雪は熱を識らない

 音が消えてしまうような寒気に覆われた病院の屋上のはしに丸い月が出ていた。

 ふたりの足もとでは、黒猫が尾を立ててゆったりと歩き回り、「白猫座」が瞬いている。


 事故に遭って、角が生えて、すっかり日常を失ったと思っていた明良。


 この「猫と、鬼」にしか許されない二十四時から二十六時までという時間の中で、彼は誰よりも深く、誰かを守りたいという神様のような気持ちに触れていた。


「……さて、そろそろ戻ろか。お嬢ちゃんをあんまり夜更かしさせたら、看護師さんに角で突かれるわ」


「うん、お兄ちゃん。また明日、二十四時になったら、ここでね」


            ••✼••


 二十四時すぎの赤い病棟。  


 明良は、リハビリの歩行器を鳴らしながら、つむぎを褒めちぎっていた。

 その廊下の先では、つむぎの友達の少年の太郎が曲がり角からチラチラとふたりをのぞき込んでいる。


「つむぎちゃん、今日の『影踏み回避』もキレッキレやな! 惚れ惚れするわ。将来は夜のダンスクイーン確定やな。略してNDKえぬでーけーや。俺なんかもう首振りすぎて、角が重すぎて首もげるわ。三回に一回は地面に刺さる自信あるで」


「それ、NDQエヌディーキュー よね」


「冷静なツッコミありがとう!」


 息をひそめ笑うつむぎの頭を、手のひらで優しく撫でる。

 しかし、明良のその瞳の奥には、昼間に見た「幸せそうなけいと彼女」の写真の残像が刺さったままで、撫でていることすら意識はなかった。


 彼女ができたと、写真を送ってきたその男は、明良の親友であり、想い人その人だった。


「でも、俺らも、つき合えるやんな?」


 中学のときから、親友であり、好きであることは相手に伝えてあるはずと思いこんでいたが、そんなふざけたメッセージを送ってきたから、怒り散らかしてメッセージをブロックし、枕の下に放り込んで放置した。


(……あれは、あかん。クズ野郎や)


 そこへ、場違いに大きな足音が響く。  


 二十四時半。

 眠っているはずのが、そこに立っていた。


「……明良」


 慧だった。彼女ができたはずの、親友。  


 慧は無理やり眠りを引き剥がしてきたのか、顔色の悪いまま、明良の腕を掴んだ。顔の真ん中に、つむぎと同じ場所に短い角が立ち上がっていた。


「おま、そんなツノ生やして……」


「俺、彼女できたゆうたけど、嘘やないけどなぁ。お前のことも忘れられへんねん。寝ても覚めても、お前のことばっかりや。角まで生えてきてしもた、どうしてくれるんや」


「……あほ。何ゆうとんねん、知るか」


 明良は慧の肩を突っぱね、身体を極力放そうとする。


 通天から立ち上がる角が慧の、嘘偽りない執着を受信してしまい、頭がビリビリと割れるように痛い。


「彼女大切にせえや。いつまでも待てるいうねん。俺の気の長さを舐めんなよ。この夜の俺のツノみたいに、しつこくて長いんやからな……!」


 言い切る前に、慧が明良の首根っこを腕で絡めて引きずっていく。


「ちょ、あかーん」


 その様子を、つむぎは眼を丸くして、手を振って見送った。

 そのとき、廊下の曲がり角から全力で走ってきた太郎が、つむぎの手を握った。


「あ、あれ、いつも話してたお兄ちゃんと、お兄ちゃんの好きな人なの……」  


 つむぎがそっというと、太郎は彼女を引っ張り、歩き出した。


「ダメダメ! つむぎちゃん、ぼくらは、見ちゃダメです! あんなクズ、眼が腐る」


「えー」


 不満そうなつむぎを、太郎は必死の形相で宥める。


「いーや、ぼくと屋上に行こう。ね? オレンジジュース買ってあげるから」


 半ば強引につむぎの肩を押し、太郎は階段へと彼女を誘った。  

 屋上へと続く階段を上がりながら、太郎は誰もいない背後を振り返り、ふたりの消えた病室のドアを睨みつけた。


(……僕が先に見つけたんだ。あんな、けがれたおっさんどもには、この穏やかに過ごせる場所とつむぎちゃんを渡したくないんだよ)


            ••✼••


 慧はそのまま力任せに明良の病室へと連れ込み、ベッドに押し倒す。


「俺は待たれへんわ」  


 昼間の柔和な親友とは違う、男の顔をした慧が明良を組み伏せた。


 二十五時。  


 赤い月明かりの下、激情と、子どもたちの無垢で傲慢な独占欲が、静かに交差していく。


 屋上で、朔からオレンジジュースを受け取り、キャップをひねるつむぎ。

 階下では、慧の荒い呼気を受けとめる明良。


 慧の指が明良の髪を乱暴にかき上げ、露わになった二本の角を愛撫するように指先でなぞる。  

 脳へ繋がる角の根もとが、慧の手の冷たさを吸い上げてどくどくと拍動した。

 ふたりの視界は二十四時過ぎの赤をさらに濃い色で塗りつぶし、情欲に染まっていく。


「あほ……今更……そんな顔してもあかんて……!」


 拒絶の言葉を吐く唇は、すぐに慧の荒い熱によって塞がれた。


「あー。もう、しゃあないな」 


 通天の先から脊髄の末端まで、鋭利な快楽が剃刀のように駆け抜ける。鼻腔を突くのは、かつての鼻炎の重苦しさではなく、慧の匂いと、夜がはらむ狂気の香りだ。


 神に捧げたはずの肉体が、今は、ひとりの鬼の執着に、芯からき尽くされている。  

 アナログ時計が沈黙を守る、歪な二時間。  


 神様も、安眠も、もうどうでもよかった。これこそが、俺たちだけに許された、猛毒のように甘い奉納ぎしきなのだ。知らんけど。


 熱を持った病棟の窓の外を、ひらひらと大きなボタン雪がいくつも落ちていった。



 了

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鬼の奉納 —二十五時の赤い夢— 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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