後編:この状態、本当に『実害』はないのか?
名探偵、やっぱりいい人だった。
「ふむ、ベッドの下には隠れられるスペースはない、と」
ポアロは殺人現場に乗り込んで、ベッドの下に腕を入れる。
「どうにか、腕一本を入れられる程度の隙間しかありませんね」
納得したのか、すぐに腕を引き抜いて立ち上がる。
「そして鍵は一つのみ。彼が殺された時、ドアは内側から施錠されていた。その上で、鍵は部屋の中に転がっていた」
ふむ、と口ひげを撫でながら、『もう一つの扉』を見る。
「あくまでも、『こっちのドアだけを使うルール』なら、この現場は密室だったと」
柔軟な対応、ありがた過ぎる。
でも、ポアロは黙り込んでしまう。
やはり名探偵でも、難しいものは難しいか。
「わたし、いいこと思いつきました!」
ディクシーが甲高い声を上げ、ポアロが不思議そうに顔を上げる。
「ポアロさんをお呼び出来たなら、『あの方』も呼ぶことが出来ると思うんです!」
言うなり、俺を両手で持ち上げる。
「『ウルトラマンさん』を呼びましょう! 背中に乗れば帰れます」
ディクシーちゃん、もう大人しくして!
見ているのが、辛い光景が広がっていた。
「残念です。ウルトラマンさん、来てくれませんでしたね」
本気でしょんぼりとした顔で、ディクシーが肩を落とす。
一方で、「ヘア!」とか「デュワ!」とか、一人でやたらと奇声を発している奴がいる。
紛れもなく『俺』の体だ。ディクシーが願いを口にしたら、『ウホ』しか言わなかったのから変化して、『それっぽい奇声』を発するようになった。
辛いなあ、としみじみ思う。
はっきり言って、俺は無力だ。今の俺は、言葉一つ発することも出来やしない。
どうにか、ならないものか。
指先に力を入れてみる。
どうにか自分の手首でも掴めたら、願いを叶えられないものだろうか。
だが、ピクリとも動かない。
まだまだ、と俺は指先を動かそうとした。自分の指が、自分の手首に向くようにと。
頼む、と再び念じた時だった。
『あれ?』と不意に視界が開ける。
まさか、と俺はすぐに『そいつ』の顔を盗み見た。
頼む、気づいてくれ。
名探偵に向け、俺は必死に念を送る。
とりあえず、この場で一番頼れそうなのはこの人しかいない。
だが、すぐに邪魔が入ってくる。
「そうだ。あと一回くらいは『お願い』してみようかな」
ベッドの上から『俺』を持ち上げ、汎子が小さく微笑む。
「ちょっと、お菓子取ってきて」
こんちくしょう、と忌々しくなる。
くだらない用事で俺を使いやがって。
「うわ、キモ」
俺の体が動き出し、五本の指を足代わりに、素早く床を走り始める。
最悪だ、と毒づきたくなる。
でも、すぐにハッと気づかされる。
今から俺が取る行動。
これは意外と、重要な『ヒント』になるんじゃないか?
「ふむ」とポアロが口ひげを小さく撫でる。
頼む、と俺は必死に祈り続けた。
現在、俺は『うまい棒』を一本手にしている。ちなみにテリヤキバーガー味。
薬指と小指でお菓子を挟み、残り三本の指で床を走ってきた。
今の俺の姿を見て、何か気づくことはないか?
「なるほど」とポアロは俺を見て深く頷く。
そして、しっかりと俺を持ち上げた。
「このポアロ、少々『灰色の脳細胞』が鈍くなっていたようでした」
これは、と安堵が広がっていく。
「そういうわけで、一つ試してみたいことがあります」
残る三人を見やり、ポアロが俺の体を掲げる。
「今ここで、『猿の手』に願ってみましょう」
ベッドに近づき、シーツの上に俺をかざす。
「乃手ルイジさんの命を奪ったのは『誰』か、指し示してください」
やっぱり、名探偵は頼りになるぜ!
すぐに、俺は『一人の人物』を指差した。
「犯人はあなたですね? 佐川さん」
仕掛けは、とても簡単なものだった。
「今からこの包丁で、眠っている乃手を殺して来てくれ」
一人で寝室に入った後、俺は鍵をかけなかった。
だから、侵入そのものは簡単。
「そして乃手を刺し殺したら、内側から部屋の鍵を閉め、ベッドの下に隠れておけ」
佐川はおそらく、そんな『願い事』を発した。
猿の手はものの見事に、その願いを実行した。
包丁を持ったまま移動し、ドアを開け、寝ている俺の胸を刺す。
あとは鍵をかけ、『密室』を作り出す。
ここまで気づくと、色々と辻褄が合ってくる。
殺害された後、俺の魂はなぜか『猿の手』の中に入っていた。目覚めた直後、俺は真っ暗な中にいると感じられた。
今思うと、あれは『ベッドの下』に入り込んでいたのだ。
『腕一本だけがギリギリ入れる』狭い隙間に。
(あとは、こいつを持っていけば)
その後、あの暗所から佐川の手で引っ張り出された。
佐川が持ってきたものだから、皆は物置から取り出したと思っただろう。でも、本当はベッドの下から引っ張り出した。
(何が起きたのか、『こいつ』に聞いてみるのが一番じゃないか?)
ここから先が、特に重要。
リビングに俺を連れていき、佐川は『犯人を見つける』として願い事を発した。
(教えてくれ。『乃手の胸を刃物で刺したのは誰なのか』を)
佐川はそう言って、『質問の内容』に細工をした。
おかげであの時は、『犯人』がわからずに終わった。
でも、本当は違っていた。
やたらと指先を曲げる仕草。あれは別に『?』の形を作っていたわけじゃない。
あの時、猿の手はしっかりと、『答え』を示していた。
『命を奪った犯人』ではなく、『胸を刺した犯人』を。
他ならぬ、『猿の手』自身を。
「あなたは、『猿の手』をあえて持ち出した。自分が犯行に利用したものを」
ポアロが真相を指摘する。
「これは、願いを叶えたことによって『外見の変化』が出ないかを気にしたからですね。話によると、猿の手は願いを叶えた後に指を曲げるなんていうエピソードもあるから」
これも、佐川が口にしていた。
「事件の解明という形で『猿の手』を利用し、外見に変化が出ていても『それで使ったため』だとごまかせるようにした」
それが、これまで起こっていたこと。
やっぱり、名探偵は最高だった。
佐川は素直に犯行を認め、事件も無事に解決。
「一応、願い事をしておきましょうか」
その上で、この人はとにかく察しがいい。
「こうした呪物に命を奪われた後、中に『魂』が囚われるという話もあった気がします。先程もディクシーさんの願いの後、なぜか『彼』に変化もありましたし」
ウルトラマンを呼ぼうとした際、なぜか俺の肉体が奇声を発する結果になった。
そこからポアロは、俺との関連を睨んだという。
「では、願いましょう。『乃手さんの魂』を、肉体に戻してください」
自由に動けるって素晴らしい。
翌日には嵐もやみ、無事に迎えのフェリーも到着した。
これで、一件落着だろうか。
(猿の手よ、この世から消えなさい)
あの呪物も、ポアロが最後に消滅させていた。これでもう事件が起こることもない。
でも、なんだか腑に落ちなかった。
「それではムッシュウ。ごきげんよう」
本土に着いたところで、名探偵が恭しく別れを告げる。
「はい」と俺も深々とお辞儀をした。
いい雰囲気だと思いはする。恩人だし、出会えて良かったと思いもする。
でも、やはり引っかかるものは否定できない。
ポアロさん、いつまでこの世に留まってるの?
まだ、未解決な問題もある。
「もっと早く、気づくべきだったか?」
そもそもの疑問点。
なぜ、佐川は『あんな回りくどい形』で俺を殺したか。
猿の手に願い、俺を殺させた。でも、わざわざ刺し殺させる必要があったか。
猿の手のパワーがあるなら、『あいつを死なせろ』と願えば済むのに。
「なあ、どうしてあんな方法にしたんだ?」
考えても答えが出ず、本人に直接問いただす。
「それは」と佐川は首をかしげる。
しばらくはぼんやりと、空を見上げていた。
「そうしなきゃって、思ったんだ」
ポツリと、彼は真意を語る。
「僕は『そういう世界の住人』だから」
これは、と全身に冷や汗が浮いてきた。
佐川が俺を殺そうとした意味。わざわざ密室を作った意味。
それと同時に、説明のついていない話もある。
(『ウルトラマンさん』を呼びましょう! 背中に乗れば帰れます)
ディクシーが願いを発しても、なぜか叶わなかった。
ウルトラマンも名探偵ポアロも、共にフィクションの中の存在。ポアロはうまく行ったのに、どうしてウルトラマンは呼び出せなかったか。
「もしも、俺が思った通りなら」
俺は、とんでもないことを。
奇妙な奴らの姿が見えた。
「最後に残ったものがいかに奇妙でも、それが真実さ」
パイプを持った男が、そんな言葉を口にしていた。
「ウチのカミさんがね」
くたびれたコートの男が、頭を掻きながら言っている。
「岡山に行ってきます」
薄汚いチューリップハットの男とすれ違った。
ここは、俺が知っている日本と何か違う。
黒マントに片眼鏡をした男。スケボーで高速移動している眼鏡の小学生。魔法少女みたいな恰好の女の子たち。
どいつもこいつも、明らかに『現実』の人間じゃない。
「まさか」と寒気が走る。
あの時、俺はまだ『掴んだまま』だったんじゃないか。
(出来れば、ミステリーの世界の住人になりたい)
猿の手を返そうとしつつ、俺はたしかにそう言った。
「もしもあれが、『願い事』としてカウントされていたら」
これから、どうするべきなんだろう。
「元に戻れ、元に戻れ、元に戻れ」
こっそりと、『願いの言葉』を繰り返す。
少し前まで、俺は『猿の手』になっていた。だったら、今の俺の手にもなんらかの魔力が宿っていないか。
この『
大学の教室に移動して、俺は自分の手首を握る。左手で右の手首を。
でも、何も起こる様子がない。
やっぱり駄目か、と肩を落とす。
でも、放っておいても大丈夫だろうか。
改めて、そんな風に思おうとする。
俺の願いのせいで、『名探偵がいる世界』が作られた。でも、そいつらはただ事件を解明するだけで、特に悪いことをするわけじゃない。
そうだな、と頰を緩める。別に、『実害』があるわけじゃない。
そんな風に、区切りをつけようとした時だった。
「ノテさん、今日から新しい『博士』が来るらしいですよ」
教室で待機していると、ディクシーが朗らかに報告してきた。
「なんか、ちょっとカッコいい先生です。『映画俳優そっくり』だって、周りの子たちもはしゃいでましたよ」
「へえ」と軽く相槌を打つ。
やっぱりディクシーは癒される。おかげで心が軽くなった。
「ちなみに、俳優ってどの人?」
問い返すと、ディクシーはにっこりと微笑んだ。
「たしか、『アンソニー・ホプキンス』って言ってました」
しばらくの間、表情を変えることが出来なかった。笑顔を顔に張り付けたまま、俺はじっとその場に座り続ける。
やがて、講義室の扉が開かれる。
明らかに、オーラが違う。新しく大学に現れたという『博士』。
『実害』はない、と思っていたかった。
「なんか、フンイキありますよね?」
膝がガタガタと震えてくる。今すぐここから逃げたかった。
「素敵ですよね。『ハンニバル・レクター博士』」
(了)
猿の手のてのて殺人事件 黒澤 主計 @kurocannele
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