猿の手のてのて殺人事件

黒澤 主計

前編:やめろ! 俺の知能を『猿並み』とか言うな!

 まさか、俺が『被害者』になるなんて。

 その瞬間まで、全く予想もしなかった。


 何か、物音がした気はした。ドアが開いたような。でも、眠かったので気にしないことにした。

 おかげで『後悔』する余裕すらなかった。


「うぐ」


 胸に激しい痛みが走る。

 意識が薄らいでいく中で、漠然と『これ』だけは理解できた。

 今まさに、俺は『死』を迎えるのだと。





 ここは現在、嵐の孤島と化している。


「ちょっと離れた無人島に、ウチの別荘があるんだよ」


 同じ大学に通う佐川さがわ流助りゅうすけから、そう言われたのが始まりだった。

 佐川は金持ちのボンボンで、父親は年商何十億って企業の社長らしい。


「いいよ、特に予定ないし」


 門木かどき汎子はんこが最初に承諾。黒髪ストレートヘアで、ちょっと冷たい印象の持ち主。


「わたしも! そういうの憧れてました!」


 今川いまがわディクシーが元気良く手を上げる。日本とカナダのハーフで、金髪を三つ編みにしている。


「じゃあ、俺も一緒に」


 そして俺、乃手のてルイジ。他の三人と同じ大学一年。フランス語の授業で一緒になり、以来はこの四人でつるむのが自然になっていた。


 結論として、誘いを受けたのは正解だった。

 男女四人、海辺で過ごす夏休み。これは紛れもなく『リアルが充実してる』って奴だ。


 でも、夜になって様子がおかしくなった。


「まさか嵐になるとはね」

 佐川がスマートフォンから耳を離す。


「管理人さんも留守だし、嵐がやむまで帰りのフェリーも出せないってさ」


 いわゆる『嵐の孤島』。ミステリーファンとしては少し胸が高鳴った。


「そう言えば、この別荘に『ちょっと変わったもの』が仕舞ってあるんだ」


 変なスイッチが入ったのは、俺だけではなかった。


「ウチの家宝っていうか、若干『いわくつき』のものでね。だから別荘に保管したらしい」


 佐川がそう言って、物置から『真っ白な包み』を持ってきた。


「聞いたことない? 『猿の手』って言うんだけど」


 茶色い毛の生えた、ミイラ状の『腕』。


「これを手にして『願い事』を言うと、『一人につき三つまで』なら何でも叶えてくれるんだってさ」


 その名前は知っている。

 W・W・ジェイコブズの書いた怪奇小説が有名で、それを使って願い事を叶えようとすると、反動で何かの不幸が起こるって内容だった。


「乃手、良かったら試しになんか叶えてみないか?」

 そう言って、不気味な腕を俺に手渡す。


「いや、いい」


 即座に、佐川に突き返そうとした。


「俺は怪奇小説よりミステリー派だ。出来れば、ミステリーの世界の住人になりたい」


 はっきりと言い、佐川に手渡す。

 本当に、悪趣味なものだった。





 でも、一体どうしてこうなった。


 昨晩も、みんなで楽しく過ごせていたはず。

 それにも関わらず、俺は命を奪われた。


 何も見えない。

 周りは全て真っ暗だ。身動きを取ることも出来ない。


 今、『俺』はどうなっているのだろう。

 これが『死んだ』っていうことなのか。もしかしたら、これから永遠にこんな暗闇の中に留まり続けるのか。


 怖い、と思った時だった。


「あとは、こいつを持っていけば」


 フワリと、『俺』は何かに包まれる。

 続けて、そっと体を引っ張り出された。


「どうして、乃手があんなことになったのか」


 これは、佐川の声か。

 もしかして、ここは死後の世界じゃないのか。俺はまだ生きていて、みんなが心配して俺のことでも見ているんだろうか。


 でも、何かおかしい。


「今はとりあえず、こいつが頼りだ」


 体を覆っていた包みが解かれる。

 頭上からのライトが眩しい。俺を取り囲むように佐川や汎子、ディクシーが立っている。


 一体、どうなっている?


「何が起きたのか、『こいつ』に聞いてみるのが一番じゃないか?」


 やがて、佐川の手が伸びてきた。

 ひょい、と俺の体を掴み上げる。


 体は相変わらず動かない。声を出す自由もない。


 どういうことか、と思った直後にリビングの鏡が見えた。

 佐川の全身が映っている。右手にしっかりと、『あるもの』が握られていた。


 茶色い毛の生えた、干からびた代物。


 間違いなく、『猿の手』だった。





 おいおいおい、と叫びたい。


 これは一体どういうことだ?

 なんで俺は、『猿の手』になってるんだよ。


 確かに誰かに胸を刺された。それで死んだと思った。

 けれどなんでよりによって、こんな『呪物』の中に入っているんだ?


「昨晩、乃手は一人で自室に入った。部屋は内側から施錠されていたし、同じく窓も閉まっていた。現場は完全に密室だったんだ」


 佐川の奴が、なんかミステリーっぽい話を。


「出来れば考えたくない。でも、現在この島には僕たち三人しかいないはず。だから、この中に犯人がいるのかもしれない」


 俺の『体』を掴み上げたまま、佐川が状況を反芻していく。


「で、それを使うってわけ?」汎子が問う。


「試さない手はない。『猿の手』に願えば『犯人』もわかるんじゃないか?」


 本気かよ。

 猿の手と言えば、ろくでもない結末を引き起こすので有名だ。『大金が欲しい』と言えば身近な誰かが死ぬか何かして、保険金が入る話になる。


 そんなものに殺人事件を推理させる?


「じゃあ早速。猿の手よ、僕の願いを聞き届けてくれ」


 いや、ちょっと待て。


「教えてくれ。『乃手の胸を刃物で刺したのは誰なのか』を」





 この場合、どうなるのだろう。

 俺を殺したのは一体誰か。正直、俺がそれを聞きたいんだが。


 それなのに、『答え』なんて出せるものか。


「お、動いた」


 佐川が声を発し、俺の体が軽く跳び上がる。


 俺の意志と関係なく、テーブルの上で直立する。

 俺こと『猿の手』は、真っすぐに天井へ向けて指を伸ばした。


 それを一挙に、手首の方へ向けて曲げ始めた。


 い、痛い! 痛い痛い痛い!


 なぜか知らないけど、猿の手の指が無理に曲がろうとしている。


「なんだ、これ」


 呆然と、三人は顔を見合わせる。


「これ、もしかして」

 腰を屈め、佐川が俺の姿をまじまじと見る。


「これって要するに、『わからない』って言いたいんじゃないか?」


 どういうことか、と疑問がよぎった。


 だがすぐに、言わんとすることが察せられた。


 現在の俺の姿。指先を手首の方へと向けたポーズ。


「つまりこれは、『ハテナ』の形を作っているのかも」





 なぜだろう。場の空気がすごく冷たい。

 特に汎子。サラサラとした黒髪ロングの彼女。


「これ、前提に問題があったんじゃない? 『猿の手』って、要は『猿』でしょ?」


 あ、と憂鬱な気持ちになる。

 これは絶対、自己肯定感が下がる奴。


「人間の私たちでもわからないのに、『これ』に解明できるかなって。ほら、世間的に『猿並み』って言ったら知能が」


 やっぱり、と全身が重くなる。

 なぜか、俺までプライドが削られる。


「たしかに、そうかもしれないな」

 佐川も共感を口にしやがる。


「『猿の手』の話って、人間の願いを変に解釈してるしな。言ってみれば、『猿レベルの知能だから、話を理解できなかった』って読み取ることも」


 それは作者が不憫。


「お猿さん、やっぱりモンチッチなんですね? 可哀想」


 ディクシーちゃん、泣かないで。俺も辛くなるから。


「それにしても、願いを叶えても外見に変化はないんだな。『願いを叶えるごとに指を曲げる』みたいな話も聞いた記憶はあるんだけど」


 佐川がしみじみと俺を見る。


「とりあえず、今回は問題が難しかったのかも。『猿の手』がちゃんと使えるものなのか、他にも試した方がいいのかもな」


「そうね。じゃあちょっと試しましょうか」


 佐川と汎子が、さっさと次に切り替えていく。


「とりあえず、お金で試してみましょう。これを増やせるかどうか」


 ハンドバッグから水色の財布を取り出して、汎子が一万円札を引き出す。


 おいおい、と止めたくなった。

 大丈夫なのか。猿の手に金銭を頼むのは危険なんじゃ。


「保険金とかに話が行かないよう、ちょっと限定しておきましょう。『このお金』をこの場で何倍にも増やしてみて」


 俺の体をひょいっと掴み、汎子が『願い』を口にする。


「あ、なんか本物そっくりなのが」


 数秒とせず、テーブルの上に紙束が舞い降りた。


「でも、『透かし』が入ってない」

 汎子が深々と溜め息をつく。


「やっぱり、猿だからしょうがないか」


 それ以上、お猿さんを否定しないで。





「このままだと、埒が明かないわね」

 汎子が険しい表情を見せる。


「とりあえず、このままだと帰れないよね? 未解決のままだと私たち全員、ずっと容疑者扱いされちゃうじゃない」


 清々しいほど、俺の死が悼まれていない。


 三人はリビングを出て、『事件現場』である俺の部屋の前に行く。

 扉は壊されていて、体当たりか何かで破られたのがはっきりわかる。ベッドの上に俺の遺体があり、胸に深々と包丁が突き立てられていた。


「部屋の鍵は中にあって、内側からドアも施錠されていた。乃手の癖に、ちゃんと鍵をかけて寝てたってことなのかしら? 誰も訪ねる予定なんかなさそうなのに」


 死者をいじめないで下さい。確かに、鍵をかけた記憶はないけど。


「でも、いいこと思いついちゃった。『猿の知能』では犯人がわからなくても、こうすれば事件は解決できるでしょう」


 お、と心が少し揺れ動く。


「じゃあ、猿の手にお願い」

 得意そうに笑みを浮かべ、汎子が猿の手を掲げる。


「今すぐ、死んだ乃手を生き返らせて!」





 汎子の溜め息が辛い。


「やっぱり、乃手はゾンビになっちゃったか」


 一瞬だけ、俺も期待したんだが。

 怪奇小説の中だと、死者の蘇生は失敗している。土葬された遺体がそのまま動き出すという結末だったはず。


 願いが発動した瞬間、俺の胸から刃物が抜けた。傷口も回復したようで、すぐに『俺の体』はガバっと起き上った。


 でも、俺の『魂』は宿らない。


 動き出した『俺の体』は、一切の知性を宿していなかった。今も「ウホ!」なんて奇声を上げ続けている。


「ノテさん、ゾンビになっちゃって可哀想です」

 ディクシーだけが、今の俺を憐れんでくれる。


 ゾンビっていうより、ゴリラになった気がするけどね。


「やっぱりこれ、使えないかな」


 冷たい目で、汎子が『俺』を睨みつけた。





 現在、問題はいくつあるんだろう。


『なぜ、俺は殺されてしまったのか』

『犯人はどうやって密室を作ったか』

『そして俺は、ちゃんと元の体に戻れるのか』


 佐川も汎子も、無表情に俺を見下ろしていた。


「まだ、諦めてはいけないと思います!」

 一方で、ディクシーだけが声に熱を持たせている。


「なんで密室になったのか。その答えがわかれば、犯人が割り出せるかもしれません」


 どうしても、嫌な予感がする。


「じゃあ、猿の手さん。お願いします」





 ディクシーが落胆している。


「まさか、扉が二つに増やされるなんて」


 彼女が『密室』をどうにかして欲しいと頼んだら、今まで壁だったところにもう一つの扉が出来た。


 なんか、だんだん気まずくなってきた。





「一応は、帰る方法をどうにか出来ないかな」

 いかにも期待していない体で、佐川が俺を持ち上げる。


「うわ、海が割れたよ」


 直後に外へ出て、異変を確認する。

 これは多分すごいこと。でも、本土まで何十キロ歩けばいいのか。


「やっぱり猿なのね」


 汎子の視線が痛かった。





 方針が見えない。

 しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。汎子はずっと、窓から海を眺めていた。


「皆さん。わたし、いい案を思いつきました」

 長い沈黙を破り、ディクシーが俺の体を掴み上げる。


 もう、思いつきは勘弁してくれ。


「わたしたちでは犯人がわからない。そして、猿の手さんに聞いてもわからない。だったら、『わかる人』を呼び出せばいいんですよ!」

 精一杯力説してみる。


「だから、お願いします。『名探偵』をこの場に呼び出してください!」





 もう、驚かなくなっている自分が怖い。


「たしかにこれは、奇怪な事件ですな。ムッシュウ?」


 現在、俺はまたリビングのテーブルに戻された。『四人』で俺を取り囲み、改めて事件について分析をし合っている。


「どうでしょうか。僕たちにはもうさっぱりで」


 佐川の説明を聞き、彼は「ふむ」と口ひげをいじってみせる。

 出された紅茶を優雅に飲み、上品なスーツのポケットからハンケチーフを取り出す。


「密室殺人なんて、どうやって解けばいいかわからなくて、困ってるんです」

 ディクシーが廊下の方を指差し、必死に状況を訴える。


「答えはわかりませんか? ポアロさん!」





 はっきり言って、解決は難しそうだった。


「『密室』、あまり専門ではないのですがね」


 まさかの答えが返ってくる。

 多分、俺以外の全員には、発言の意味すらわからないだろう。


 目の前にいるこの紳士。つるりと禿げあがった頭と、口元でピンとはねた髭。上品なスーツに身を包み、『ムッシュウ』や『マドモワゼル』なんて人のことを呼ぶ男。


 エルキュール・ポアロ。彼は名探偵ではあるけれど、『密室』はあまり扱っていない。


『ポアロのクリスマス』。

 彼の活躍を描いた著作の中で、密室が出てくるのはその一作だけと言われている。


 だからあまり、密室の知識は期待できない。

 どうせなら、ギデオン・フェル博士でも呼べれば良かったのに。





「とりあえず現場を見ますが、まず被害者は?」

 ポアロは悠然と俺の部屋に向かう。


「あ、そこにいる人です」


 ディクシーが指差し、「ウホ!」とか口にしている『俺』を示す。


 ポアロ、無言。


「それで、ここが密室状態になっていて。内側から鍵がかかっていたので、朝に佐川くんが体当たりして扉を破ったんです」

 汎子も丁寧に説明してみせる。


 チラリと、ポアロの視線が脇に向かう。


 苦しいな、この空気。何を考えているのか嫌でも伝わってくる。


「あの、どうでしょうか。何か、わかりませんか?」

 ディクシーがおずおずと、名探偵に問いかける。


 ポアロ、圧倒的無言。彼は再び、『もう一つの出入り口』に目をやっていた。


 そうですよね、と心の中で語りかける。


 でも、とりあえず何か喋ってもらえませんか?

 今はとにかく、あなただけが頼りなんです。


 俺はどうして殺されたのか。

 そして、何よりも重要なこと。


 この事件が解明できなきゃ、俺はずっとこのままなのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る