11.承認と独立 side国王
side 国王
王宮の謁見の間には、重苦しい沈黙が満ちていた。
絢爛な柱も、歴代王の肖像も、今はただ私の苛立ちを映すだけの装飾に過ぎない。
私は玉座に腰掛けたまま、手にした一通の手紙を、仇敵でもあるかのようにくしゃくしゃに握りしめた。
『先触れもなく兵を差し向けられたことは遺憾である。捕虜の解放を望むのであれば被害の補償について、相応の賠償を請求する』
整った筆致。感情の欠片もにじませぬ、冷静で、計算された文面。
それが、この私を見下ろしているようで、たまらなく腹立たしかった。
「……くそッ!」
自覚するより先に、怒声が喉を突いていた。
声は高い天井に跳ね返り、幾重にも反響する。燭台の炎が揺れ、まるで王である私の怒りに怯えているかのように小さく震えた。
「こんなにも早く敗れるとは……!」
玉座の前に跪く騎士団長が、目に見えて顔を強張らせた。
その様子が、さらに私の神経を逆撫でする。
――弱い。
――情けない。
こんな者どもに、王の剣を預けていたとは。
「何をしていたのだ! 貴様が無能なせいですべてが台無しだ!」
手にしていた手紙を騎士団長に向け投げつける。白い紙が石床の上に無惨に落ちた。
騎士団長は拾おうともしない。
ただ、頭を垂れたまま、震える声を必死に絞り出す。
「陛下……! 双方に死者はおりません。捕らえられた者も丁重に扱われております。すぐにでも賠償を――!」
情けをかけられて生き永らえるつもりか!
それが、どれほどの屈辱かも分からぬのか!!
この国の兵が、王の威を背負った兵が、敵の慈悲にすがって帰還するなど、断じて許さぬ。
「負けたのは貴様らの愚かさのせいだ。金など出すものか!」
吐き捨てるような声が、広間を冷たく切り裂いた。
「返書にはこう書け。“応じることなどできぬ”――それでよい」
騎士団長が、はっとしたように顔を上げる。その蒼白な表情が、事態の深刻さを伝えようとしていた。
だが、知らん!!
「陛下、それでは兵たちが――!」
「黙れ!」
喉を裂くような怒声を響かせる。
兵の命より、王の威信が大事だろう。それが、この場での唯一にして絶対の真理、そんなことも分からぬとは。
「第二陣を整えよ! ルシアーナを跪かせるのだ!」
玉座から立ち上がり、声を張り上げる。
女神の使徒だか何だか知らぬが、所詮は一介の小娘。周りが優秀なだけだろう。
だが胸の奥では、認めたくない感情が渦を巻いていた。
彼女の軍は、無駄な血を流さず、統率が取れていたという。恐怖ではなく、理解と信頼で兵を動かす。
それは、王である私が、ついぞ成し得なかったやり方だ。
その事実が、胸を苛んでいた。
「陛下! 大変でございます!」
扉が乱暴に開かれ、宰相が駆け込んでくる。その顔色を見ただけで、嫌な予感が背筋を走った。
「何だ、騒々しい! 今はそれどころでは――」
「アイゼンベルクが……!」
宰相は膝をつき、声を震わせて告げる。
「各地の領地を取り込み、“国”として独立を宣言いたしました! 名を“ヴェリディア”と称しております!」
その瞬間、頭の中が真白になった。
「我が国の承認なく、宣言するとは何事だ! それに、国を興すには、少なくとも諸外国、三か国の署名が要るはずだ! こんな短期間でできるものか!」
叫ぶ声が、自分でも驚くほど掠れていた。
威厳を保とうと声を張り上げるほど、足元から崩れていく感覚がはっきりと分かる。
「すでに三か国以上の署名が集まっているそうです。さらに我が国の領のいくつかもヴェリディアに下り、その数、この国の三分の一に達しております」
「ば、馬鹿な……!」
怒りが血を沸かせ、思考は嵐のように掻き乱される。
「何の得があってあんな国に! は、背後に大公がいようと、王はあの小娘だぞ!」
忠臣たちのざわめきが耳に入る。だが、言葉として耳には届かない。なんだ? 一体何が起こっている。
「ただいま、詳しく調べを進めております。今しばらくお待ちを」
淡々とした宰相の報告が、逆に私の神経を逆撫でする。
「ふざけるな!」
手近にあった花瓶を薙ぎ払う。陶片が床に砕け散り、赤い絨毯を無惨に汚した。
指先が震える。怒りと焦燥が絡み合う。
「……予定が、完全に狂った……」
低く呟いたその声に、広間の空気が一層冷え込む。臣下たちは息を潜め、沈黙が支配した。
あの小娘――ルシアーナ。
王の秩序を、国の形を、たった一人で揺るがす存在。そんなことが、あっていいはずがない。
――だが。怒りだけでは勝てぬ。感情ではなく、策略だ。
そう悟ったとき、宰相が慎重に口を開いた。
「国を興し、王を戴くというのは、形式だけで成り立つものではございません。法に従えば、陛下の承認なくして載冠式は行えません。ルシアーナも、そこを突破することはできぬはずです」
なるほど。
私はゆっくりと座り、玉座の縁に手を置いた。燭台の炎が揺れ、その光が臣下たちの顔を照らす。
彼らの表情が、次第に引き締まっていくのが分かる。
「聞け」
静かに、だが抗えぬ力を込めて告げる。
「我々は彼女の“独立”を形式的に認める。その代わりに、条約を結ばせるのだ」
罠を、法という名で。
「承認の条件は、我が国に有利なもののみ。主権を侵す独立など、決して許さん」
法は武器だ。
そしてそれを操るのは、王の特権。
表向きは自由を与える。だが実際には、義務と制約で縛り上げる。
檻だ。黄金で飾られた、美しい檻。
「午後、王太子を呼べ」
低く命じる。
宰相が頭を下げ、侍従たちが一斉に動き出した。
私の脳裏では、すでに条文が組み上がっていく。
税、貢納、国境、軍備。
すべては彼女の“独立”を削り取るための刃だ。これでいい。これで、あの小娘も思い知るだろう。自由とは、王が許した分だけしか存在しないということを。
そして私は、その自由の鍵を握る者だということを。
謁見の間を出たあとも、怒りは収まらなかった。
策も立てた。それでも、頭の片隅にこびりつく不快な違和感だけが、どうしても拭えない。
私は無意識のうちに、足を向けていた。
――王妃の部屋へ。
王宮の奥、最も陽当たりの良い場所に設えられた私室。
扉の前に立つと、先ほどまでの緊張が、嘘のようにほどけていくのを感じた。
扉をノックすると、すぐに柔らかな声が返る。
「どうぞ」
中へ入ると、王妃が刺繍枠を膝に置いたまま、こちらを見上げた。
穏やかな微笑み。
何も知らぬ、何も疑わぬ眼差し。
この宮廷の裏側を、血と策謀を彼女は、何ひとつ知らない。
「陛下……」
私の顔色を見た瞬間、王妃の眉がわずかに寄る。
「大丈夫なのですか?」
その一言だった。
責めるでも、詮索するでもない。ただ、純粋な心配だけが込められた問い。
「……ああ」
私は短く答え、彼女の前に歩み寄る。
「少し、厄介な報告があっただけだ」
王妃は静かに立ち上がり、私の前まで来ると、ためらいがちに手を伸ばした。
その手は、細く、柔らかい。剣も、法も、策略も何ひとつ握れぬ手。
だが、その手は、確かに私を支えていた。
「無理をなさらないでくださいませ。陛下は、いつも、ひとりで背負いすぎです」
私は思わず、苦笑した。
「心配する必要はない。国のことは、私が決める。それが王の務めだ」
王妃は、それ以上踏み込まない。
政治を理解しようとしない。
意見を述べようとしない。
ただ、王である私を信じ、寄り添うだけ。
「陛下がそう仰るなら……」
そう言って、微笑む。――何もできない王妃。だが、何もできないからこそ、王妃は、汚れない。
この宮廷で、唯一、清らかな者。
私はそっと王妃を抱き寄せた。
華奢な身体が、素直に腕の中に収まる。その温もりに、苛立ちが、少しだけ薄れる。
「心配はいらぬ。すべて、私の掌の上だ」
自分に言い聞かせるように、そう告げる。
王妃は、小さく頷いた。
「はい……陛下」
その声は、どこまでも優しい。私が居なければ生きていけない。
この腕に抱くものを守るためなら、どんな策も、どんな犠牲も、正しいのだ。
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