第2話 僻地の落人村
マアちゃんは文化人類学を専攻する大学生として、日本の僻地に今なお残る特殊な風俗と民俗学を研究していた。彼女のフィールドワークは、あの東大病院での「人面瘡」の事件から間もなく、夏休みに入ると同時に本格化した。
曾祖母から受け継いだイタコの血脈。それゆえに、マアちゃんには普通の人には見えない「異世界の住人」が見えてしまう体質があった。しかし、大学での彼女はあくまで一人の学生であり、卒論のテーマも「現代日本の閉鎖集落における婚姻習俗とタブー」という学術的なものに据えていた。
きっかけは、あの曽根崎医師からの紹介だった。「私の故郷の近くに、ずっと山奥へ引っ込んだ、あなたの研究テーマにぴったりの村があるわ。落人部落の末裔で、外部の目が入りにくい場所なんだけど……」という連絡を受け、マアちゃんは島根県の奥深い山村を訪れることになった。
東京から新幹線で岡山へ、そこからローカル線を乗り継いで松江へ。さらにバスに揺られて、すれ違いも困難な険しい山道を二時間。ようやく辿り着いたその村の名は「藤の里」といった。平安時代、源平合戦や承久の乱で敗れた貴族や武士たちが、追っ手を逃れてこの深山幽谷に隠れ住んだのが始まりだという。
村の中心は藤原氏の家臣団の末裔で構成され、名字は「藤原」「佐藤」「斎藤」の三姓に集中していた。外部の敵から身を守るために村を完全に閉鎖し、婚姻もまた村内で完結させる。
そんな極限の環境下で、財産と血統を外部へ流さないための「近親婚」が奨励され、叔父姪婚や叔母甥婚が暗黙の了解として定着したのだ。時代が下り、江戸時代の農村閉鎖性や明治の戸籍制度が導入されても、その歪な風習は「家を守るための必要悪」として、現代まで強固に固定化されていた。
村の人口は三百人余り。バスを降りたマアちゃんを待ち受けていたのは、肌にまとわりつくような重く湿った空気だった。ゴスロリのドレスは仕舞い込み、シンプルなジーンズとTシャツ、バックパックという軽装だったが、村の入り口に立った瞬間、マアちゃんの視界がわずかに歪んだ。
(……何、この空気。まるで、時間が腐っているみたい)
都会の騒音は消え去り、あるのは森のざわめきと、こちらの様子を伺うような「視線」だけ。民宿の主人である五十代の男・佐藤が、無愛想に彼女を迎えた。
「真中さんか。曽根崎先生の知り合いだそうで。村の風習を研究したいって聞いたけど、外部の人間は珍しい。まあ、泊まっていきなさい」
村を囲む森はあまりに深く、スマートフォンのアンテナは一本も立たなかった。文明から完全に切り離された閉塞感。古い木造の民宿に案内され、畳の部屋に布団を敷く。夕食に出された山菜の天ぷらと川魚の塩焼きを前に、マアちゃんは意を決して主人に切り出した。
「この村は落人部落の末裔だと伺いました。今でも、外部との交流は少ないのでしょうか?」
主人は箸を置き、安物の煙草に火をつけた。「そうだよ。平安の昔から、他所者とはあまり関わらん。村の家同士で結婚するのが当たり前さ。血が濃くなるのを避けるために、時々隣村から嫁を貰うこともあるが、基本は村内だ。佐藤家と斎藤家が交互に婚姻を繰り返してな、そうやってずっと繋いできたんだ」
マアちゃんは背筋に冷たいものが走るのを感じた。曾祖母から聞いた「血の淀み」の話が脳裏をよぎる。閉鎖性が生む、倫理の崩壊。
「村の婚姻において、タブーのようなものはありますか?例えば……親族同士の結婚とか」
主人は煙を吐き出し、隠す様子もなく答えた。「タブー?そんなもんはないよ。むしろ、家と土地を守るために必要なことさ。俺の祖父だって叔母と結婚した。子供も元気だ。都会の常識なんざ、この山の奥までは届かんよ」
その夜、マアちゃんは布団の中でノートを広げたが、筆は進まなかった。窓の外で森の風が唸るたび、家鳴りが響く。曾祖母の血が、闇の中に蠢く無数の「影」を感じ取っていた。村全体が、幾世代にもわたる死者たちの霊気に塗り固められているようだった。
翌朝、マアちゃんは調査のために村を回った。村の中央には、藤原氏の祖霊を祀る古い神社が鎮座していた。神主を務める斎藤姓の老人は、濁った瞳で村の歴史を語った。
「家系を絶やさぬためには、身内で固めるのが一番さ。叔父と姪の婚姻も、ここでは伝統なんだよ」老人の背後には、ぼんやりとした影が幾重にも重なっていた。それは村を守る守護霊などではなく、血の呪縛から逃れられなかった者たちの未練のように視えた。
マアちゃんはノートにメモを取りながら、老人の背後にぼんやりとした影を感じた。死者の霊か、村の守護霊か。老人は続けた。
老人は、「最近は若い子が都会に出てしまう。家が絶える家が増えてる。例えば、佐藤家の長男・浩太と、斎藤家の娘・あかり。あかりは浩太の年の離れた兄の娘、つまり浩太の姪にあたる。村の風習で、幼い頃から二人は婚約が決まっていたんだ。浩太の家は古い地主で、土地を継ぐため、あかりを嫁に迎える予定だった。あかりも最初は受け入れていたが、都会のテレビや本を見て、嫌気がさしたらしい。去年、東京の親戚の家に逃げてしまったよ。浩太は今も待ってるが、村の若い女は少ない。あかりが戻らなければ、浩太の家は絶えるかもしれない」と叔父と姪の婚約が決まっていたなどと平気で話した。
「叔父と姪……が婚約していた、ということですか……」
「そうだよ。何か変かな?それでじゃ、浩太は待っておった。あかりが戻らねば、佐藤の家は絶えてしまうからな。近親相姦?そんな都会の言葉で俺たちを裁こうとするな。ここは、血を守らねば生きていけぬ場所なんだ。だが、先週、東京の親戚の家からあかりを連れ戻したんだ。これで、浩太とあかりは一緒になれる」
マアちゃんはぞっとした。『先週、東京の親戚の家からあかりを連れ戻した』ですって?……叔父と姪の結婚。まさに近親相姦。民俗学の論文で読んだが、現実にあるとは。マアちゃんは丁寧に質問した。
「叔父と姪……村で、近親相姦はタブーじゃないんですか?」
老人は笑った。「タブー?そんなもんないよ。家を守るためさ。遺伝子の問題があるとか、村の医者は言うけど、みんな元気だよ。都会の常識はここじゃ通用しない」
昼、マアちゃんは村の女性たちと話した。斎藤姓の主婦が、畑で山菜を摘みながら語った。「村の男はみんな親戚みたいなものよ。叔母と甥の夫婦もいるわ。血が濃いから、子供が強いって言う人もいるけど……私も、叔父と結婚したよ。村の外に出たかったけど、家を継がなきゃいけなくて」
女性の目はどこか虚ろで、マアちゃんは彼女の肩に小さな影を感じた。村の霊気が、女性の体に染みついているようだ。マアちゃんはノートに書いた。
「落人部落の閉鎖性が、婚姻のタブーを溶かす。財産と血統の存続が優先され、近親相姦が風習化する」
夕方、民宿に戻ると主人が酒の匂いを漂わせながら笑った。「真中さん、今夜は神社の祭りだ。これを見れば、この村の真髄がわかる。見て行きなさい。この祭りは、藤原の祖霊を慰めるもの。村の血を繋ぐため、婚姻の約束をする夜さ」
マアちゃんは何が起こるかを想像してぞくりとした。
夜の神社は、昼間とは一変して狂気じみた熱気に包まれていた。提灯の赤い光が闇を切り裂き、村人たちが神主の唱える祝詞を聞きながら、浴びるように酒を酌み交わしている。森の奥から、何百人もの死者の囁きが聞こえてくるような錯覚に陥る。(この空気、異常だわ……。お祭りというより、何かの契約みたい)
そして、祭壇の前に二人の男女が進み出た。二十代半ばの男と、十八歳ほどの少女。
「佐藤浩太、斎藤あかり。二人は村の風習に従い、叔父と姪の縁を結び、家系を継ぐことを誓う」
神主の声が響く。あかりと呼ばれた少女は、人形のように無表情で男の手を握っていた。この村の暗黒の歯車は止まることなく回り続けていた。
恐怖を感じたマアちゃんは、翌朝一番のバスで去ることを決めた。しかし、バス停で荷物をまとめていると、主人が、そして村の男たちがじわじわと距離を詰めてきた。
「真中さん、せっかく都会の若い娘が来てくれたんだ。もっとゆっくりしていけよ」
「村の娘はすぐ逃げちまう。他所の血が入るのも、たまには良いもんだ」
男たちの目が、一様に獣のような光を帯びている。マアちゃんは拒絶できず、強張った笑顔で民宿に戻るしかなかった。村の霊気が、逃げ道を塞ぐように重くのしかかる。
その夜、事件は起きた。民宿の部屋でノートをまとめていたマアちゃんは、背後の障子がそっと開く音に心臓を凍りつかせた。入ってきたのは、昼間の祭りで見た浩太に似た、二十代の男だった。
「真中さん……あんた、いい匂いがするな」部屋の中に男の不快な酒の臭いが充満する。脂ぎった男の欲望。
「何ですか、勝手に入ってきて。出ていってください!」マアちゃんが叫ぶが、男は卑屈な笑みを浮かべたまま、蛇のような手つきで布団へと近づいてくる。
「村の風習さ。他所から来た女は、村の男たちが『検分』することになってるんだ。都会の女がどんな声を出すのか、試してやるよ」
男は突然、猛り狂った獣のようにマアちゃんに飛びかかった。「嫌!離して!」
押し倒され、床に叩きつけられる。男の重い体がのしかかり、強い力で肩を押さえつけられた。男の指がマアちゃんのTシャツをまくり上げ、胸を鷲掴みにした。冷たい手が肌に触れ、マアちゃんの体が震える。「やめて……!」男は息を荒げ、マアちゃんのジーンズのボタンを外した。太ももを撫で、股間に指を這わせる。
マアちゃんの視界の中で、男の背後に村の邪悪な霊たちが群がり、喝采を送っているのが視えた。必死に抗うが、下腹部に感じる男の生々しい感触があった。絶望的な恐怖が全身を駆け巡る。
(ここで終わるの?こんな、汚れた村で……!)
その時、マアちゃんの中で何かが弾けた。曾祖母の血が、生き延びようとする本能が、彼女の体に力を与えた。
「ふざけないでっ!」マアちゃんは渾身の力を込め、無防備になった男の股間を、膝で力一杯蹴り上げた。
「ぎゃああああっ!」男が悶絶し、横転する。
その隙を見逃さず、マアちゃんは枕元にあった護身用の重い懐中電灯を掴み、男の側頭部を思い切り殴打した。男が呻き声を上げながら退散するのを確認すると、マアちゃんは部屋の鍵を閉め、震える手で夜明けを待った。部屋の隅では、村の霊たちが悔しそうに揺れていた。
翌朝。マアちゃんは男たちが目覚める前に、逃げるように村を脱出した。
山道を下るバスの車内で、ようやく繋がった電波で曽根崎に連絡を入れた。
「先生……あんな村、二度と行きません。近親相姦が当然で、余所者を『獲物』としか見ていない。……レイプされそうになったんです。あの村は、生きている人間も、死んでいる霊も、等しく腐っています」
電話の向こうで、曽根崎は絶句した後、苦い声で答えた。「真中さん……ごめんなさい。まさかそこまでとは。無事だったならいいけれど……。でも、これで論文は書けるわね。人間の最も醜悪な深淵を見た、本物の論文が」
マアちゃんは返事をせず、窓の外に流れる深い緑の山々を睨みつけた。遠ざかる山陰に、まだあの落人たちの影が、執拗にこちらを指差しているのが視えた。
これが、マアちゃんのフィールドワークにおける、忘れられない血と泥に塗れた一ページとなった。
「💞霊視する女子大生の禁忌録」民俗学調査で暴かれる血塗られた因習 ⚓フランク ✥ ロイド⚓ @betaas864
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