「💞霊視する女子大生の禁忌録」民俗学調査で暴かれる血塗られた因習
⚓フランク ✥ ロイド⚓
第1話 人面瘡
東京大学本郷キャンパスの大学祭は「五月祭」と呼ばれる。毎年五月下旬、初夏の陽光が赤門を照らす頃に開催されるこの祭典は、賑やかな屋台や学術展示、華やかなパフォーマンスが構内を埋め尽くし、誰でも無料でその熱気に触れることができる。
教養学部の若々しさが弾ける秋の駒場祭とは異なり、本郷キャンパスで行われる五月祭は、専門課程に進んだ3・4年生や大学院生が主体となる、どこか落ち着いた、それでいて知的な熱を帯びた祭典だ。
これは、マアちゃんが後に運命を共にする佐藤と出会う二年前、彼女が大学四年生だった頃の出来事である。
学祭の出し物として、マアちゃんが所属する同好会はコスプレ喫茶を出店していた。事件はその真っ只中に起こった。客として一人で店を訪れていた女の子が、提供されたクッキーとカフェラテを口にした直後、喉を掻きむしるようにして崩れ落ちたのだ。急激な呼吸困難と、みるみるうちに首筋から腕へと広がる激しい蕁麻疹。
喫茶の責任者であったマアちゃんは、黒いレースとフリルが幾重にも重なるゴスロリのコスプレ衣装を翻し、すぐさま構内にある東大医学部附属病院へと彼女を担ぎ込んだ。
「急いで!アレルギーかもしれません!」
病院の受付で、マアちゃんは切迫した声で病状を説明した。内科の受診を申し出たが、受付の女性は、激しい蕁麻疹の症状を見て「まずは皮膚科を受診しましょう。アナフィラキシーの可能性もありますので、一分一秒を争います」と冷静かつ迅速に判断を下した。運ばれてきた女の子は意識が朦朧としているようで、恐怖に目を見開いたまま、自分では何も判断できない状態だった。
間もなく女の子の名前が呼ばれた。不安に震える彼女の指先が、マアちゃんの衣装の袖を力なく掴んだ。その心細さに突き動かされるように、マアちゃんは付き添いとして診療室の中へ入ることにした。
その時だった。診察室の重い扉の前で、一人の少女とすれ違った。高校生くらいだろうか。制服の上から羽織ったカーディガンの襟元、その首筋には異様なほど厚く包帯が巻かれていた。すれ違いざま、その子の肩がマアちゃんの腕に軽く触れた。
「っ……!」刹那、マアちゃんの背筋に氷柱を叩きつけられたような衝撃が走った。五月の暖かな風を遮断するような、ドロリと淀んだ冷気。マアちゃんは皮膚が粟立つのを感じ、
少女に取り憑く異様な霊気に意識を奪われ、マアちゃんは上の空で診療室に足を踏み入れた。付き添っている女の子が医師の前の椅子に腰掛けても、マアちゃんの意識は背後の扉、今しがた出ていったあの少女に釘付けになっていた。
(あの包帯の下……何かが、蠢いていなかった?)
視覚ではない、「視える」感覚。包帯に隠された場所に取り憑いている霊の輪郭が、マアちゃんの脳裏に焼き付いて離れない。瘤なのか、腫瘍なのか。しかし、そこから放たれるのは生命の脈動ではなく、生者を呪い殺そうとする、底なしの悪意だった。
「あれは……『人面瘡』じゃないかしら」無意識のうちに、独り言が唇から零れ落ちていた。
「……どうされましたか?」女性医師の声で、マアちゃんはハッと我に返った。医師は目の前に座る、呼吸を荒くした女の子に問いかけていた。マアちゃんと彼女に面識はない。
女の子がしどろもどろになり、言葉を詰まらせていたため、マアちゃんが代わって口を開いた。「すみません、私はこの方と面識はないのですが、学祭で運営している喫茶の飲食物でアレルギーが出てしまったようで。蕁麻疹と呼吸困難の症状が出たので、急いで連れて参りました」
女医は鋭い眼差しでマアちゃんを見、それからカルテに目を落とした。原材料を特定するため、質問は細部に及んだ。カフェラテに使用したホイップクリームは市販か。植物性か、動物性か。その後、女の子への問診が手際よく進められた。
「なるほど。スプレー式の市販ホイップクリームね。だとすると、そこに含まれる『加水分解小麦蛋白』が原因かもしれません。特定IgE抗体の血液検査をしましょう。ω-5グリアジンも含めて詳しく判定する必要があります。まずは呼吸を楽にするために、エピネフリンを注射しますね」医師は冷静に説明を続け、女の子に今後の食事指導を行った。
「お薬を出しますから、待合室で少し休んでいってください。明日、必ず再検査に来ること」女医がそう告げ、マアちゃんが安堵して女の子を促し、席を立とうとしたその時だった。「あなたは、ちょっと残って。聞きたいことがあるの」低く、しかし拒絶を許さないトーンで女医がマアちゃんを呼び止めた。
提供した食材について、さらに厳しい追及を受けるのだろうか。マアちゃんは覚悟を決めて、硬い丸椅子に座り直した。目の前の女医は、白衣のポケットに片手を突っ込み、もう片方の手でカルテを弄んでいる。胸元の名札には『皮膚科 曽根崎アンヌ』と刻まれていた。
「あなたのお名前は?」
「真中真理子です。あ……この格好は、その、同好会の出し物がコスプレ喫茶でして。着替える余裕もなくて、こんなゴスロリのままで……すみません」マアちゃんは場違いな自分の装いに今更ながら顔を赤らめた。
「真中さん。あの子のことで残ってもらったわけじゃないの」曽根崎医師は、マアちゃんの言い訳を遮るように言った。「あなた、前の患者が出ていった後、彼女を振り返って何か呟いたわね?」
マアちゃんの心臓がドクンと跳ねた。「え……? 私たちの前に、すれ違ったあの子のこと、ですか?」
「そう。その患者のこと。何を呟いたのか、私、聞き捨てならなくて……」
逃げ場はない。マアちゃんは真っ直ぐに女医を見据えた。
「……はい。私は、『あれは人面瘡じゃないかしら』と言いました」
「なぜ、そんな言葉が出たの? 彼女と知り合い?」
「いいえ。一度も会ったことはありません」
「彼女の首は包帯で厳重に巻かれていた。患部は絶対に見えなかったはずよ。それなのに、なぜあなたが『人面瘡』だなんて具体的な病名を、それも怪談じみた言葉を口にしたのか……説明してくれる?」
「曽根崎先生……」マアちゃんは名札を指さした。「先生は臨床医ですね。臨床医というのは、純粋な自然科学者でしょうか。それとも、目の前の事象を解決する応用科学者でしょうか?」
「私は研究もしているけれど、主務は『精神皮膚学』という分野の科学者よ。精神疾患が引き起こす皮膚症状……例えば、皮膚に寄生虫がいると信じ込む妄想や、存在しない醜さを過剰に恐れる醜形恐怖症なども研究対象だわ。でも、それが私の質問とどう関係があるの?」
マアちゃんは一つ、深く息を吐いた。「わかりました。では、先生。あなたは科学者として『納得できる論理的な嘘』が欲しいですか?それとも、非科学的であっても『私の中に生じている事実』が欲しいですか?」
「……前者は、体裁を整えただけの欺瞞よね。だとしたら、後者を話してください」
曽根崎アンヌという医師の瞳には、未知の事象を拒絶しない、科学者特有の貪欲な知性が宿っていた。
「私は、あの子に『精神以外の外因的な存在』が取り憑いているのを感じました。端的に言えば……悪霊のようなものです」
「なるほど。続けて」曽根崎は眉一つ動かさなかった。
「驚かないんですか?オカルトだと笑われるかと思いましたが」
「私がそんなに偏執的だと思う?いいえ、思わないわ。長く現場にいれば、既存の科学ではどうしても説明がつかない症例に、嫌というほど出くわすものだから」
マアちゃんは、自身のルーツを語ることにした。「私の曾祖母は、恐山のイタコでした。その血筋のせいか、私には普通の人には見えないものが視えてしまうんです。死者の姿、霊的な波動、過去や未来の断片……。あの子に憑いていたものは、おぞましいまでの怨念を孕んだ『死霊』でした。その霊があの子を取り殺そうと首に食らいついている。それが瘤となり、腫瘍のように膨らんでいる。私にはそれが、人の顔を持った膿疱……人面瘡として視えたのです」
「……ふん。確かにあれは瘤よ。けれど、私から見ても生理的に異常な形状だったわ」曽根崎はカルテを閉じ、じっとマアちゃんを見つめた。「真中さん。あなたの言うことが事実だとして。その『悪霊』とやらは、取り除けないの?世に言う『除霊』はできないのかしら」
マアちゃんは静かに首を横に振った。その瞳は、診察室の白い壁を通り越し、遠い奈落を見つめているようだった。「除霊という言葉は、霊を『除く』と書きます。でも、物理的に引き剥がすことなんて誰にもできません。本来の除霊とは、その霊の無念を解き、満足させて成仏させること。……けれど、あの子の場合はもう手遅れです。憑いているのは単なる迷い霊じゃない。純粋な『復讐の塊』なんです」
「復讐……?」
「先生。あの子がどうして霊に取り憑かれたのか、心当たりはありませんか?」
曽根崎は少し逡巡したが、覚悟を決めたように口を開いた。
「ここまで話したのだから、守秘義務を超えて伝えるわ。彼女の名前は藤原凛音。地下アイドルグループのメンバーだった。去年の夏、同じグループの星野美月という子が自殺したの。表向きは過労と誹謗中傷による鬱とされているけれど……凛音の告白によれば、実態は違った。凛音が美月を徹底的にいじめ抜き、死に追いやったのよ。裏垢での罵倒、楽屋での漂白剤混じりの飲み物、カッターで切り刻まれた衣装……。美月は、その絶望の中で首を吊った」
「……それが、今度は自分が首を絞められる番になった、ということですね」マアちゃんは、痛ましさと諦念の入り混じった溜息をついた。
「最初は小さな腫れだったそうなの。でも、毎晩寝ている間に、瘡が囁くんですって。『お前が殺した』と。そして瘡は日に日に大きくなり、最近では凛音が眠りにつくと、その瘤が笑い声を上げているというの。本人の妄想だと片付けるには、あまりにも具体的すぎる訴えだったわ」
「因果応報、ですね。凄惨な業を背負った人間は、その報いを受けなければならない。そうでなければ、霊の無念は晴れません。私が無理に引き剥がそうとしても、怨念はまた別の場所へ、あるいは別の人へと飛び火するだけ。それに……もう、あの瘡と彼女の肉体は一体化し始めています。物理的に切除しても、瘡そのものが意思を持って生き残り、次の宿主を探すでしょう」
曽根崎は、白衣の上から自身の拳を強く握りしめた。「……医師として、何もできないというの?」
「何もできません」マアちゃんは、残酷な宣告を真っ直ぐに届けた。「あと一ヶ月も持たないでしょう。瘡が完全に『顔』を成した時、凛音さんの自我は消滅し、美月さんの復讐は完遂されます。それが、彼女たちが結んでしまった『等価交換』の終着点です」
……三週間後。曽根崎から届いた連絡は、藤原凛音の死を告げるものだった。診断名は『頸部悪性腫瘍の急速進行による窒息死』。医学的には、稀な症例として処理された。マアちゃんは曽根崎の研究室を訪れ、その検死写真を目にした。少女の細い首の横に、苦悶の表情でぱっくりと口を開けた、別人の「顔」が鮮明に写し出されていた。
マアちゃんは曽根崎と共に、病院の屋上へ上がった。初夏の風がゴスロリのスカートを揺らす。紫煙をくゆらす曽根崎の隣で、マアちゃんはどこまでも高い空を見上げた。
「先生……医師だって、万能じゃないですわ。私たちにできるのは、ただ最後までその因果を見届けることだけ。そうでしょう?」
曽根崎は煙草を指で弾き、静かにマアちゃんを振り返った。「真中さん。これからも、私の手に負えないような……『科学の向こう側』の症例があったら、相談に乗ってくれる?」
「……そうですね。もし、まだ成仏の余地がある霊であれば、私にも何かできるかもしれません」
五月の空は、あまりにも残酷なほどに、どこまでも透き通った青だった。
それは、マアちゃんが佐藤和人という一人の男と運命の出会いを果たす、二年前の春の出来事であった。
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