。その余白から、小さな風を起こす。そうしたら不思議なことに、その後『空の拾い方』へ戻った時、それまで冗長だと思っていた部分が、「あ。これは必要だったんだ」と鮮やかに見えたのです。
削ればいいわけではない。長ければ悪いわけでもない。削ってみたから、残す意味がわかった。そんな経験でした。
そして、『七夕夜行と、五色そうめん』と『夏の色を集める人』。
こちらも【感想のお部屋】で触れましたが、作品の間に、わたしの中でどんどん橋が架かっていきました。
“視える人”と“祓う人”。
男女反転。
「子供の遊んだ記憶」と、「子供の、遊び足りない記憶」。
わぁ、つながる。これも、あれも、おもしろい!ちゃんと書きたい。
そう思って【感想のお部屋】をいくつかに分け、あちらの橋をこちらへ、こちらの橋をあちらへ、と、せっせと交通整理していました。
……そのうち。資料を読み込むわたしの眉頭には、どんどん力が入り笑ふと、「わたし、一体何をしているんだろう」となったんです。
あれ?【感想のお部屋】って、もっと楽しく書いてなかったっけ?
「ここ好き!」「え、これ何!?」「うわぁぁ!」
作品の中を走り回るように書いていなかったっけ。
そう思ったら。一度、白紙にして。
たくさんの構想を白紙にするのは勇気がいったけれど、
わたしが書きたいのは、論文じゃなくて、「この作品が好き!」という感想だったという原点を再確認しました。
そして改めて書いた【感想のお部屋】は、仮面ライダーやゲームを懐かしみ、美味しい和菓子や絵の具、そして最後は「ね、簡単でしょう?」笑 実に自由なものになりました。作品を読んだ時の自分の足取りを、もう一度そのまま歩いているようで。
そしてkouさんから、「ジェットコースターのように読ませていただきました」
とお返事もいただきました。
あぁ。きれいな一本道じゃなくても、届くことがあるんだな。と改めて感じました。読んだ時にはわからなかった言葉が、別の作品と出会ったり、自分で何かを書いたりするうちに、ずっとあとになって、「あの言葉って、もしかしてこういうことだったのか」と動き始めることがある。『崩れて好し、雪の夜』は、わたしにとって、そんな作品になりました。
ここまで書いていて。ふと、自分が以前に書いた小さなお話を思い出しました。
2026年1月20日に書いた、『おとなりのいす』。413文字の、とても短いお話です。
その中で、わたしは、
ここでは役割も係も ありません
今はわたしが となりにいるよ
だから
別の場所でわたしが怖くなったら
その時はあなたがわたしを守ってね
どっちが騎士(ナイト)でもなくて
両方がそれぞれの得意なことで
守りあっていかない?
と書いていました。久しぶりに読み返して、
「あれ?」と思いました。わたし自身も、それぞれが得意なことで守り合うことを描いていたんだなぁと、不思議な気持ちになりました。自分で書いた言葉って、書いた時の自分が、その意味を全部わかっているとは限らないものなのですね。
『崩れて好し、雪の夜』の少し後に投稿された、『傍(そば)~姉と弟を分かつ距離~』。ちょうど、『崩れて好し、雪の夜』を読んでいるときに、投稿の通知が届いて、とても驚いたのを覚えています。
『崩れて〜』で天神姉弟に魅了されていたわたしは、『傍』のキャッチコピー 「その特等席は、いつか終わる砂の城」に、相当なショックを受けたのを覚えています笑
そして、今になって、あの時の自分の【感想のお部屋】を読み返すと。
……ものすごいですねぇ😅
きっとあの時のわたしには、この「いつか終わる」という言葉を、弥生さん自身までどこか受け入れてしまっているように見えたのだと思います。
当時の気持ちを言葉にすると、「弥生さん、何を滅びの美学に浸っているのですか。そんな砂の城、波に攫われる前に、こちらから蹴り飛ばして差し上げます!」
くらいの勢いだったように思います笑二つの『砂の城』を持っていき、最後には『全力投球! 努力のオムライス』の陽子さんまで召喚して。
「こちらはこれだけの手札を用意しておりますからね。有無は言わせませんよ」
くらいの気持ちで臨んでいたようです😂
いやぁ。当時は、本当に真剣だったんだと思います。「いつか終わる」という言葉を、弥生さんにどうしてもそのまま受け入れてもらいたくなくて、これでもかというくらい手札を並べ、「大丈夫な証拠」を並べていった、というか。でも今読むと、恥ずかしいやら、おかしいやら。
だって。
『傍』の最後では、弥生さんと聖治さんは、もう膝の上という「特等席」から離れて、ちゃんと横に並んでいるんですよね。一つのイヤホンを半分こして。同じ天井を見て。同じギターのアルペジオの素敵な音楽を聴いている。「特等席」を必死に守り続ける話ではなくて、形が変わっても、別の「傍」にいられることを、ちゃんと二人は見つけていた。
……なのに、わたしったら。砂の城だけを見つけて、助走をつけて「やーっ」と飛び蹴りしに行っております笑
今なら、あの時の自分へ、「まぁまぁ。最後まで落ち着いて読みなさいな」
と言ってあげたいです。
いや。
最後まで読んではいたんですけどね😅それでも蹴りに行ったのだから、相当だったのでしょう笑
kouさん。
あの【感想のお部屋】を読まれた時、少しびっくりされませんでしたか?😂
今思えば、「いやいや金時さん、最後にちゃんと並んでますよ」と、心の中で思われていたのではないかしら。
……若かったですねぇ。たった5ヶ月くらい前のことですが笑
そんなことを考えると、この数か月の間に、自分の中でも少し何かが変わったのかなぁ、と思います。
全部を同じ形に整えなくてもいい。一人で全部やらなくてもいい。
短ければ正しいわけでも、長ければ間違いでもない。自分では見つけられないものを、誰かが見つけてくれることもある。
そして、作品も。書いた人だけで最後まで意味を完成させるものではなく、
読んだ人の中へ入って、そこでまた別の何かとつながり、時間が経ってから、思いもしなかった形で戻ってくることがある。
『崩れて好し、雪の夜』は、わたしにとって、そんな作品になりました。
3月にはわからなかった言葉が、7月や8月になって、別の作品や自分自身の創作を通り、ようやくわかり始めました。
すぐに答えが出ないものを、自分の中へ置いておき、ある日「あ。これだったのかな」と思える。
こういう読書も、いいですね。そんな時間をいただけたことにも、改めて感謝しています。本当に素敵なお話を、ありがとうございました。
天神弥生さんと聖治さんという、なんとも不思議で、美しくて、時々こちらの心臓を容赦なく抉ってくださるお二人に出会わせてくださったことにも、改めて「ありがとうございます」をお伝えしたいです。
そして、
前回の『夏の色を集める人』への【感想のお部屋】にも、たくさんのお言葉をありがとうございました。
自転車に続き、今回もわたしが勝手に架けて歩き(走り?)回った橋を、温かく受け止めてくださったこと、とても嬉しかったです。
「名探偵」とまで言っていただいて✨ちょっとコロンボになった気分でした。
……あ。コロンボは警部ですね。
探偵……“灰色の脳細胞”のポワロ??笑
黒いさんと白いさんも、気に入っていただけて嬉しいです!「容赦ない毒舌」。
そうなんです。黒いさんは甘い誘惑をするくせに、厳しいんです汗きっと浮かれすぎないように律してくれているのでしょうが。
「自信もってください!って言ってもらったもんねー♪」と伝えたところ、
「ふ。ま、今回はね。でもね、いいこと? 寛大