第2話 妄想の絵
僕の名前は
高校受験のとき、たまたま勉強が面白くなって、進学校に合格してしまった。
興味があることには、食べることも忘れて没頭する。
遅刻魔で、忘れっぽくて、妄想癖がある。
母さんには「社会でちゃんと生きていけるのか」と、いつも心配させている。
だから僕は、その妄想を日記代わりに、絵として残していた。
翌日になっても、あの「奇跡の人影」のことが頭から離れなかった。
授業中も集中できず、窓を眺めてはあの影を思い出す。
――あれは本当に偶然だったのか。
それとも、この不思議なスケッチブックに描いたから現れたのか。
スケッチブックには、目に留まった多くのものを絵として描きとどめている。
だったら、どうしてあの絵だけが現れたんだろう。
「奇跡の人影」は、影が現れたときの一番新しい作品だった。
僕は教科書に隠しながら、スケッチブックをそっとめくる。
「ママ」
母さんに初めてプレゼントした、幼い頃の絵。
初心を忘れないように、と母さんが返してくれた、大事な絵だ。
今はスケッチブックに挟んでいる。
「秘密」
――秘密はいずれ暴かれる運命にある。
だが、心配はいらない。
不安や孤独から解放される瞬間が、訪れるのだから。
昨夜描いたばかりの新しい絵もある。
もし絵が現れ、この文章どおりのことが起きるなら――僕を有名にしてみろ。
そう思って、夢中で描きあげた。
「架空の画家」
「道」という漢字を、そのまま景色にしたような絵だ。
しんにょうは谷間の道となって、暗いトンネルへと続く。
トンネルを抜けた先は太陽が昇っている。
分かれ道に迷いながら歩く人物は、道の首の部分を人のように描いた。
――時代に捨てられ、それでも描き続けた孤高の画家。
彼の絵は、記憶という名の永遠に刻まれるだろう。
いかにも中二病めいた言葉。
だけど今見ると、それは他人事ではない。
僕の迷いや不安が、そのまま絵の中に閉じ込められているように思えた。
そう考えた瞬間、心にちくりと痛みが走った。
***
昔、母さんに怒られたことがあった。
水墨画を見たとき、黒一色なのに何色もあるように見えた。
感動して「どうやって描くの?」と尋ねただけだったのに。
母さんは「技法によってグラデーションを生み出している」と答えた。
でも、その先は説教だった。
上手く表現したいなら、基本技術を学んだほうがいい、と。
「自在にコントロールできれば、表現できるものがある。
自分を理解することにも繋がるのよ」
僕はただ、どうすれば描けるのか知りたかっただけだ。
説教を聞きたいわけじゃない。
描くなら技術がいる。
わかってるけど嫌なものは嫌だ。
だから、逃げるように思い浮かんだ空想の絵を描いている。
でも、そんなことを繰り返していると、僕の絵は誰からも見向きされなくなった。
だけど、僕もやれば出来るんだ。
見返してやろうと、全力で取り組んだ絵がある。
課題となっていた「最近感動したこと」を、絵で表現したときのこと。
僕は水墨画のような竹の絵を提出した。
その水彩画は真面目に描いたカラフルな竹の風景画。
それなのに「基本基本」と言われた。
全否定されたように感じた。
僕は自信がなくなって、しばらく絵を描くのをやめた。
だから高校になって、絵画教室には行かなくなった。
高校に美術部があるけれど、美術部には所属していない。
絵画教室で石膏デッサンも、僕の絵だけが悪い意味で目立っていた嫌な思い出だ。
先生の子どもなのに、皆と比べて明らかに劣っているデッサン。
それは恥ずかしさと劣等感の塊で、今もトラウマのように心に残っている。
僕は現実を、ありのままに描くのが嫌いだ。
現実は冷たくて、現実の僕はうまく友達と話せない。
ありのままの世界は、現実に取り残された僕を、ちっぽけな存在として映し出す。
何度も同じ失敗をするし、衝動的に行動してしまう。
好きなことは永遠にできるのに、興味の無いことは全くできない。
だから空想に逃げる。
興味のない石膏デッサンは面白くない。
石膏像にない腕を想像で描き足し、影も光も勝手に補ってしまう。
構図は崩れ、デッサンは画用紙からはみ出しそうになり、無理矢理に描いた。
陰影は嘘だらけの偽りのデッサン。
そんなデッサンは、落書きに見えて当然だ。
それでも絵を描き続けているのは、ミンガリング・マイクへの憧れ。
架空の存在を作り上げ、空想の音楽を作り上げた伝説の人物。
不思議なスケッチブックを手に入れたから。
想像が止められなかったから。
このスケッチブックに描けば、僕は特別な存在になれる。
ミンガリング・マイクのような存在に。
「不思議なスケッチブックが、ミンガリング・マイクを再現しているんだ」
そう勝手に思い込もうとしているのかもしれない。
奇跡の人影が、欅の木に現れたという現実と、偶然だという思いが交錯する。
でも、偶然だと思い込もうとするたび、あの奇跡の人影が頭に浮かんでくる。
そう思うと、あの人影は奇跡ではなく、不気味な存在のようにも感じた。
黒板の文字が、ゆらゆらと僕の描いた絵に変化していく。
はっと我に返り、黒板を見直す。
文字は変わらず文字のままだった。
次の更新予定
ミンガリングの奇跡(前編) マリアンナイト @Maksymilian
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