ミンガリングの奇跡(前編)

マリアンナイト

第1話 数分の奇跡

 不思議な人影から、すべてが始まった。


 燃えるように広がる夕焼け。

 炎のように燃え広がる非難と熱狂の渦に、僕の名前が放り込まれた。

 誤解が誤解を生み、真実は雪崩のように埋もれていった。


 始まりは、夕日に浮かび、数分で消えた奇跡だった。


 ***


 その日の空は、どこまでも澄み切っていた。

 風もなく、爽やかな秋晴れ。

 なのに、夕暮れが近づくと、晴れたまま小雨が降り始めた。


 校庭には、いつの間にか薄い霧が立ち込めている。


 少し肌寒さを感じながら歩いていると、校庭のけやきが目に入った。

 夕日に照らされた葉がわずかに赤く色づいている。

 火種みたいなその色に、僕は秋の訪れを感じた。

 

 霧は夕焼けを映して赤く染まり、見ている世界がぼんやりとしている。

 まるで異世界に迷いこんだようだった。

 校庭が、現実じゃない偽りの世界みたいに思えてくる。


「天気雨は狐の嫁入り……か」


 どこかで聞いた言葉が、ふいに頭に浮かぶ。


「なんだか、化かされたみたいだな」


 自分で言っておきながら、少し言葉に酔っているのも分かっていた。


「美しいけど、奇妙だ。

 クククク……僕の中の何かが、異世界を召喚してしまったのかもしれない」


 恥ずかしいけど、止められない。

 止まらないんだ、中二病が。

 馬鹿な妄想だとわかっていても、想像は勝手に膨らんでいく。


 帰宅途中の生徒も、部活途中の生徒も、同じように足を止めて空を見ていた。 

 スマホをかざし写真を撮る人。

 ゆっくりと回りながら動画を撮る人。

 友達同士で笑い、ふざけて参拝の真似をする人もいた。


 そのとき――


 校庭の欅の奥にある壁に、人影が映し出された。


「……天孫降臨」


 思わず、そんな言葉を口にした。

 霧と光に包まれた影は、龍の口の奥に、神聖な人影が現れたように見えた。


「……奇跡だ」


 僕は思わず、心の声が漏れ出した。


 ***


 旧友高等学校には、古くから御神木のようにそびえ立つ欅がある。

 校庭の端に立つその巨木は、幹に大口を開けたような穴があった。

 まるで、龍の口のようだった。


 その穴は、向こう側まで貫いている。

 あとで調べて、その穴が「樹洞」と呼ばれるものだと知った。


 夕暮れどき、そこへ差し込む光がゆっくりと移動していく。

 僕はいつも、それを眺めながら帰っていた。


 樹洞という響きが気に入った。

 洞窟の冷たい空気まで肌に感じる。

 そして洞窟を探検するように、本や記事を読みあさった。


 そこで見つけたのが、ルルドの奇跡の話。

 小さな洞窟に聖母マリアが現れ、泉が湧き、水が万病を治す、という話だった。


 その頃の僕は、「奇跡」という言葉に強く惹かれていた。

 非現実的な響きが、なんだか僕に同じことを起こしてくれるみたいに思えた。


 自分は特別な存在。

 孤高の天才。

 いつか誰かが才能を見つけ出し、僕は歴史に名を刻む。


 本気で、そう思っていた。


 だから、その妄想をスケッチブックに描き続けていた。


 少し高級感のある、ハードカバーのスケッチブック。

 表紙には何も書かれていない。

 自分で買った覚えもないのに、気づいたら使っていた。


 欅の樹洞の奥に、聖母マリアのような人影が現れる。

 そんな場面を想像して、僕は描いた。


 そして余白にタイトルを書く。


 ――「奇跡の人影」


 さらに、大人が書いた批評文みたいな文章まで添えた。


 ――「龍の口より顕現した神聖な人影に、人は思わず祈りを捧げる。

 この奇跡は、見た者を奮い立たせるだろう。」


 それが、僕の危うくも平凡な日常だった。


 ***


 そして――

 このスケッチブックに描いた人影が、現実に現れた。


 校庭の壁に映った影は、絵の中のそれと同じ形だった。

 欅の樹洞。龍の口。

 その奥に現れた、両手をわずかに広げた人影。


 霧は光を屈折させ、淡い黄金色の輪をつくる。

 影はその輪とともに、ゆっくりと移動していく。

 黒い塊だった影が、次第に人の形に変わっていった。


 僕は、息をするのを忘れていた。


 偶然だとしても、出来過ぎている。


 この景色は、夕暮れのほんの短い時間にしか現れない。

 太陽の角度が少しでもずれれば、もう見られない景色。


 それでも、確かにそこにあった。

 

 数分の奇跡だった。


 その不思議な現象に、僕は目を奪われ立ち尽くしていた。

 僕だけじゃない。

 僕だけがそう感じていたなら、気のせいで済ませていた。

 でも、学校帰りのみんなが、その光景を見て言葉を失っていた。

 

 霧は冷えた風に流され、静かに消えていった。

 それでも僕は、しばらくその場から動けなかった。


 あれは、ただの自然現象だったのか。

 それとも――。


 答えが出ない。

 でも、ひとつの考えだけが、頭から離れなかった。


 もし、あの人影が本当に僕の描いたものだとしたら。


 ――次に現れるのは、なんだ。





 ******



 参考イメージ画像はこちらになります。

 すでにイメージができている方は、無理に見なくて大丈夫です。

 https://kakuyomu.jp/my/news/822139842263947895

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