猿の手のてのて殺人事件
黒澤 主計
前編:やめろ! 俺の知能を『猿並み』とか言うな!
まさか、俺が『被害者』になるなんて。
その瞬間まで、全く予想もしなかった。
何か、物音がした気はした。ドアが開いたような。でも、眠かったので気にしないことにした。
おかげで『後悔』する余裕すらなかった。
「うぐ」
胸に激しい痛みが走る。
意識が薄らいでいく中で、漠然と『これ』だけは理解できた。
今まさに、俺は『死』を迎えるのだと。
ここは現在、嵐の孤島と化している。
「ちょっと離れた無人島に、ウチの別荘があるんだよ」
同じ大学に通う
佐川は金持ちのボンボンで、父親は年商何十億って企業の社長らしい。
「いいよ、特に予定ないし」
「わたしも! そういうの憧れてました!」
「じゃあ、俺も一緒に」
そして俺、
結論として、誘いを受けたのは正解だった。
男女四人、海辺で過ごす夏休み。これは紛れもなく『リアルが充実してる』って奴だ。
でも、夜になって様子がおかしくなった。
「まさか嵐になるとはね」
佐川がスマートフォンから耳を離す。
「管理人さんも留守だし、嵐がやむまで帰りのフェリーも出せないってさ」
いわゆる『嵐の孤島』。ミステリーファンとしては少し胸が高鳴った。
「そう言えば、この別荘に『ちょっと変わったもの』が仕舞ってあるんだ」
変なスイッチが入ったのは、俺だけではなかった。
「ウチの家宝っていうか、若干『いわくつき』のものでね。だから別荘に保管したらしい」
佐川がそう言って、物置から『真っ白な包み』を持ってきた。
「聞いたことない? 『猿の手』って言うんだけど」
茶色い毛の生えた、ミイラ状の『腕』。
「これを手にして『願い事』を言うと、『一人につき三つまで』なら何でも叶えてくれるんだってさ」
その名前は知っている。
W・W・ジェイコブズの書いた怪奇小説が有名で、それを使って願い事を叶えようとすると、反動で何かの不幸が起こるって内容だった。
「乃手、良かったら試しになんか叶えてみないか?」
そう言って、不気味な腕を俺に手渡す。
「いや、いい」
即座に、佐川に突き返そうとした。
「俺は怪奇小説よりミステリー派だ。出来れば、ミステリーの世界の住人になりたい」
はっきりと言い、佐川に手渡す。
本当に、悪趣味なものだった。
でも、一体どうしてこうなった。
昨晩も、みんなで楽しく過ごせていたはず。
それにも関わらず、俺は命を奪われた。
何も見えない。
周りは全て真っ暗だ。身動きを取ることも出来ない。
今、『俺』はどうなっているのだろう。
これが『死んだ』っていうことなのか。もしかしたら、これから永遠にこんな暗闇の中に留まり続けるのか。
怖い、と思った時だった。
「あとは、こいつを持っていけば」
フワリと、『俺』は何かに包まれる。
続けて、そっと体を引っ張り出された。
「どうして、乃手があんなことになったのか」
これは、佐川の声か。
もしかして、ここは死後の世界じゃないのか。俺はまだ生きていて、みんなが心配して俺のことでも見ているんだろうか。
でも、何かおかしい。
「今はとりあえず、こいつが頼りだ」
体を覆っていた包みが解かれる。
頭上からのライトが眩しい。俺を取り囲むように佐川や汎子、ディクシーが立っている。
一体、どうなっている?
「何が起きたのか、『こいつ』に聞いてみるのが一番じゃないか?」
やがて、佐川の手が伸びてきた。
ひょい、と俺の体を掴み上げる。
体は相変わらず動かない。声を出す自由もない。
どういうことか、と思った直後にリビングの鏡が見えた。
佐川の全身が映っている。右手にしっかりと、『あるもの』が握られていた。
茶色い毛の生えた、干からびた代物。
間違いなく、『猿の手』だった。
おいおいおい、と叫びたい。
これは一体どういうことだ?
なんで俺は、『猿の手』になってるんだよ。
確かに誰かに胸を刺された。それで死んだと思った。
けれどなんでよりによって、こんな『呪物』の中に入っているんだ?
「昨晩、乃手は一人で自室に入った。部屋は内側から施錠されていたし、同じく窓も閉まっていた。現場は完全に密室だったんだ」
佐川の奴が、なんかミステリーっぽい話を。
「出来れば考えたくない。でも、現在この島には僕たち三人しかいないはず。だから、この中に犯人がいるのかもしれない」
俺の『体』を掴み上げたまま、佐川が状況を反芻していく。
「で、それを使うってわけ?」汎子が問う。
「試さない手はない。『猿の手』に願えば『犯人』もわかるんじゃないか?」
本気かよ。
猿の手と言えば、ろくでもない結末を引き起こすので有名だ。『大金が欲しい』と言えば身近な誰かが死ぬか何かして、保険金が入る話になる。
そんなものに殺人事件を推理させる?
「じゃあ早速。猿の手よ、僕の願いを聞き届けてくれ」
いや、ちょっと待て。
「教えてくれ。『乃手の胸を刃物で刺したのは誰なのか』を」
この場合、どうなるのだろう。
俺を殺したのは一体誰か。正直、俺がそれを聞きたいんだが。
それなのに、『答え』なんて出せるものか。
「お、動いた」
佐川が声を発し、俺の体が軽く跳び上がる。
俺の意志と関係なく、テーブルの上で直立する。
俺こと『猿の手』は、真っすぐに天井へ向けて指を伸ばした。
それを一挙に、手首の方へ向けて曲げ始めた。
い、痛い! 痛い痛い痛い!
なぜか知らないけど、猿の手の指が無理に曲がろうとしている。
「なんだ、これ」
呆然と、三人は顔を見合わせる。
「これ、もしかして」
腰を屈め、佐川が俺の姿をまじまじと見る。
「これって要するに、『わからない』って言いたいんじゃないか?」
どういうことか、と疑問がよぎった。
だがすぐに、言わんとすることが察せられた。
現在の俺の姿。指先を手首の方へと向けたポーズ。
「つまりこれは、『
なぜだろう。場の空気がすごく冷たい。
特に汎子。サラサラとした黒髪ロングの彼女。
「これ、前提に問題があったんじゃない? 『猿の手』って、要は『猿』でしょ?」
あ、と憂鬱な気持ちになる。
これは絶対、自己肯定感が下がる奴。
「人間の私たちでもわからないのに、『これ』に解明できるかなって。ほら、世間的に『猿並み』って言ったら知能が」
やっぱり、と全身が重くなる。
なぜか、俺までプライドが削られる。
「たしかに、そうかもしれないな」
佐川も共感を口にしやがる。
「『猿の手』の話って、人間の願いを変に解釈してるしな。言ってみれば、『猿レベルの知能だから、話を理解できなかった』って読み取ることも」
それは作者が不憫。
「お猿さん、やっぱりモンチッチなんですね? 可哀想」
ディクシーちゃん、泣かないで。俺も辛くなるから。
「それにしても、願いを叶えても外見に変化はないんだな。『願いを叶えるごとに指を曲げる』みたいな話も聞いた記憶はあるんだけど」
佐川がしみじみと俺を見る。
「とりあえず、今回は問題が難しかったのかも。『猿の手』がちゃんと使えるものなのか、他にも試した方がいいのかもな」
「そうね。じゃあちょっと試しましょうか」
佐川と汎子が、さっさと次に切り替えていく。
「とりあえず、お金で試してみましょう。これを増やせるかどうか」
ハンドバッグから水色の財布を取り出して、汎子が一万円札を引き出す。
おいおい、と止めたくなった。
大丈夫なのか。猿の手に金銭を頼むのは危険なんじゃ。
「保険金とかに話が行かないよう、ちょっと限定しておきましょう。『このお金』をこの場で何倍にも増やしてみて」
俺の体をひょいっと掴み、汎子が『願い』を口にする。
「あ、なんか本物そっくりなのが」
数秒とせず、テーブルの上に紙束が舞い降りた。
「でも、『透かし』が入ってない」
汎子が深々と溜め息をつく。
「やっぱり、猿だからしょうがないか」
それ以上、お猿さんを否定しないで。
「このままだと、埒が明かないわね」
汎子が険しい表情を見せる。
「とりあえず、このままだと帰れないよね? 未解決のままだと私たち全員、ずっと容疑者扱いされちゃうじゃない」
清々しいほど、俺の死が悼まれていない。
三人はリビングを出て、『事件現場』である俺の部屋の前に行く。
扉は壊されていて、体当たりか何かで破られたのがはっきりわかる。ベッドの上に俺の遺体があり、胸に深々と包丁が突き立てられていた。
「部屋の鍵は中にあって、内側からドアも施錠されていた。乃手の癖に、ちゃんと鍵をかけて寝てたってことなのかしら? 誰も訪ねる予定なんかなさそうなのに」
死者をいじめないで下さい。確かに、鍵をかけた記憶はないけど。
「でも、いいこと思いついちゃった。『猿の知能』では犯人がわからなくても、こうすれば事件は解決できるでしょう」
お、と心が少し揺れ動く。
「じゃあ、猿の手にお願い」
得意そうに笑みを浮かべ、汎子が猿の手を掲げる。
「今すぐ、死んだ乃手を生き返らせて!」
汎子の溜め息が辛い。
「やっぱり、乃手はゾンビになっちゃったか」
一瞬だけ、俺も期待したんだが。
怪奇小説の中だと、死者の蘇生は失敗している。土葬された遺体がそのまま動き出すという結末だったはず。
願いが発動した瞬間、俺の胸から刃物が抜けた。傷口も回復したようで、すぐに『俺の体』はガバっと起き上った。
でも、俺の『魂』は宿らない。
動き出した『俺の体』は、一切の知性を宿していなかった。今も「ウホ!」なんて奇声を上げ続けている。
「ノテさん、ゾンビになっちゃって可哀想です」
ディクシーだけが、今の俺を憐れんでくれる。
ゾンビっていうより、ゴリラになった気がするけどね。
「やっぱりこれ、使えないかな」
冷たい目で、汎子が『俺』を睨みつけた。
現在、問題はいくつあるんだろう。
『なぜ、俺は殺されてしまったのか』
『犯人はどうやって密室を作ったか』
『そして俺は、ちゃんと元の体に戻れるのか』
佐川も汎子も、無表情に俺を見下ろしていた。
「まだ、諦めてはいけないと思います!」
一方で、ディクシーだけが声に熱を持たせている。
「なんで密室になったのか。その答えがわかれば、犯人が割り出せるかもしれません」
どうしても、嫌な予感がする。
「じゃあ、猿の手さん。お願いします」
ディクシーが落胆している。
「まさか、扉が二つに増やされるなんて」
彼女が『密室』をどうにかして欲しいと頼んだら、今まで壁だったところにもう一つの扉が出来た。
なんか、だんだん気まずくなってきた。
「一応は、帰る方法をどうにか出来ないかな」
いかにも期待していない体で、佐川が俺を持ち上げる。
「うわ、海が割れたよ」
直後に外へ出て、異変を確認する。
これは多分すごいこと。でも、本土まで何十キロ歩けばいいのか。
「やっぱり猿なのね」
汎子の視線が痛かった。
方針が見えない。
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。汎子はずっと、窓から海を眺めていた。
「皆さん。わたし、いい案を思いつきました」
長い沈黙を破り、ディクシーが俺の体を掴み上げる。
もう、思いつきは勘弁してくれ。
「わたしたちでは犯人がわからない。そして、猿の手さんに聞いてもわからない。だったら、『わかる人』を呼び出せばいいんですよ!」
精一杯力説してみる。
「だから、お願いします。『名探偵』をこの場に呼び出してください!」
もう、驚かなくなっている自分が怖い。
「たしかにこれは、奇怪な事件ですな。ムッシュウ?」
現在、俺はまたリビングのテーブルに戻された。『四人』で俺を取り囲み、改めて事件について分析をし合っている。
「どうでしょうか。僕たちにはもうさっぱりで」
佐川の説明を聞き、彼は「ふむ」と口ひげをいじってみせる。
出された紅茶を優雅に飲み、上品なスーツのポケットからハンケチーフを取り出す。
「密室殺人なんて、どうやって解けばいいかわからなくて、困ってるんです」
ディクシーが廊下の方を指差し、必死に状況を訴える。
「答えはわかりませんか? ポアロさん!」
はっきり言って、解決は難しそうだった。
「『密室』、あまり専門ではないのですがね」
まさかの答えが返ってくる。
多分、俺以外の全員には、発言の意味すらわからないだろう。
目の前にいるこの紳士。つるりと禿げあがった頭と、口元でピンとはねた髭。上品なスーツに身を包み、『ムッシュウ』や『マドモワゼル』なんて人のことを呼ぶ男。
エルキュール・ポアロ。彼は名探偵ではあるけれど、『密室』はあまり扱っていない。
『ポアロのクリスマス』。
彼の活躍を描いた著作の中で、密室が出てくるのはその一作だけと言われている。
だからあまり、密室の知識は期待できない。
どうせなら、ギデオン・フェル博士でも呼べれば良かったのに。
「とりあえず現場を見ますが、まず被害者は?」
ポアロは悠然と俺の部屋に向かう。
「あ、そこにいる人です」
ディクシーが指差し、「ウホ!」とか口にしている『俺』を示す。
ポアロ、無言。
「それで、ここが密室状態になっていて。内側から鍵がかかっていたので、朝に佐川くんが体当たりして扉を破ったんです」
汎子も丁寧に説明してみせる。
チラリと、ポアロの視線が脇に向かう。
苦しいな、この空気。何を考えているのか嫌でも伝わってくる。
「あの、どうでしょうか。何か、わかりませんか?」
ディクシーがおずおずと、名探偵に問いかける。
ポアロ、圧倒的無言。彼は再び、『もう一つの出入り口』に目をやっていた。
そうですよね、と心の中で語りかける。
でも、とりあえず何か喋ってもらえませんか?
今はとにかく、あなただけが頼りなんです。
俺はどうして殺されたのか。
そして、何よりも重要なこと。
この事件が解明できなきゃ、俺はずっとこのままなのか?
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