05. 数字

 俺の獲得した10億円の契約は、営業二課が引き継いだらしい。

 あれだけ根回しして、私財も投じた契約が、格下の二課に奪われた事実に、愕然がくぜんとするよりも怒りが上回る。

 また、出向先の業務機械の運用サポートという部署は、あまりにも単調すぎた。

 電話が鳴れば、機械のトラブル、ただそれだけ。出向いてみれば、原因も似たり寄ったり。営業職ならトラブル解決も手腕のひとつとしてアピールできた。だが、ここではそれが日常だ。みんな疲れた顔で、それでも淡々と日常をこなしている。

 会社の花形、営業部で活躍した俺に、こんなクソみたいな仕事をあてがうなんて……。

 怒りに燃えた俺は、辞表を叩きつけて退職した。


 依織と結婚するために、俺は郊外に一軒家を購入していた。

 周囲に婚約破棄を知られないために、最初はローンを払ってどうにかこうにか維持していたが、結局手放さざるを得なくなった。


 ――貯金?

 俺は、金の卵だ。いくらでも稼げる男だ。

 なんでそんなみみっちい真似をしなくちゃならないんだ。

 だが、数年のうちに、いくつか運用していた投資信託も、すべて解約することになたが。

 そうまでして、駅から遠い、単身者用のアパートで暮らしているのだから、俺の生活には余裕があるはずだと、俺は思っていた。少々のギャンブルや、少々のキャバクラ通いなんて、少しも痛くないはずだ。

 俺はまだ若いのだから、いくらでも就職先はあるし、現在は、転職が推奨すらされる時代だ。電車に乗ってもスマホをいじっても、転職の広告ばかり出るじゃないか。

 いくつかの転職エージェントと面談し、いくつかの会社の採用面接を受けた。

 何故か、不採用の通知だけが返された。


 あれから、15年。

 俺は清掃業者に勤務している。この会社だけが、「初心者歓迎・経歴不問・年齢不問」として、俺を雇ってくれた。


 送風機ブロアーとがんじきを使って、落ち葉をかき集める。

 どれほど集めても、落ち葉はゼロにならない。あとからあとから、降ってくる。

 なんの生産性もない、クソみたいな仕事だ。

 それでも。今夜発泡酒と売れ残りの弁当を買うためには、この仕事が必要だった。


 ふと。

 腰を伸ばすために、視線を上げた俺。


 目の前には、コンビニ。

 手あかのついた窓ガラスに、アルバイト募集の広告が貼られている。


 時給

 深夜帯 22:00~翌5:00 #,###円


 「あ……あぁぁぁぁぁっ!」

 俺は、送風機を放り投げた。ガシャンと耳障りな音がしたが、俺の意識は数字に持っていかれていた。


 たかがコンビニバイトの時給が、俺の時給より高いだと?

 俺の、営業職時代のボーナスがいくらだったと思ってるんだ。

 俺が、何期連続で、営業成績トップを収めたと思っているんだ。

 俺が取った契約は、50億を優に超えているんだぞ!


 平日の昼間。公園の周囲は、スーツを着たサラリーマン、OLでいっぱいなのに……。


 おかしい。世の中が間違ってる。

 なんで、俺が。

 俺が、こんなみじめな格好で、こんな場所にいるんだ。


「ただ、救急車に道を譲らなかっただけなのに!」


 薄汚れたグレーのつなぎ。汗を拭うためのタオル。穴の開いた軍手。泥のついた白いスニーカー。パサついた白髪交じりの髪、しわの深い皮膚、まばらに生えたひげ。



 ――初老の男性が、絶望をにじませてコンビニの窓ガラスに張り付いている様子を、若いコンビニ店員が気味悪そうに眺めていた。一緒に働く先輩店員が「見るなよ」と注意する。

 漫画雑誌を立ち読みしていた小学生が、スマホのカメラで男性を撮影し「きっもwww」とコメントをつけてSNSに投稿したが、高級車やタワーマンションなどしかフォローしていない男性の目に触れる機会はなかった。

 コンビニの前を、一台の救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。

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救急車に道を譲らなかっただけなのに 路地猫みのる @minoru0302

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