四 臓器

  ​ふ、と脳の芯が熱で焼き切れるような感覚があった。

 瞬きをした、ほんの一瞬の出来事だったはずだ。

 だが、次に瞼を開いたとき、世界から色彩は消え失せていた。

 ​

 太陽はとうに消え、辺りは分厚い闇と、腐ったような湿気に包まれている。

 坂を登り切った記憶も、この石の前で足を止めた記憶もない。

 ​全身が、水に浸かったように重い。

 衣服が皮膚に張り付く感触は、じっとりと冷たく、糊のように全身の毛穴を塞ぐ不快感があった。

 呼吸をするたびに、肺が湿った闇を吸い込み、私がまだ此方に留め置かれていることを嫌でも理解する。


 ​右の手のひらに、ぐちゃりとした不快な感触があった。

 見下ろすと、そこには無惨な残骸が握りしめられていた。

 ​強く握り込みすぎたせいで茎はへし折れ、花弁は拉げ、緑色の汁と黄色い色素が、私の指を汚している。

 それはもう向日葵と呼ぶにはあまりに醜い何かだった。

 ​私は、震える手でそのゴミのような花束を、墓石の前に転がした。

 石の根元に、濡れた音がしてそれが止まる。

 ​掌が汚れている。

 私は喪服のズボンで、乱暴にそれを擦った。

 何度擦っても、緑色の汁と、あの独特な青臭い粘り気が取れない。

 皮膚の溝という溝に、死んだ植物の脂が入り込んでいる。

 ​ 

 胃が痙攣した。

 反射的に口元を覆うが、吐瀉物は出ない。

 ただ、ヒュッ、と間の抜けた空気が喉を鳴らしただけだ。

 空っぽだった。


 ​私は、よろりと立ち上がろうとして、足がもつれた。付いた膝に、地面の砂利が皮膚に食い込み、鋭い痛みが走る。


 痛い。


 その痛みが、疎ましいほど鮮明に、私の輪郭を縁取った。

 ​心臓が肋骨を叩いている。

 ドク、ドク、と。

 その音が、耳障りなほど大きく響く。

 止まってくれればいいのに。

 そう願っても、私の臓器は、浅ましく酸素を求め、勝手に血液を循環させ続けている。


 ​「……暑い」


 ​思わず、声が出た。

 日はとっくに落ちていた。それでも夜風はまだ、じんわりと熱とヌメりを帯びていた。

 汗が止まらなかった。

 生きているという事実が、熱を持って全身を蝕む。


 私は石に手をかけ、重たい身体を引き剥がすように起こした。

 鉛を詰め込まれたような足が、地面に沈む。

 ​一歩、踏み出す。

 視界がぐらりと揺れる。


 ​腹が減ったような気もするし、吐き気がするような気もするが、どちらでもよかった。


 どうせ明日の朝も、私は目を覚ますのだから。


 ​私は闇の濃い方へと歩き出した。

 背後ではカナカナ、と弱々しい蜩の声がした気がした。

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向日葵 ねくろ @necromance84

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