第13話 風の記憶と、鍵の断片

 旧水路の入口で、風が鳴いた。


 封印輪の脇に打ち込まれた黒い釘は、一本じゃない。

 点じゃなくて――線だ。


 だから辿る。

 辿れば「誰が」「どこから」封印の“更新”を汚したのかに近づける。


 ただし、ここは市の管理外。

 柵は朽ち、崩落の記録もある。


 現場ってやつは、だいたい「正しいこと」をする前に「死なないこと」を要求してくる。


「――入るなら人数は絞れ」


 巡察の男が槍の穂先で柵に触れ、錆を粉にした。


「古すぎる。落ちたら回収は無理だ」


 学院の監査官が眉をひそめる。


「現場は証拠だ。全員で確認すべきだろう」


 ……始まった。

 偉い人の正論は、現場の酸素を削る。マジで。


「全員で入って、全員で迷子になったら証拠どころじゃない」


 俺は息を吐いて割って入った。

 少年の体ってだけで舐められるのは分かってる。けど、段取りは年齢を見ない。


「班を作りましょう。先導一、記録一、後衛一。外に連絡役」

「ロープ必須。撤退基準も先に決める。……タスク分解。これが一番コスパいい」


 監査官の視線が刺さった。

“その口が出るのか”って目だ。


 そこでユミナが一歩前に出る。

 俺より頭ひとつ上から、凛とした声が落ちてきた。


「現象の報告があります。旧水路は風の記憶ウィンドエコーが発生しやすいです」


 監査官が固まる。


「……現象?」


「風に“残った声”を拾う現象です。長居すると精神疲労、幻聴の混入。さらに位置も悟られます」

「対処手順は短時間で抽出して記録、即退避。鍵語は物証と照合。復唱は禁止です」


 復唱禁止。

 つまり、口にした瞬間に“混ざる”。


 ようやく全員の呼吸が揃った。

 危険物として扱う空気になった、ってことだ。


 冒険者ギルドのヴァルトが肩をすくめる。


「なら少数で決まりだ。俺が後衛」

「ミラは外で連絡。巡察、槍一本、先導に寄越せ」


 巡察の男は舌打ちしかけて、結局、槍持ちを一人前に出した。

 残りは入口で封鎖線を張る。


 ロープを結び、結び目を指で確かめる。

 引けば解ける形。合図が誰でも分かる形。


 二回引いたら撤退。

 三回引いたら緊急。


 腰の袋から紙と炭を出して、でかくメモを書く。


「目的:鍵語の断片を採取」

「制約:長居しない(秒)。復唱しない」

「手順:聞く→書く→退避。照合は地上」


 書き終えたところで、ユミナが真顔で言った。


「記録形式は……txtで」


「紙に書け」


 即答した。


 ユミナが口を尖らせる。ぷくっと。

 それ、緊張感のある現場で出していい顔じゃない。


「紙は検索できません」

「生きて帰ったら検索し放題だ」


 俺は外套の裾を引いて、ユミナの前にすっと差し出した。


「ほら。机」

「……机、です」


 ユミナは一拍置いて、嬉しそうに炭を走らせた。

 真面目なくせに、環境が整うと機嫌が上がるの、分かりやすすぎる。


「三十秒だ。整理はいらない。“採取”だけ」

「了解です。単語優先。数字や条文の形も採取します」


 その言い方が慣れてる。

 怖さも、要点も、分かってる人間の声だった。


 *


 旧水路は、下水より乾いていた。

 乾いてるのに空気が冷たい。石に染みた湿気が骨の内側を冷やす。


 天井が低い。

 溝は泥で埋まり、白い苔が乾いて粉になっていた。踏むたびに舞って喉を刺す。


 精霊灯の光は安定しているのに、影だけが妙に濃い。

 音が返らない。吸われる。


 ――風。


 一定の拍で吹いてくる。

 通路そのものが、呼吸しているみたいに。


「ここ、音が返らねぇな」


 ヴァルトが小さく言った。


「鳴くのは、別のやつだ」


 胸の内側がざわついた。

 耳じゃない。頭の奥が揺れる予感。


 角を曲がった瞬間、空気が変わった。

 見えないのに“誰かが立ってる”気配だけがある。口だけ動いている――そんな最悪の在り方。


 ユミナが囁く。


「兆候。――来ます」


 俺は指でカウントを始めた。

 迷ったら秒に戻れ。現場ではそれが一番強い。


「一」


 石壁の継ぎ目の暗がりが、一瞬だけ人の形に見えた。

 口が動く。声は出ない。


 なのに、風が言葉だけ攫っていく。


『……更新』


 復唱するな。

 喉が勝手に動きそうになるのを、奥歯で噛み潰して紙を押さえた。


「二」


『封蝋』


「三」


『番号……』


 単語だけが切れ切れに刺さる。

 意味を繋げようとした瞬間、吸い込まれる。視界の縁が波紋みたいに揺れた。


 違う。瘴気じゃない。

 これは情報だ。風に乗る残響だ。


「四」


『更新……番号、違う』


 紙に落とす。「更新」「封蝋」「番号」「違う」。

 繋げない。繋げるのは地上だ。


 ユミナの炭が走る。速い。

 速いほど危ない。集中しすぎると混じる――資料の注意が、現実の重さになる。


「五」


『……補修、ではない』


 胸がきしんだ。

 紙面の一字違い。作為の匂いがする。


「――繋げないの、偉いな」


 ヴァルトが低く言った。


「繋げたくなる瞬間が一番落とし穴だ。助かる」


「六」


 風が強くなる。粉が舞い、光の中で渦を巻いた。


 その渦の中に、声が混じる。


『優先順位、了解です』


 背中が冷えた。

 それはユミナがよく言う。俺が何度も聞いた、あの調子だ。


「……ユミナ」


 呼びかけた瞬間、風の奥で別の声が被さった。


『――続きを』


 心臓が一拍遅れて鳴る。


 その言い回しを俺は知っている。

 死ぬ直前、ユミナに言った。あの時、俺は終わって、再構築リライトされた。


 次は――戻せない。


 ユミナが俺の横顔を見た。


「コイチ、視線が固定しています。……合図、ください」


 合図。手順。現実。


 俺は息を吸って吐いた。


「恒一。――俺は恒一だ」


 自分の名前を口にすると、輪郭が戻る。

 借り物の体でも、声は今の俺のものだと信じられる。


「七。書け。採取だけだ」


 ユミナが頷いて、紙に落とす。

「優先順位」「続きを」


「八」


『更新手順……第二……』


「九」


『……条……』


 条文。

 命令の形が、形になってくる。


 ヴァルトが低く唸った。


「これ、命令じゃねぇか」


「復唱するな」


 即座に返す。

 口に出したら混ざる。確かめたくなる。そこが罠だ。


「十」


 風が一段冷たくなる。

 背中が晒された気がした。長居で位置を悟られる――そういう種類の怖さだ。


 ユミナの炭が止まった。

 止まって、再開しない。瞳が空気の一点に釘付けになる。


「ユミナ。撤退基準だ」


「……断片が、続きます。あと少しで構文が」


「構文はいらない」


 俺はきっぱり切った。


「必要なのは照合できる鍵語。今ので十分だ」

「俺は、お前が削れるのを見たくない。撤退。今だ」


 そう言って、俺はユミナの袖をきゅっとつまんだ。

 背の高い相棒が、ようやく俺を見下ろす。


 ユミナは一瞬だけ眉を寄せ――計算する顔をして、頷いた。


「了解。退避します」


 ヴァルトが前に出て、盾みたいに体を寄せた。

 槍持ちが通路の奥を塞ぐように立ち、足元の石を蹴って目印を作る。


 ロープを握り、壁の刻みに指を滑らせながら戻る。

 班が割れない距離。戻り道。戻れる形。


 現場は、戻れる形にしてから進む。

 戻れない現場は、現場じゃない。


 *


 入口まで戻ると、待機していたミラが目を細めた。


「……戻ったか。顔色、死にかけ」


「死にかけは却下」


 紙を広げ、ユミナの書いた断片を確認する。

 更新。封蝋。番号。補修ではない。第二条。


 照合は地上だ。

 学院の控えと、封印更新の記録と、釘の位置と――全部まとめて線にする。


 ユミナが椅子代わりの木箱に腰を下ろし、紙束を抱えたまま瞬きを二回した。

 そのまま、こくん、と頭が落ちる。


「……おい」


 返事はない。

 抱えた紙だけが、腕の中でずり落ちかける。


 俺はため息をひとつ吐いて、紙束だけをそっと引き抜き、机代わりの板の上に置いた。

 ユミナは起きない。呼吸だけが少し整っていく。


 その横顔を見て、胸の奥が変に静かになった。


 ユミナが小さく言った。


「はい。……“記録”は紙だけではありません。残響も、拡散します」


 寝言みたいな声だったのに、内容だけはやけに現実的で。


 背後で、風がもう一度鳴いた。


 振り返らない。

 振り返ったら、拾いに行ってしまう。


 風の隙間に、囁きが刺さった。


『更新手順、第二条――釘を、打て』

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