倶生神の札 三

 一、金の札


だいおーは、ぼくたちといっしょにいません。

ぼおっとしていて、おはなしをしません。

おにいちゃんがいると、さびしくないです。

だいおーがいないのは、さびしいです。


おにいちゃんは、ホシオロシをつかまえます。

おにいちゃんはウツシヨにかえる、って、だいおーがいいます。

ぼくは、かなしい、さびしいです。たくさんいっしょに、あそびたいです。


だいおーは、おにいちゃんがきめること、っていいます。

おにいちゃんがいないと、さびしいです。

だいおーは、すぐにワスレルから、さびしくない、っていいます。

ワスレルっていうのは、さびしくないこと、って、だいおーがいいます。

さびしくないのはいいことです。おにいちゃんがいないと、さびしいです。


 二、銀の札


羅睺という夜叉が星を降ろしていました。このところの星降りは、彼が原因だったようです。

羅睺は既に伊舎那天様の配下に下りています。二度と星を降ろすことはないでしょう。


(長いため息)


……そうか。

星が、少しずつ戻っている。お前が星降ろしを止めてくれたおかげだ。

次の銀の刻には星の座も戻り、星の門が開くだろう。


(わずかに息を呑む音)


………気になることがあります。羅睺が星を降ろしていた場所です。そこは翳によって天部様方に隠されていた洞穴でした。しかし私は、紋を持ちながらその場を見つけることができました。

それにもう一つ、あの羅睺という夜叉…… 僕は、以前彼に会った覚えがあるのです。はっきりとは思い出せないのですが、以前にも、彼に腕を掴まれた記憶が…… それがなぜなのか、僕は知りたい。だから、どうか……


(無音)


……申し訳ありません。言葉が乱れて……

いずれにせよ、星天は未だ見立てられておりません。放っておけば、いずれまた星の乱れる時が来るのでしょう。

ならば私は今、すべてに決着を付けたい。私はきっと、その為に常世に来たのだと…… 今はそう感じています。だから、まだここにいさせてください。


(しばしの無音)


……本当に、もう戻れなくなる。それでもいいのか。


半端に事を成して現世に帰るくらいならば、例え戻れぬ道となろうとも、今すべてを成し遂げる道を選びたい。

現世にて私を待つ者たちも、きっと私の選んだ道を誇りに思ってくれると信じています。


(しばしの無音)


(長いため息)


……そうか。ならば、お前の気が済むように振る舞うが良い。

……あいつらも、喜ぶからな。


 三、空白の声


「きこえる? ねえ、きこえる? なんていってるの?」

 ボクの隣でレイメが騒ぐ。よく聞こえなくなるから静かにしてほしいのだけれど、この無邪気な兄の口をつぐませることは難しい。それは弟のボクが一番よく知っている。

(聞こえたよ。おにいちゃんは、ここに残るって)

 ボクがにっこり微笑んで、ボクたちだけに伝わる声を使って「云う」と、レイメは金色の目玉がこぼれ落ちそうなくらい瞼をぐうっとあげて、それから顔をくしゃくしゃにして、ボクの周囲をぴょこぴょこと飛び跳ねてまわった。ボクはやっぱり、レイメが「兎」だと思う。純朴で、知るということをしない、誰からも愛される、ふわふわのあたたかい兎。触ったことはないけれど、本にそう書いてあった。

「やっぱり! おにいちゃんはぼくたちをおいていかないね!」

 レイメはそう云ってクスクスと笑みをこぼす。月が一巡りもすれば「おにいちゃん」の存在さえ忘れてしまうくせに。忘れるたびに、ボクが何もかもひとつひとつ教えていることさえ、この兄は覚えていない。愚かで無垢な兄。そう思うボクは「鴉」だ。黒々とした羽を散らして、音もなく闇に溶ける、誰にもその思惑を悟られることはない、無口でひんやりとした鴉。触ったことはないけれど、本にそう書いてあった。

「ねえ、よかったよね、オウマもそうおもうでしょ?」

 レイメはなんでもボクに同意を求める。ボクがもし「そうは思わない」などと云おうものなら、この純粋な兄はしおれた花のように一瞬ですぼんでしまうだろう。そんな姿は見たくない。無防備で何も知らない、知ることのできない兄を守れるのはボクだけだ。それは弟のボクが一番よく知っている。だからボクはレイメと同じこの顔で、レイメと同じような笑顔を作って見せて、こう云うんだ。

(ボクも嬉しいよ)

「やっぱり! よかったあ!」

 レイメはじっとしていられず、閻魔大王のいる玉座へと駆けて行ってしまった。すれ違いに、あいつが広間から出てくる。レイメがあいつの足に戯れ付く。あいつは大きな体を不恰好に曲げてレイメの頭を両手で包み込み、栗色の髪を大雑把にかき回す。レイメはくすぐったそうにきゃあきゃあと声をあげて、そのまま走って閻魔大王の膝の上へぽんと飛び込んでいく。こんな風にレイメがはしゃぐ姿を見るようになったのは、あいつが来てからだ。わずかな嫉妬心。あいつはレイメを見届けてから振り返り、ボクを見つけて微笑む。

「もう少しだけお邪魔するけれど、いいかな」

 だめだと云ったら、こいつはどんな顔をするのだろう。そう思いながらも、ボクはやっぱりレイメと同じこの顔で、レイメと同じような笑顔を作って微笑み返す。

(とっても嬉しいよ、『おにいちゃん』がいてくれて)

 そんな風に。

 あいつはレイメにしたように、ボクの頭もくしゃくしゃと撫でていった。ボクは顔じゅうに笑みを張りつけてそれをやり過ごす。いかにもくすぐったそうにしているみたいに映るように。あいつは満足したのか、廊下を抜けていなくなった。ボクはその背中を見送ってから、誰もいない部屋に隠れて、手のひらで髪の毛を乱雑に振り払った。あいつの匂いが髪の毛に残らないように。手のひらの感触を振り落とすみたいに。あいつの匂いは嫌いだ。はじめて会った時から同じニオイがしたから。白百合の匂い。閻魔大王の匂い。それから柘榴の匂い。ボクたちのニオイ。レイメはそれを気に入っている。ボクはそれを嫌っている。同じものを好きでいたいのに。


「君は兎みたいだねえ」

 あの時そう云ったのは、誰だったろうか。確かそれは「チエ売り」と自らを称した。大きな提灯を片手に提げて、腰には様々な面がいくつもぶらさがって、足首に土鈴がついていた。それなのに足音なんて全然聞こえなかった。そいつは気がついたらボクの目の前に立っていた。その時ボクはひとりで廊下を歩いていた。ボクたち双子はお互いに欠けているから、いつだって一緒にいるようにしていたのだけれど、その時はたまたま、ボクだけが少し退屈して、部屋を出た時だった。

 あの時レイメはじゅうたんの部屋で閻魔大王に本を読んでもらっていた。読んでいたのはちょうど、鴉と兎の本だった。ボクたちが好きな話。仲良しのカラスとウサギ。いつもその本を読んでもらっているはずなのに、何回も聞いているはずなのに、話はこれっぽちも覚えられなかった。この時までは。鴉と兎の話を知っているの? ボクはチエ売りにそう「尋ねた」けれど、答えはあっただろうか。

「臆病で寂しがりの灰の毛の兎だ。そんな君には、良いものをあげるよ」

 あの時そう云って手渡されたのは、赤黒くて、生暖かくて、変な匂いのする、ぬるぬるとした手のひらほどの塊だった。

「それは『チエノミ』だ。臆病な君に必要なものだよ。食べてごらん」

 食べる? ボクがじいっと手の上の「チエノミ」を見つめていると、チエ売りは指で空を摘んで、口の中に入れる仕草をした。ボクが口をきかないから、耳が聞こえないと思ったのだろうか。ボクは変な匂いが嫌だったので、片手で鼻をつまんで、もう片手のひらに乗せた「チエノミ」を口に入れ、飲み込んだ。何かを「食べた」のは初めてだった。食べたことなんてなかったから。ぬるっとした生暖かい臭気が喉を通り過ぎて、体内にすとんと落ちていく感触があった。食べるというのは、ずいぶんと気持ちの悪いことだと思った。

 「チエノミ」が身体の奥底に沈んだ時、見える景色が変わった。帳が上げられて、視界にさっと色が差し込まれたようだった。ボクはどうしてここにいるのだろうと思った。そんなこと、今まで考えたことさえなかったのに。ボクは自分が誰なのかもわからなかった。そんなこと、知ろうとも思わなかったのに。急に周囲の何もかもがボクに倒れかかってくるようで、恐ろしくて、泣きたいような気持ちになって、助けが欲しくて、ボクはチエ売りを見上げた。チエ売りは屈んでボクの両肩を掴んだ。チエ売りはぼろの手袋をしていたから、手に温度がなかった。手袋のぼろの隙間から、薄汚れた金色がにぶく光って覗いていた。チエ売りがボクの目を覗き込む。真正面から見るチエ売りの目は、閻魔大王の目とも、レイメの目とも違っていた。初めて見る目。それは光を反射しない鈍色。チエ売りはボクを見て満足そうに顔じゅうをほころばせた。ぞっとする顔だった。

「さあ、時が動き始めた。君はこれから過去を紡げる。未来を描ける」


 そうしてボクは「双子の弟」ではなくなった。同じ時を繰り返す、永遠に朽ちることのない玩具ではなくなった。同じ時を繰り返す愚かな兄の隣で、ボクだけが少しずつ成長していった。誰にも知られないままに、見つからないままに。身体は道具だから大きくなれない。だから、誰にも気づかれない。レイメにさえ。レイメはボクを自分と同じ、ひとりでは何もできないかわいそうな弟だと思っている。ボクの「話し方」が今までと違っていても、月が巡ればすべて忘れてしまう愚かな兄。本当にかわいそうなのは、何にも気づくことができない自分なのに。

 ボクは、今までわからなかったことがわかるようになった。付喪という存在。道具に魂を宿して動かせる玩具。作った者の元を離れない、否、離れることができない、永遠の今を繰り返すだけのあわれな存在。ボクは知っている。ボクたちは付喪の双子だ。閻魔大王が作った、ニセ物の生命。

 同じ時を繰り返す。鴉と兎の本はもう読み飽きた。同じ時を繰り返す。愚かな兄はいつまでもその本の内容を覚えられない。同じ時を繰り返す。そんな兄を閻魔大王は愛おしそうに膝に乗せ、何度でも同じ本を繰り返して読む。同じ時を繰り返す。自分で作ったその玩具がよほど大事なのだろう。同じ時を繰り返す。玩具が玩具でなくなったと知ったら、こいつはどんな顔をするのだろう。同じ時を繰り返す。この王宮では、誰も同じ時を生きていないのに。同じ時を繰り返す。それでも同じ時を生きているように偽っている。同じ時を繰り返す。同じ時を繰り返す。同じ時を繰り返す……「逢魔、お前もこの本が好きだろう?」

 閻魔大王がボクを呼ぶ。孤独で愚鈍なこの王が、ボクの中に起こった変化などに気づけるわけがない。けれどそれでいい。ボクが玩具ではないと気づかせるわけにはいかない。気づけばこいつは、ボクをただの道具へと還すだろうから。

 だからボクは閻魔大王の声に振り返る。そして玩具の兄と同じこの顔で、愚かな兄と同じような笑顔を作って見せて、その膝に「無邪気に」駆け寄る。

(だいおー、ご本よんで)

 そんな風に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星めぐり常世草子 巻の一 星降ろしの巻 鈴木人頭 @szk_ninz

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ