朝霧すみれの洋裁探偵譚 ―横浜ハイカラ事件帖― 毒の花束と、傷を愛した男{3}

さとちゃんペッ!

横浜大正ハイカラ娘 朝霧すみれ

 https://kakuyomu.jp/my/news/822139842521728444


横浜港の朝は、白く沈黙していた。

 汽笛の余韻だけが耳の奥に残り、海と空の境はゆるやかに溶け合っている。

 桟橋も倉庫も人影も、すべてが霧に滲み、輪郭を失っていた。


 私は朝霧すみれ。

 大正の横浜で、洋裁師見習いとして働いている。

 今朝は、結婚式を当日の花嫁衣装の最終確認のため、山手の洋館へ向かう途中だった。


 祝賀の花が次々と運び込まれ、屋敷は甘い香りに満ちている。

 けれど、その華やかさの奥に、どこか落ち着かない気配が漂っていた。


「……朝霧さん」


 廊下の奥から声をかけてきたのは、新聞記者の小田切さんだった。新聞記者が立ち寄るほどの財界の大物、受付では軽く持ち物検査が行われた。


「式の準備、ずいぶん慌ただしいですね」

「ええ。でも……少し違和感がございます」


 私の視線は、並べられた花束へと向かっていた。

 その中でも目を引いたのは、大きなブーケ。

 包装紙の端。結び目の位置。

 ほんのわずかだけど無視できないずれがある。

 私は洋裁師として見逃せない。


 花嫁控室に案内され、さっそく私は着付けを行った。

 私の技術を詰め込んだ渾身の作品である。

 白いドレスは長く裾を引き、床に淡い光の波を描いている。

 上質なシルクサテンは、動くたびにやわらかな艶を帯び、

 まるで朝の光をそのまま縫い込んだかのようだった。


 胸元は控えめでありながら、繊細なレースが重ねられ、

 清楚さの中に確かな華やぎがある。

 肩から腕にかけては透けるオーガンジー。

 指先まで続く細かな刺繍が、花嫁の動作を一層優雅に見せていた。


 ウエストラインはきゅっと引き締められ、

 そこから自然に広がるスカートが、

 彼女の一歩一歩に合わせて静かに揺れる。

 重すぎず、軽すぎず。

 歩くたび、幸福そのものが形を得て動いているようだった。


 ベールは薄く、長く、

 後ろ姿を包み込むように流れている。

 光を受けてほのかにきらめき、

 花嫁の背中に、祝福の影を落としていた。


 白い手袋に包まれた指には、

 控えめながらも確かな存在感のある指輪。

 小さな真珠が耳元で揺れ、

 胸元には大粒の真珠が、花嫁の笑顔にやさしい輝きを添える。


 私は思わず息をのんだ。

 ――これ以上、何を足せばいいのだろう。

 技術も、想いも、願いも、

 すべてがこの一着に注がれている。


 花嫁は、まさしく祝福そのものだった。

 誰もが目を奪われ、

 誰もが、この瞬間が永遠であればいいと願ってしまうほどに。


 だからこそ――

 その完璧さの中に潜む、ほんのわずかな違和感が、

 私には、どうしても気になってしまったのだった。


 やがて式が始まり、荘厳なオルガンが鳴り響く。

 私がデザインした白い衣装の子どもたちによる聖歌隊が整列している。

 そして、彼らの澄んだ歌声が会場を満たした。

 衣装係の一員として、私の心も自然と浮き立っていた。


 式は滞りなく進み、誰もが待ちわびていたブーケトスの時間が訪れる。


 花嫁は大きなブーケを抱き、花に顔を埋めて香りを吸い込んだ。

そして、背を向け、集まった女性たちに向かって高く掲げる。


「こちらですわよ」

「こちらに投げてくださいな」

「受け取った方が、次の花嫁ですのよ」

「どうか、私に……!」


「いきますわよ。せーの……それ」


 ブーケは美しい弧を描き、女性たちの中へ落ちた。

 軽い取り合いの末、桃色の振袖を着た女性が受け取る。


「やった……きゃっ!」


 悲鳴が上がった。

 女性は襟元を押さえてよろめき、同時に花嫁の頬にも赤い斑点が浮かび始める。

「熱い……痛い!」


 会場は一瞬で騒然となった。

 医師が呼ばれ、式は中断される。


「呪いじゃないの?」

「誰かの怨みよ……」

「だって、花嫁は親友の婚約者を……」

「しっ、聞こえるわ。婚約破棄したのは新郎よ。悪いのは新郎!」


 そんな囁きが走る中、私は静かにブーケを見つめていた。


 ブーケは新聞紙に包まれ、警察提出用としてテーブルに置かれる。

 小田切さんが私の肩を軽くつついた。


「こんな祝いの席で事故とはね。毒のある花だったという可能性もあるんじゃないか。この花の種類を調べよう」

「……花かしら?」

「どういう意味だい」


 私はブーケのリボンを指さした。


「この結び方は、専門の手ではありません。

 和装に慣れた方が結んだならば、中央を美しく見せるものです。

 でも、よくご覧になって。中央がねじれて歪んでいます。

 これは自分で帯を結ばない人の手です」


 小田切さんが息を呑む。


「つまり……人の手で仕込まれた? 事件?」

「ええ。自然な事故ではありません。けれど、殺すためでもない」


 私は静かに続けた。


「見せつけるためですわ。つまり、復讐です」


 小田切さんの熱心な聞き込みにより、一人の女性の名が浮かび上がった。

 洋子さんという名の、問屋の娘。


 馬車事故で顔に大けがを負い、婚約を破棄され屋敷に引きこもった女性。


 警察が到着すると、証言者たちはかたくなに口を閉ざした。

 繰り返されるのは同じ言葉。

「わたくし、存じ上げませんわ」


 その日の午後、私は小田切さんと一緒に洋子さんの屋敷を訪ねた。

 執事は面会を断ろうとしたが、私は静かに言った。


「私は洋裁師です。

 女性は、素敵なドレスがあるだけで、外へ出る勇気を持てるものです。

 どうか、お嬢様を私にお任せください」


 執事はしばらく私を見つめ、やがて私の手を取った。

「費用はいくらでも。お嬢様のためなら糸目はつけません」


 洋子さんは、西側の姫の間にいた。

 包帯で顔半分を隠し、来客を拒むような佇まい。


 若い従者が口を開く。


「お嬢様は気分が優れず、ドレスの話は後日に……」

「あなたは?」

「従者の飯田です。家のことを執事と共に取り仕切っております」


 洋子さんが手を払うようにして、飯田を下がらせた。

 そして、立ち上がった。


「あなたたち、私を逮捕しに来たのでしょう。

 でも……奪いたかったわけじゃない。

 本当は、あそこは……私の場所だったの。


だけど、こんな顔になってしまって、……もう人前に出ることも、男性とお付き合いすることも、ましてや結婚することなどありません。そんな資格ないんです。この顔では……女はキレイでなければ、罪なのです」

洋子さんの目からは涙が流れた。


 私はそっと言った。

「傷は、あなたの罪ではありません」


 そのとき、扉が静かに開いた。

「失礼します」


 入ってきたのは、飯田だった。


「あなたが顔を隠すたび、僕は苦しかった」

「包帯の女の側にいるのは、恥ずかしいのでしょう」

「違う。あなたを、愛しているからです」


 静寂が落ちる。


「すべて承知しています。それでも、あなたと生きたい。

 どうか、僕と結婚してください」

 涙が、包帯の端から静かにこぼれ落ちた。洋子さんは涙をぬぐうことは無かった。

 息をするのも忘れて、じっと考えていた。


 小田切さんが、ぽつりとつぶやく。

「……ずいぶん異例な事件だな」


 私は微笑んだ。

「ええ。でも、いちばん美しい結末です」


 後日、屋敷に招かれた。

 洋子さんは包帯を外し、傷を隠さず微笑んでいた。


 私は新しいウエディングドレスの図案を広げる。

 飯田さんと洋子さんは、同じ一枚を指さした。


 ふわりとした七分袖のドレス。

 傷を優しく包むデザイン。


「洋子さん、自然なメイクもお任せください」

「ありがとう、すみれさん。……友人にも、謝ることができました」


 帰り道、私は空を見上げた。


 起こした事件は、決して許されるものではない。

 けれど、それによって救われた未来が、確かにあった。


 ――朝霧すみれは、今日も横浜で、

 嘘を縫いほどく。







♡♡♡♡♡


お読みいただきありがとうございました。

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またお会いしましょう。 

感謝でいっぱいのさとちゃんペッ!でした。

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