「ちょっと、よろしいか」
壇上の左の端から、乾いた、年老いた声が上がった。 突然の静止に傍聴席が、ざわめいた。
*
声の主は、白い髭を胸まで伸ばした、痩せた老人だった。参事会員の黒い外衣をまとい、手元には、古い羊皮紙の束を、大切そうに抱えている。大司教座の記録庫の管理を任されている、ドン・イシドロだと、あとで知った。
「司教代理殿。双方の陳述に、二百年前の臨終婚の前例が、繰り返し引かれておる。私は、記録庫に潜って、その原本を確かめてまいった。発言を、お許し願いたい」
「許す」
「では」
老人は、羊皮紙を一枚ずつ撫でるように広げた。
「二百年前の例は、罪人が、長い勾留で体を壊し、もはや回復の見込みのない状態で、臨終婚を願い出たものでありました。罪状は明白で、判決も確定しておりましたが、教会は、このまま自然の死に任せればよかろう、と判断した。罪人は、婚姻を結んだ三日後に、息を引き取りました」
廷内が、しんと静まった。
「その後、斬首の刑は、遺体に対して、予定どおり執行され、首は、郊外の街道に、晒されました」
私の背筋に、冷たいものが走った。
「つまり、この前例が示すのは、婚姻が死刑を免れさせた、ということではなく、死にゆく者の魂に、慈悲を与えた、ということであります」