12.ルシアーナの剣

「ルシアーナ様、ご相談がございます」


 扉が静かに開き、ガレスが入ってきた。いつもの厳格な顔つきだが、どこかに楽しげな光が差しているのが見える。


 私は地図から顔を上げ、平然と問いかける。




「どうしたの、ガレス?」


「捕らえたドレイスブルグの兵どものことです」



 彼の声は低く、戦の残響を帯びていた。




「ただ飯を与えておくだけでは面白くない。せっかくだ、鍛えて、使える者にしてみようと思いましてな」



 一瞬、眉が上がる。私は小さく息を吐いた。



「鍛えるですって? ふふ」


 ふっと、彼の口許が緩む。




「あなたらしい言葉ね。物好きと言うべきか」


「放っておけば腐る連中だ。鍛練を施せば、多少は骨のある者になる。――我が王の兵としてな」


 私は視線を少し細める。敵兵を我が民に仕立て直すという発想が、胸の奥をくすぐった。




「本当にできるのかしら?」


「見くびられては困ります」


 ガレスは片膝をつき、礼をするように胸に拳を当てた。




「もしルシアーナ様が許すならば、根性を叩き直し、忠を尽くす兵にしてみせます。恥をかかせぬ程度には鍛え上げましょう」


 私は口元にゆるやかな笑みを浮かべた。




「じゃあ、容赦なく叩きのめしてちょうだい。あなたの好きなように」


「承知しました」


 彼は立ち上がり、けじめのように一度胸を打つ。




「幸いにも、我らにも、彼らにも死者は出ませんでした。憎しみは不要。だが、我が国に侵攻を仕掛けた罪は、訓練の汗で償わせます」


「任せるわ」




 *****



 ガレスの訓練は、手加減を知らなかった。



 夜明け前の薄暗さの中、捕虜たちは泥にまみれて矢面に立ち、夕陽が沈むまで休む間もなく動かされた。


 筋肉は悲鳴を上げ、声はかすれ、何度も倒れた。


 だがガレスの命令は単なる暴力ではなかった。規律が入り、技術が入り、敗北の言い訳を剥ぎ取る手際があった。


 最初は反抗と怯えしか見えなかった彼らの目に、やがて別の光が宿る。



 剣を握る手が震えなくなり、仲間を見捨てない動きが先に出るようになった。命じられる前に助け合う姿に、訓練は彼らの血となり、骨となっていった。


 やがて、敵であったはずの者たちの口から、自然と出る言葉があった。



「ヴェリディアのために――」


 それは完全な忠誠ではない。だが、かつてあった憎悪は薄く、代わりに“生き延びる術”が根づいていた。ガレスの手は確かに、それを作り上げていたのだ。


 ある日、伝令が駆け込んできた。




「ドレイスブルグ国の騎士団長が返書を携えて戻りました!」



 天幕の扉を押し開けると、泥にまみれた騎士団長が現れた。疲労と悲壮がその顔に深く刻まれ、震える手の中で紙片が風に揺れている。


 私はそれを受け取り、ざっと目を通す。予想どおりの文面だった。




「お願いです……! 部下たちの命だけはお助けください。どうか、もう一度戻って、必ず賠償金を――」



 言葉は途中で途切れ、嗚咽に変わる。


 だが、胸に湧いたのは同情ではなかった。冷ややかな計算だ。戦は慈悲だけで動くものではない。




「確か、コンラードだったわね。付いてきなさい」



 私は彼を伴い、訓練場へ向かった。砂塵の中、整然と並ぶ兵たちの姿を見た瞬間、コンラードが息を呑む。


 鍛え抜かれた体、無駄のない動き、そして真っ直ぐな眼差し。かつての惰弱な兵の姿は、もはやどこにもなかった。




「どう、すごいでしょう?」


「え、ええ。まるで別人のようだ。あなたの仕業ですか?」


 彼が問いかけた先で、ガレスが静かに笑う。




「鍛えるのが好きでな」


 肩を竦める彼に、私も小さく笑みを返す。




「どうでした? あのドレイスブルグの王、捕虜のために賠償金など出さなかったでしょう?」


「ええ、その通り」


 私の声は冷ややかに響いた。




「あの王のやり方は、もう知っているわ。長く近くにいたから」


 ガレスがわずかに目を細める。



「……皮肉なものですな。王の無策が、結果的に我が国へ力を与えたとは」


 コンラードが静かに膝をつき、深く頭を垂れる。



「叶うならば……この国に仕えたい。ガレス殿に、私も鍛え直していただきたい」


 私は彼の前に歩み寄り、真っ直ぐに見下ろした。




「そして、国王陛下。あなたにも忠誠を」


「忠誠を誓うのはまだ早いわ。私はまだ正式な王ではない。――あなたが“使える者”になったとき、そのときに願いなさい」


 コンラードは深く頭を下げた。



「手厳しいお言葉です」


 その瞳には、悔しさよりも決意の光が宿っていた。



「騎士の忠義とは、誓いの言葉ではなく、鍛錬の果てにこそ宿るものよ。ガレス、頼んだわ」


 国を“国”たらしめるのは、力でも権威でもない。確かな忠誠と信頼の積み重ね――風に翻る蒼き旗を見上げながら、私はそう思った。





 *****



「ルシアーナ様」


 背後からかかった声に振り返ると、ガレスが立っていた。



「ガレス、さすがね。捕虜の兵たち。剣を握る姿が、恐怖ではなく“誇り”のために見えたわ」


「彼らの中には、まだ迷いもあります。家族が王都に残っている者も多いでしょう」


 私は小さく息をつき、微笑んだ。



「迷いの原因は私に任せて。それにしても、あなたが鍛える兵は、いつもそうね。力だけじゃなく、心まで鍛えられていく」


 ガレスがわずかに笑みを浮かべる。



 その顔に、幼い頃の記憶が重なった。泣き虫だった私に、お菓子をくれたあの頃のままの笑顔。




「私は、あなたの背を見て育ったの。どんな痛みにも怯まず、皆を導くあなたの姿を」


「光栄です。ですが今の私は、あなたの剣ですよ。たとえ折れる日が来ようとも」


 その言葉が胸の奥に沁みた。私は小さく笑い、静かに返す。



「剣が折れることはないわ。あなたに鍛えられた私も、一緒に戦うのだから」


 ガレスは目を細め、柔らかな笑みを浮かべた。二人で並び立つだけで、言葉以上の安心が胸に満ちる。


 ふいに彼が、小さな包みを差し出した。




「よし、頑張っているあなたにご褒美を。とっておきのチョコレートです。食事の前だから内緒ですよ、アンヌに怒られてしまいます」


 私は手を伸ばして受け取り、甘い香りに頬が緩む。



「まあ、ガレスったら、急に子供扱いするのね。でも、いただくわ」


 その瞬間、目と目がそっと重なる。


 昔も今も、変わらない。私を見守り、導く一人。


 チョコレートを一粒口に入れ、私は思った。この国の未来は、信頼と絆の上にこそ築かれていくのだと。



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